100年後に転生した私、前世の従騎士に求婚されました 陛下は私が元・王女だとお気づきでないようです／一分 咲

第一章 ここは百年後の世界②

「それにしても……まだ六歳の子どもだったなんてね」

　熱にうかされて『アレクシア』の記憶を取り戻（もど）してから数日後。シェイラは書斎の机に座り、足をぶらぶらさせていた。前世では絶対にしたことがない仕草が自然と出てしまうことに、この自分はアレクシアではなくシェイラなのだと改めて思う。

　部屋の隅（すみ）にある鏡には自分の姿が映っている。はちみつ色のキラキラとした滑（なめ）らかなロングヘアに、ローズクオーツを思わせる柔（やわ）らかな瞳（ひとみ）。

　転生したのだから外見は全く違（ちが）うものになると思っていたが、シェイラ・スコット・キャンベルはアレクシアの幼少期にそっくりだった。

（もしアレクシアの子どもの頃（ころ）を知っている人に会ったら面（めん）倒（どう）なことになりそうだけれど……偶（ぐう）然（ぜん）にもお母様はアレクシアと髪（かみ）や瞳の色が同じなのよね。怪（あや）しまれずに済みそうだわ）

　風邪が治り、気が付くとアレクシアとシェイラの記憶は一つになっていた。

　転生者の言い伝えは聞いたことがあったものの、これほどまでに前世の自分も今世の自分もどちらも自分なのだと自然に認（にん）識（しき）できるとは。

　前世の記憶が目覚めて以来、シェイラは気が付くとどうしてもこの書斎に来てしまう。

　女王・アレクシアの治世が書かれた近代史の書物は、その中にかつての自分たちがいるようで。覚えのある名前や地名が書かれた数ページを繰（く）り返し眺（なが）めては、シェイラは今日もため息をついていた。

「文明に関しては……百年経ってもなかなか変わらないものなのね」

　長い時間を経ているのに、この国の文明はあまり変わっていなかった。しかし、それは予想できた範（はん）囲（い）のことでもある。

　プリエゼーダ王国の社会を成り立たせているものは『魔（ま）法（ほう）』だ。貴族しか使えないそれは、彼らの地位をより高める結果ともなっていた。この国を統治する彼らが、自分たちの優位を脅（おびや）かすものの進化を許すはずがない。

（室内灯のように、魔力を込めなくても使える道具の開発は進んでいるみたいだけれど……。改良して飛（ひ）躍（やく）的な進化を遂（と）げるのは阻（そ）害（がい）されているみたいね）

　前世の悩（なや）みをそのまま持ち越（こ）した現状に、ふう、と肩（かた）を落とす。

（……そして、他（ほか）にもまだ問題が）

　コンコン。

「！　はい！」

　シェイラは、手元の分厚い資料をサッと閉じると机の端（はし）に寄せる。そして、あらかじめダミー用に準備しておいた子ども向けの絵本を広げた。

　ノックの後、顔を出したのは使用人のパメラだった。

「こちらにいらしたのですね、シェイラお嬢（じよう）様（さま）。お兄様お姉様がたとお庭で魔法の練習をするお時間ですよ。加わらなくても……せめて、ご覧になってはいかがですか？」

「……すぐに行くわ」

　だだをこねることなく椅（い）子（す）から下りたシェイラを見て、パメラは意外そうな表情を浮（う）かべている。手には上着とシェイラが好きなビスケットの瓶（びん）。きっと、お菓（か）子（し）で釣（つ）って庭まで連れていくつもりだったのだろう。

「大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）よ。逃げたり、お兄様やお姉様と喧（けん）嘩（か）をしたりはしないわ」

「お嬢様……」

　気（き）遣（づか）わしげなパメラへ微笑（ほほえ）み返すと、シェイラは階段を下りた。

　貴族の家に生まれた子どもは、物心がつく前に魔力を目覚めさせる。そして、文字が書けるほどの年（ねん）齢（れい）になると国から派（は）遣（けん）される魔（ま）導（どう）士（し）のもと、魔法の訓練がはじまるのだ。

　風邪（かぜ）をひいて寝（ね）込（こ）む前までのシェイラは、この『魔法の練習の時間』が一番嫌（きら）いだった。

（熱にうかされて目覚めた時から、何となく気が付いていたわ）

　覚えのある、空っぽの感覚。間（ま）違（ちが）いなくシェイラのこの身体には、魔力が秘（ひ）められていない。恐（おそ）らく前世の最後、限界を超（こ）えたありったけの魔力を使ったからなのだろう。

（でもいいの。だって、百年も経ってしまってはこの手で反逆者に一（いつ）矢（し）報（むく）いることさえできないもの）

　さっきまで読んでいた資料には、反逆者の処遇が書かれていた。

　──プリエゼーダ暦（れき）八五二年の冬、制圧軍によってその場で処（しよ）刑（けい）、と。

　たしかに、国民や城に被（ひ）害（がい）はなかった。けれど、大切に守ってきた弟や側（そば）仕（づか）えたちの日常は失われ、愛した人を奪（うば）われた。

　それなのに、自分の感覚ではたった数日ですべてが終わってしまっている。悲しみや憤（いきどお）りを共有できる相手すらいない。

　拳（こぶし）を振（ふ）り上げたいのに、怒（いか）りのやり場がどこにもなかった。

「遅（おそ）いぞ、シェイラ。お前は魔法が使えないんだから、早く来て練習しないとだめじゃないか」

　庭に到（とう）着（ちやく）してすぐに浴びせられた長（ちよう）兄（けい）ルークからの厳しい言葉に、使用人のパメラが立ちはだかる。

「ルーク様、お言葉ですがシェイラ様は病（や）み上がりです。ベッドから出られるようになったのはつい昨日のことですわ。今日の訓練は見学でいいと旦（だん）那（な）様が」

「何だと？」

「いいの、パメラ。……遅くなってごめんなさい」

　パメラが口を挟（はさ）んだことに眉（まゆ）をつり上げた兄を見て、シェイラは力なく謝罪する。パメラや自分の立場を考えて、こうするのが一番正しいと分かっていた。

　シェイラ・スコット・キャンベルの身の上は、かなり複雑だった。

　元々、このキャンベル伯（はく）爵（しやく）家には両親とシェイラだけが暮らしていた。それは、シェイラの中に残る幸せな記（き）憶（おく）である。

　けれど、シェイラが三歳の時に大好きな母親は他界。その後、一年も経（た）たないうちにこの家で暮らし始めたのが継（まま）母（はは）と義（ぎ）兄姉（きようだい）である。

（お父様は、私が寂（さび）しくないようにと考えてくださったのでしょうけれど）

　四歳と二歳上の義兄たち、同じ年齢の義姉（あね）。そして、継母。

　決して意図したものではないにしろ、彼らの存在はシェイラの居場所を奪っていった。

　生まれつき魔力を持たず母親を亡（な）くしたシェイラは、両親からは『可哀（かわい）想（そう）な子』として同情され、義兄姉からははみ出し者として扱（あつか）われている。

（魔力がないと分かっていて練習するなんて、馬鹿（ばか）げているのにね）

　心の中で悪態をつく。けれど、絶対に表情は崩（くず）さない。義兄から冷たい言葉を投げかけられても、不満を表に出さず健気（けなげ）な姿勢を貫（つらぬ）くのは自分の味方であるパメラのためだ。

　魔法の練習の時間と言えば、家族の中で一人だけ魔法を使えないシェイラが、魔法の先生や兄姉たちからの言葉に耐（た）える時間だった。

「先生を待たせてはいけないぞ。お前は本当に駄（だ）目（め）だな」

「……」

　シェイラがしおらしくルークに謝ったのを見て、次兄のジョージも眉を吊（つ）り上げる。兄をほぼ真似（まね）しただけの言葉をシェイラは無視する。さすがに、二度同じ理由で謝る気はない。

「なっ、お前」

　シェイラに無視されたジョージの顔は真っ赤だった。取るに足らない妹のくせに。彼の顔にはそう書いてあるけれど、すんと微笑んでかわす。

　そこに割り込んだのは、シェイラと同じ年齢の義姉だった。

「お兄様、シェイラが魔法を使えないのは分かり切ったことでしょう？　そんなにいじめないで！」

「……ローラお姉様」

　白っぽく陽（ひ）に透（す）けるプラチナブロンドに、継母そっくりのルビーの力強い瞳。シェイラを庇（かば）っているはずなのに、その言葉選びはどこか刺（とげ）々（とげ）しい。

「シェイラ、そんな呼び方をしなくてもいいの。だって私達同じ歳（とし）よ！」

　義姉ローラの、六歳とは思えない妖（よう）艶（えん）にも見える美しい微笑み。ローラは誰（だれ）が見ても可（か）憐（れん）な少女だけれど、シェイラの中のアレクシアからすると若（じやつ）干（かん）の底意地の悪さが透けて見えていた。

（でも、仕方がないことかもしれないわ。ローラお姉様はお母様とお兄様、そしてお父様を私にとられたくないのよね）

　義兄二人の言葉はストレートすぎてむしろ爽（そう）快（かい）だが、ローラの視線は微笑んでいるはずなのにシェイラに痛く突（つ）き刺（さ）さる。

「いいえ。お気遣いありがとうございます、ローラお姉様」

　軽く膝（ひざ）を曲げて淑（しゆく）女（じよ）の礼をすると、一（いつ）瞬（しゆん）だけ彼女の口の端（はし）がぴくりと上がるのが見えた。シェイラの美しい挨（あい）拶（さつ）が気に入らないらしい。当然だろう。これはわざとで、女王仕込みの所作なのだから。

「さあ、みなさん、はじめますよ」

　会話が途（と）切（ぎ）れたところで、ずっと黙（だま）っていた先生がポケットから紙を取り出す。彼は国からの委（い）託（たく）をうけ、貴族の子どもたちに魔法を教え歩く魔導士である。

「先生、まず、先週分の復習をしていて生じた疑問についてお答えいただけますでしょうか」

「ええ、いいですよ」

　先生の許可を得ると、ルークはシャツのポケットから四角く畳（たた）んだ紙を取り出した。その白い紙には魔（ま）法（ほう）陣（じん）が描（か）かれている。

「ここの描き方なのですが。どちらの線を使ったらいいのかと」

「ああ、そうですね」

　精（せい）霊（れい）が支配するこの国では、貴族として生まれた者のほとんどにそれぞれ相応の魔力が与（あた）えられる。魔法を使う時は、その魔力をもとにある手段によって発動させるのだ。

　その手段というのが、この魔法陣である。

　魔法がうまく発動するかはすべてこの魔法陣によって決まる。たとえば、ごく簡単な内容の魔法であれば魔法陣はごくシンプルになる。つむじ風や小さな火を起こす程度のものなら、子どもでも正しく描くことが可能だ。

　けれど、難しい魔法になればなるほど魔法陣の線や数字は複雑化し、器用さを持ち魔法数学に明るい人物でなければ正しく仕上げることはできない。

　街に行けば魔法道具屋でさまざまな種類の魔法陣が売られている。百ゼーダ、パンを一つ買える程度の安価で購（こう）入（にゆう）できるものから王都の外れに小さな家が買えるほど高価なものまで多種多様だ。

　魔力を持つ者はあらかじめ描かれた魔法陣を携（けい）帯（たい）し、必要に応じて魔力を込めて使う。

　ちなみに、戦場で使われるような危険な魔法陣は一（いつ）般（ぱん）に流通させることが禁じられているし、描ける者自体が少なかった。

「では、先週それぞれに出した宿題の魔法陣を使ってここで発動させてみましょう」

　先生の言葉に、兄姉たちが魔法を発動させていく。

　まず、次兄ジョージはつむじ風を起こして庭の木を揺（ゆ）らす。すると、たくさんの木の実が降ってきたのでシェイラはあわてて拾いに走った。

　あらゆるものを精霊が支配するこの国では、自然の恵（めぐ）みを無（む）駄（だ）にするのは言語道断である。

「あ……シェイラ、悪い」

　落ちてきたのは、春に生（な）るハルキイチゴだった。そこら中に甘い匂（にお）いがする。

「あとで、お母様にお願いしたらジャムにしてくれるかしら！」

　少し遠くから聞こえるローラの声を背にハルキイチゴを拾っていると、意外なことにジョージも拾うのを手伝ってくれた。

　この家の兄妹（きようだい）はシェイラに厳しいが、ジョージだけは少し違（ちが）う。兄の真似をしてきつい言葉を吐（は）きつつ、こうして助けてくれたりもするのだ。もっとも、今回に関しては彼の魔法が原因なため当然なのだけれど。

　次に行われた長兄ルークの魔法は、土の中の草だけを焼き切るというマニアックなものだった。これからの季節、領地の種まきが始まることを見（み）越（こ）してのものなのだろう。さっき先生に魔法陣を見せて確（かく）認（にん）していたので、当然成功した。

「つぎは、ローラ嬢（じよう）の番ですね」

「はい！」

　ローラに与えられていた宿題は『小石を浮（う）かす』魔法だった。彼女も兄たちと同じように紙を両掌（てのひら）にのせて魔力を込める。

　けれど、目の前の小石はびくともしない。

「あれぇ？」

　素（す）っ頓（とん）狂（きよう）な声を聞き、シェイラはローラの手のひらに置かれた紙に視線を送る。

　前世、シェイラは魔法陣を描くことが得意だった。そのせいで、無意識のうちにその初歩の魔法陣の欠（けつ）陥（かん）を探してしまう。

（何かが足りないはず……あ）

「ローラお姉様、ここに線がもう一本必要ではないでしょうか」

「ああ、本当ですね」

　シェイラの助言に答えたのは、ローラではなく先生だった。

「簡単な魔法陣ですが、この線だけは省略してはいけません。むしろこの線だけを描けば発動しますよ」

「……はぁい」

　シェイラに間違いを指（し）摘（てき）された格好になってしまったローラは頬（ほお）を膨（ふく）らませる。

　無事、小石はふわりと浮き上がったのだった。

「ねえ」

「はい、ローラお姉様」

　魔導士の先生による授業が終わって屋（や）敷（しき）内に戻（もど）ろうとしたところ、ローラに声をかけられた。

「シェイラって魔力がないだけじゃなく、魔法陣を描くのも下手だったわよね？」

　義兄たちは先に戻ってしまい、庭を歩いているのはシェイラとローラだけ。二人きりになると、ひどい言い草である。

「……偶（ぐう）然（ぜん）です。この前、書（しよ）斎（さい）で読んだ本に同じ魔法陣がのっていたのです」

「ふぅん。次に余計なことを言ったらただじゃ置かないからね」

　幼さを感じさせない低い声でローラは言い捨てると、走って行ってしまった。

（ただじゃ置かない、って……はぁ）

　シェイラには、子ども用の魔法書が与えられていない。そもそも魔力がないのだから不要だろう、という継（まま）母（はは）の判断のせいだ。にもかかわらず、魔導士を招いて行う訓練には参加しなければいけない。

　このローラの態度といい、父親の無関心さといい、シェイラを取り巻く環（かん）境（きよう）にはなかなかひどいものがある。

（だけど彼女の中に『怒（いか）り』はないのよね、不思議と）

　シェイラは幼い自分の記（き）憶（おく）を辿（たど）る。意外なことに傷ついた自分を何とか慰（なぐさ）めようとする労（いたわ）りの感情しか出てこなかった。

　アレクシアの記憶を目覚めさせるまでの彼女に、この家族への怒りはない。ただ、いつも沈（しず）んでいく気持ちをなんとか奮い立たせようとしていた。

　別に諦（あきら）めているわけでもなくて、極（きわ）めて前向きに。

（なんだか……私は不思議な子みたい）

　つい数日前に経験したばかりの絶望を持て余していたシェイラは、生まれ変わった後の自分の強さに好感を持っていた。