第50話

 夜が更けていく中、外を見ると知らない車が停まっていた。金貸が僕を見張っているのだった。


 いよいよ逃げ場なく八方塞がりとなった。逃げ場がなくなると、死が差し迫ってきたように思えた。誰でもない。僕自身の死が。

 死は間違いなく救いであるが望みではない。恐れながら求める様は相反しているようでありトートロジーのようでもある。どちらも僕にとっては苦しみであり、決めねばならいが、決めかねる。逃避。モラトリアム。しかしいつかは選択しなければならない。今ここで死ぬか、なんとかして生きるか。ずっと同じ事を考え続けるも、答えが出る気配はない。


 そんな折に外から言い争いが聞こえた。一方は先程部屋の扉を滅多打ちにし、暴言を吐きかけた声。もう一方は、知らない声だった。再び窓の外に目をやると、車の持ち主が警察と対峙していた。諍いは激しさを増していったが、車は警察とともに去って行き、男が一人残った。



 考える間もなかった。

 僕は包丁を手にしたまま扉を開けて、鍵もかけないまま走った。しかし足が動かない。身体は重く、肺が潰れそうになって、息が止まる。数メートも進まないうちに僕は捕まり身体が密着すると、手に熱いものが触れた。男の腹に僕が持っていた包丁の刃が包まれ、鮮血が滴っていた。

 ぶつぶつと肉を割いている感覚が伝わる。咄嗟に包丁を引き抜くと、血肉が吹き出し、深紅に染まる水溜りができあがった。



 身体中に飛び散った男の血が、火傷しそうなほど熱かった。

 手にした包丁が鉛のように重かった。


 

 倒れ込む男をじっと見る。街灯に照らされ、死体になりつつある男を。



「死ぬのは僕じゃない」



 はっきり声に出すと、夢に落ちた時と同じ浮遊感が訪れた。どうにも現実味のない、酩酊に似た夢見心地だった。死ぬ事も生きる事もできなかった僕が人を殺したという現実。受け止めるには、時間が必要だった。



 もしこの時、部屋に戻るなり警察に話すなりしていれば、まだ人としての道が閉ざされなかったかもしれない。殺した罪は消えないが、償うために、生きていけたと思う。


 けれど、僕はそうしなかった。


 血に塗れたまま、暗い道を、薄い街灯が並ぶ道を、僕は進んだ。足取りは軽く、羽根のようだった。

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