第6話 汚物の果てに邂逅


 獣人の国〝ミィミ〟……の国外。

 爽やかな風が吹きつける、長閑のどかな草原地帯にて――

 汚物まみれの男が二人、連れ立って歩いていた。

 俺とブラピである。

 

 最悪である。


 獣人だから人間よりもマシなクソでもするのだろうと思ったら、人間以上だった。

 あいつら普段、何食ってんだ。

 ……リンスレットもああなのだろうか。

 そう思い至り、あの整った顔、すらりとした肢体、メリハリのある体を思い出す。


「ふむ」


 ……そう考えると、悪くない気も――


「ヴォアッ!?」


 まるで野良犬の断末魔のような嘔吐えずきが、喉の奥からひり出される。

 やっぱりだめだ。

 もう二度とあの抜け道は利用したくない。

 正直、途中何度も死んだほうがマシだと思う場面があった。

 が、生憎というか当然というか――いや、これ以上は何も言うまい。

 事の一部始終を詳細に語れば語るほど、筆者も書いてて気持ち悪くなるし、読者も読んでて気持ち悪くなるからな。

 語るに落ちるとは、まさにこのことである。


「……ダイスケ」


 隣を歩いていたブラピが話しかけてくる。

 いまはもう、首を動かす気力もない。

 ただ屍人のように、左右の足を交互に動かすのみ。

 俺は返事はせず、そのままブラピの二の句を待った。


「このまま、このさきをもうすこし進めば、川があるはずだ。そこでいったん休もうか」


 さすがのブラピもだいぶ消耗してしまっているのか、さきほどまでの声のハリはない。

 相変わらずいい声ではあるが。


「……賛成だ。まずはこの汚れを落としたい……」

「その際、すこし君に話があるんだ」

「話したいこと?」

「そうだ。今回のことについて、君の処遇について……すこし核心に触れるような内容の為、すこし腹を括っておいてくれ」

「え?」


 腹を括る?

 なにそれ?

 こんなやっとの思いをして国から出て、まだなにかやらないといけないの?


「……やだ」

「え?」

「やだ!!」


 気が付けば俺は、草原に響き渡るほどの奇声を発し、汚物をまき散らしながら駆け出していた。

 我ながら気が狂っていると思わなくはないが、こんなことがあれば誰だってそうする。

 俺もそうした。


「うわあああああああああああい!!」


 現実ブラピ逃避。

 なりふりなんて構っていられない。

 遠くへ。

 ただひたすら遠くへ。

 目的地なんてあるわけがない。

 必死に脚を動かし、腕を動かし――ここではない場所どこかへ。


「うげっ!?」


 バサフッ!!

 急に足が重くなり、俺は勢いそのまま、草原に顔面から倒れた。

 顔が痛い。

 鼻が痛い。

 目を開けられない。

 臭い。

 日々の運動不足が、これでもかというほど遺憾なく発揮されている。

 とはいえ、これが土とか石のある所じゃなくてよかった。


 ……って、そうじゃない。

 早くここから逃げないと、腹を括らなければならないことになってしまう。


「……あれ?」


 とりあえず立ち上がろうと思い、必死に足を動かそうとするも、全く動かない。

 というか、誰かが脚にしがみついている気がする。

〝誰か〟

 なんて言っても、そんなはひとりしかいないのだが――


 なんだ?


 何かがおかしい。

 現在、俺の脚にしがみついているのは、間違いなくブラピのはずなんだ。

 他に、周りに誰もいなかったし。

 そうすると、俺よりもすこし大きめの体格のおっさんということになる。

 ……なるのだが、どう考えても、俺の脚にしがみついているモノ・・は俺よりも小さい。

 何が起こっている?

 もしや、第三者?

 ギルドの援軍?


『いや、そんなこと考えているのならさっさと見ろよ』


 ――と思うかもしれないが、顔が痛くて目を開けられない。

 倒れた時、草や砂なんかが目に入ったのだろうか?


「ふぅ……やれやれ、おさまったかい?」

「……は?」


 ちがう。

 ブラピの声じゃない。

 女の声だ。

 それも少女の。

 なんだ? どういうことだ?

 まさか本当に第三者?

 しかし、こんな草原に少女なんていなかったし、仮にいたとして、こんな所で何を?


「……立てるかい? ダイスケ?」


 名も知らぬ、少女(ぽい)子が俺の名を呼ぶ。


「な……!? 誰だ! なんで……俺の名を!?」

「悪かったよ。突然、『腹を括れ』なんて強い言葉を使ってしまって……ただ、そうでも言わないと君の事だから、ショックを受けると思ってね」


 声の主がそう言って、俺の脚を解放する。

 俺は手さぐりになりながら、なんとかしてその場に胡坐をかいた。

 しかし、まだ視界は――


「……おや、目を開けられないのかい?」


 ガサゴソ……。

 なにかをまさぐるような音。

 そして――


「わぷッ!?」


 冷たい。

 なんだ?

 この顔を流れていくものは……水?

 俺はいま、顔に水をかけられているのか?


「動かないでくれ、いま水筒の水で君の顔の汚れを洗い流しているところだ。少ないんだから、あまり無駄にはさせないでくれよ?」


 まるで子どもに言い聞かせるような言い方。

 この話し方は間違いなくブラピだ。

 だが、声が全然違う。

 あの爽やかで、すこし鼻声なダンディ声は一体どこへ?

 ……変声期かもと思ったが、そんなことあるわけがない。


「……はい、もう大丈夫だ。どうぞ、ゆっくり目を開けてみてくれ」


 目の周りの異物感が消え、ぼんやりと俺の視界に光が差す。

 そしてぼんやりと、目の前の少女の輪郭もはっきりしていく。

 すこし赤みがかった白く長い髪。

 前髪は眉の下でまっすぐに切り揃えられており、瞳はうす紫色。

 そして体は俺よりも小さく、衣服は……着ていた(よかった)

 服は小ぶりの胸が強調されているような、ワンピースのような服を着ている。

 ドイツとか、そこらへんの国の女性給仕が着ている服、ディアンドル……だっけ? 

 それによく似ている。

 しかし、あの小汚いおっさんはどこへ?

 そんなことを考えていると――


「この姿で君と話すのははじめてだね」

「へ?」


〝この姿〟って言ったか、この少女。

 ということは……もしかして――


「じゃ、じゃあ、君は本当に、あの……ブラ……」

「いや、ブラピはボクの数ある名前のうちのひとつ。つまり、偽名だよ」

「偽名……? まぁ、たしかにそんな感じはしていたけど……って、いやいや、そういうことじゃなくて!」

「改めて、自己紹介をしよう」


 少女は一歩下がると、俺に向かって小さくお辞儀をしてきた。


「ボクの本当の名はアンジェリーナ……」

「ゲ。ま、まさか……」


 ブラピと来てアンジェリーナって――


「アンジェリーナ・ジ――」


 嫌な予感が的中する。

 後に続く名前が容易に想像できた。

 俺は両手で耳を塞ぐと、あえて苗字のほうは聞かないようにした。


「――だから、ボクのことは気軽に〝アン〟と呼んでくれ、転生者くん」


 ……ふぅ。

 どうやら、自己紹介は終わったようだ。

 大丈夫、俺は何も聞いていない。


「あ、ああ、わかった。……アンちゃん」


 それにしても、だ。

 まさか小汚いおっさんの中身がボクっ娘美少女だったなん――


「あれ?」

「うん? どうかしたかい?」


 ちょっと待て。

 この子ども……アンと名乗った、この少女。

 さっきなんて口走った?


「……あの、さ。アンちゃん」

「ダイスケ。気持ちはわかる」


 アンはそう言うと、その小さい手の平を俺に向けてくる。


「……けど、〝ちゃん〟付けはよしてくれ。くすぐったい」

「ご、ごめん」

「いいよ。さあ、改めて用件を聞こう」


 完全に向こうのペースだ。

 しかし俺は、さっきの言葉が頭の中で渦を巻いていて、それ以外は考えられない状態だった。


「その……俺のこと、なんて……?」

「なに、とは?」

「俺の……その、正体について……」

「正体? ……ああ、君、転生者なんだろう?」

「え?」

「女神が遣わせた、異世界の人間……なんだよな? あれ? ちがうの?」

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