第51話

 星は出ていなかったように思う。

 街灯の、薄めた卵黄のような光ばかりが降り注ぐ中で探し物をしているように彷徨う。もしかしたら逃げているように見えていたかもしれないが、どちらも当て嵌まり、外れている。僕自身どちらか分からなかった。分からないから彷徨っていたのだ。



 きゃあという悲鳴が聞こえた。

 女が僕を見つけて固まっていた。

 彼女は一人だった。

 派手な服にヒールの高い靴を履いて、顔を青くさせていた。



 身なりからして、また様子からして夜を生業としていると分かる。これまで僕が金を払って買っていた、心の中では僕を侮辱していた、金のない僕を愛してくれない女の一人だった。


 手にした包丁を硬く握る。一体化した弱者の仮面が「許せない」と呟く。一眼見て、百年の憎悪と復讐心が芽生え、殺さなければならないと確信する。人を殺し、自由を手にした僕であればそれが許されると思った。


 走る。

 女は逃げたが、高いヒールが正確な動作を阻害して倒れた。「助けて」と何度も叫ぶ姿といったら哀れで、ざまぁないと心中で罵る。これまで僕を虚仮にしてきたから、ずっと見て見ないふりをしてしたから、愛してくれなかったから。だから死ぬのだ。殺されるのだ。僕の手により、命を落とすのだ。





 彼女の悲鳴は今でも覚えている。小さい頃に叩き殺したネズミの断末魔に似ていて面白かった。

 包丁で何度も傷を増やしていくと、口から血を噴き出しながら、「どうして」「どうして」と繰り返し、最後に小さく息を吐き落とし血溜まりに沈んだ。身体中に浴びた彼女の血はやはり熱く、冷めきっている僕に彩りを与えるた。名も知らない女が、名も知らない男に殺されるというその事実が僕に喜びを与えてくれた。復讐という喜びを、怨讐のままに生きる快楽を!





 人が集まり、ざわめきと悲鳴が一つになっていた。死んだ女の叫びに寄ってきたのだろう。先程までの軽快さが消え、どっと疲れた。僕は女の死体の横に寝そべり血に塗れる。


 血は少しずつ、少しずつ冷たくなっていく。けれど、それでもなお、流れ続けるのだった。

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