案外話しかけてみると面白いやつは一定数いる。好転換は突然に。

「虹村、これも頼んだぞ。」


 嘲るような笑みをこぼしながら、俺のデスクにいくつかの書類が載せられる。ちらりと見てみれば、誰かが無責任に受けた案件の仕様書だった。


「部長…、ちょっと待ってください。帝泉グループの案件、ほとんどうちに流れてるんですよ?その状況で、そっちまで手まわせませんよ。」

「はぁ。あのな、虹村。これも、もとはといえば帝泉の案件だ。ほかの会社にとられそうだったのを、俺が必死こいて集めてきたんだ。それをお前は台無しにすんのか?違うよなぁ?できるよなぁ?」


 業界のトップを走っていた帝泉グループ。先日、社長が亡くなったことで上層部がすげ変わり、業務方針が不安定になったらしい。その影響で、帝泉の背を追っていた鞍井カンパニーは今度こそ覇権を握ろうと帝泉のクライアントを根こそぎ奪っている。

 単純に仕事が増えるだけでなく、今までとは毛色の違う業務まで入り込むことになるので、ここひと月の作業量は格段と増えていた。


 ため息をつきながらも、仕事である以上進めるしかない。慣れない仕事に苦戦しながらも、ひとつづつ処理していく。花寺は帝泉のクライアントから仕事をもらうために電話に張り付きっぱなしだ。結局、あのお飾り部長がやった仕事など、俺に書類を回しただけである。


「虹村先輩、ここの数字なんですけど…。」


 声をかけてきたのは、端のデスクにいる陰山だ。目元を隠すような前髪の長さ、常に猫背の姿勢を崩すことはなく、いつも目線があちこちに飛んでいる一つ下の後輩だ。もともとは、ネットワークエンジニアとしての採用であり、俺の普段業務であるシステム開発とは少し違う。

 デスクも離れているため話す機会がなかったが、新たに割り振られた仕事の中にはネットワーク関係や環境構築といった仕事も含まれている。データの確認に来たのだろう。


「ああ、これはNEファイルって名前つけてるやつにデータ入れてるから。確認してくれ。」

「あ、いや…。えと…。」


 言い忘れていたが、俺たちが所属する部署は、普通の部署ではない。最初に配属されたところで問題を起こした社員を寄せ集めて作られた部署である。形式上は総合雑務課と名付けられているが、体のいいゴミ箱である。

 俺も陰山も、当時の上司に気に居られなかったために、この部署に左遷を受けた。陰山は極度のあがり症で言葉をつっかえつっかえ話す癖がある。おそらくそのせいだろう。


「て、手伝わせてもらえませんか?」


 どもりながらも陰山は必死な顔で言う。いつもなら断るところだが、ことネットワーク関係の仕事に就いては、彼の方が詳しいだろう。


「ありがとう。メールでファイル送っておくから、出来そうなやつ受けてくれないか。」

「わ、わかりました。」


 ……なんとなく、仲良くなれるのではないかと期待してしまった。子供じゃあるまいし。


「珍しいな。虹村が人に任せるなんて。」

「まあな。最近、人を頼ることは悪いことじゃないって教えてもらったから。」


 電話を終えた花寺が珍獣でも見るかのような顔で俺の顔を眺める。悠の顔を思い浮かべて薄ら笑いを浮かべていると、汚物を見る目に変わった。


「それより、飲みにいかないか?久しぶりに、さ。」

「……りょーかい。ちょっと待ってもらうけど、いいか?」

「へ?いいのか!?うん。いくらでも待っててやるよ。」


 悠が学校に通い始め、最初の数か月は他の生徒よりも授業時間が長い。さすがに深夜になるわけではないが、俺が残業しているときと同じぐらいの帰宅時間になることもあるのだ。夜道を彼女一人で歩かせるわけにもいかず、俺が迎えに行っているのだが、定時帰宅では時間が合わないのだ。


 しかし、無理に残業するわけにもいかない。かといって一度帰ってから迎えに行くのは非合理である。車で行くわけでもないから少し酒を入れても構わないだろう。


「またせたな、花寺。行くか。」

「ああ、お疲れ。」


 休憩室でコーヒー片手に待ってくれていた花寺に声をかける。ビルの中央エレベーターに向かうと、遠くからでもわかる猫背の男がいた。


「陰山、お前も今帰りか?」

「あ、お、お疲れ様です。帰る前にどっか飲みに行こうと思って。」

「……一人でか?」

「あ、はい。すいません…。」


 俯いて視線を落としたまま恥ずかしそうに笑う。すると、花寺が「私がおごってやるから、一緒に行かないか?」という。


「いいんですか?俺、結構飲む方ですけど…。」

「それは勘弁してほしいな。部長補佐と言っても、安月給だからなぁ。」


 軽口を叩きながら飲み屋街を歩く。自分たちと同じように店を探しているのかスーツを着崩したサラリーマンが多い。


「すいません。三人でお願いします。」

「らっしゃいませー。お好きなせきどーぞー!!」


 適当に目についた居酒屋の戸を開けると、タバコのにおいと炭の臭いを一身に浴びた。花寺が先導してくれて店の半ばごろの座席に就く。陰山は何やら必死な様子でメニューを見ていた。


「俺は…生でいいかな。」

「じゃあ、私も。陰山はどうする?私たちに合せたりはしなくていいからな。」

「いや、こっちの方が…けど…居酒屋のクオリティって考えると……」


 仕事の時よりも真剣な表情でメニューを見つめており、俺たちの様子などみじんも気にした様子はない。意外な一面に花寺と顔を見合わせていると、ようやく決まったのか、顔をあげた。


「俺は一回カシオレ挟みますけど、お二人は?」

「お前待ちだよ。」

「すいませーん。カシオレ一つと生二つ。」


 つまみに頼んだ枝豆とフライドポテトをかじりながらビールを飲み干す。基本炭酸水かエナドリしか飲まない俺だが、ビールの独特の感触は好きだった。陰山は早くも二回目のカシオレを飲み干しており、いつの間にか俺たちと同じように生ビールを飲んでいた。


「えらくハイペースで飲むんだな。」

「俺、酒好きなんですよ。あ、熱燗頼んでいいですか?」

「アハハ。上司と飲みに来て熱燗か。面白いなお前。良いぞ飲め飲め。焼酎とかいける口か?」


 こうして馬鹿みたいに飲んでるやつを目の前にすると、自分の酒は逆に進まなくなるというものだ。楽しそうに酒の良さを語る陰山の隣で、ちびちびと飲み進めていった。


……to be continued

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