家で勉強するほうが捗るけど、なんだかんだ学校の雰囲気の方が好き。人によるけど。

「量さん、起きてください。」

「んん…。今日は休みだろ……?」


 あまい匂いが鼻をくすぐり、ハンモックのように揺れるベッドが心地いい。フワフワとした意識の中ゆっくりと目を開けると、さかさまになった悠の顔が目の前にある。


「あ、そうか。俺、悠に膝枕してもらったっけ。」

「はい。朝食を作るので、どいてほしいです。っていうか、せっかくですからそのまま起きましょうよ。」


 なんとなく逆らう気に慣れず、そのまま起き上がる。切りそろえられた髪の毛が揺らめいているのを見ると、触れてみたいと思い手を伸ばした。


「なんですか?」

「ううん。なんでもない。」


 悠の正面に立つと、少し怒っているような表情で頬を膨らませる。

 朝食を作ると言っているのに、俺が何度も邪魔をするのでご立腹らしい。「量さん?おこりますよ!!」と可愛らしく不満を告げる彼女を正面から抱きしめる。


「もう…。遅くなっても知りませんよ?」


 力強い抱擁に対するように、悠の手が俺の背に回される。そのまま彼女の腕は持ち上がっていき、背中を撫であげて後頭部へと差し掛かった。


 撫でる?さする?

 何と言うべきかは分からないが、とにかくそんなようなことをされながら、彼女の柔らかい肢体を楽しむ。それから十分ほど彼女に抱きしめられていると、不意に手を離された。


「ご飯、食べましょ?」


 目玉焼きとトーストという軽い朝食を済ませると、リビングのソファで横になる。彼女の荒いものが終わったら、買い物に行く予定だ。


 朝のニュースを眺めながら、忙しそうに家を歩き回る彼女を目で追う。悠が来る前は自分で家事をやっていたが、今ではすっかりお邪魔虫になってしまった。

 手伝おうにも、彼女なりのやり方があるわけで…。無理に手を出すのは合理的じゃない。


「量さん、これ量さんのクローゼットにしまって来てください。」

「はい。」


 母親の手伝いをする子供のように、悠の言いなりになってしまう。面倒だという気持ちもあるが、それ以上にわけもわからない嬉しさを感じた。


「お待たせしました。行きましょうか。」

「おお。で、今日は何買うの?」

「うーん。洗剤と卵、あと生理痛用の薬も買っていいですか?」


 薄茶色のワンピースを翻しながら、振り返る。その様は儚い落ち葉のようで、思わず彼女の手を取っていた。大丈夫…。悠はここにいる…。


「量さん……。あ、あとノートも買いましょうか。」


 一瞬つないだ手に目を逸らし、明かるげな表情を取り繕って手を握り返される。

 きっと、いなくなるとしたら悠じゃない。俺の方だ。


 微かに浮かんだ考えは確信となり、おぼろげな妄想を吐き出すことにした。けれど、それは今じゃない。悠の空元気に水を差してまで言うべきことではない。


 食品売り場で野菜を吟味する彼女から離れて、足早に本屋に向かう。手に取ったのは高校の教科書。それといくつかの参考書。


 いま彼女は、ネット通販で買った教科書モドキ一冊だけで勉強している。他の本を買おうとしても、彼女がこれで十分だと断ってしまうせいで買ってあげられずにいた。

 しかし、俺の中で状況が変わった。悠を失わないために、やるべき義務が見えてきたのだ。


「量さん、どこ行ってたんですか?」

「ううん。ちょっとな。」


 家についても、なかなか話を切り出せず、彼女の名を呼んでは適当な話題でお茶を濁していた。何度炭酸水でのどを潤しても、渇いてしょうがない。柄にもなく緊張しているのだろうか?

 我ながら滑稽である。


「……は、悠。」

「はい?」


 しょぼい教科書片手に不親切な数学の問題を解いているはるかに買ってきたものを見せる。それと一緒に通・信・制・高・校・の・パ・ン・フ・レ・ッ・ト・も。


「こ、これは……?」

「隣町にある通信制の高校だ。悠が本気で勉強したいと思うなら、こういう選択もあると思う。」


 通信制と一口に行っても、入学時期から卒業、授業内容、必要条件などは様々だ。

 なかでも、この高校は自由度が高いことで有名らしく、芸能人や声優、子役なども若干名いるらしい。また、障がい者や両親のいない子供たちも多く入学しており、全日制と変わらない授業形態を選択することもできるらしい。


「悠が将来やりたいことを見つけるには、ここはぴったりだと思う。一年留年するより、こっちの方が合理的だ。」

「けど、お金は……。」

「当然俺が出す。けど、施しじゃない。無利子で貸すという形はどうだろうか。返すのにどれだけかかってもいい。」


 パンフレットに映る校舎を見つめながら、彼女は目を伏せた。


「どうして、そこまでしてくれるんですか?女の私が出来ることなんて、たかが知れてるじゃないですか…。それとも、私は必要ないですか!?」


 邪険にされていると感じたのだろうか。だとしたら間違いだ。


「俺は、君がいてくれると癒される。母親からもらい損ねた愛情を君から受け取っているような気がしてやまないんだ。膝枕も、ハグも、手料理も、家事の手伝いも。全部、全部うれしいんだ!!」

「じゃあ、ずっとそれだけでいいじゃないですか!?なんで…?」


 俺も悠も、居心地のいい今の環境に甘えて口に出せずにいたのだ。

 通信制の高校なんて、もっと早く思いついていいようなものだった。けれど、彼女が普・通・を知ることで俺の下から離れて行ってしまうのではと恐れた。


 そして、彼女も、自分が普・通・の・子・供・になることを恐れた。


「俺は合理で動く。けど、その前に大人なんだよ!!子供が子供で居られないなんて、認めない。」

「……わからないです。なんで、非合理に憧れるんですか!?」

「そっちが、楽しそうで、キラキラしてて、宝石みたいだったから…。」


 バカみたいなことで騒いで、仕事ができないことにヤジを飛ばし合って、嫌いな上司の愚痴を言い合って、別に美味しい訳でもない安酒を持ち寄って、信頼できる同僚や面倒を見てる後輩を連れて閉店ぎりぎりまで居酒屋に入り浸る。

 そんな何処にでもいるようなサラリーマンに憧れた。


 どうして自分はそうなれなかったのかと後悔していた。過剰に仕事を引き受けるのも、誰かが助けてくれるのではないかと期待してのことだ。……誰にも助けを求めなかったのは自分の方だというのに。


 合理なんて言葉は、俺を守る鎧であると同時に枷でもあったのだ。


「悠は、俺みたいに間違えてほしくない。君が、毎日一人で勉強する姿を見ていると、いつかの自分を見ているようで胸が苦しくなるんだ。だから、これは俺のエゴともいえる。」

「どうしても後ろめたいと思うなら、断ってくれていい。」


 机に置かれた教科書たちから目を離し、まっすぐと俺を見つめる。悠の凛とした視線に同じように目を返す。薄桃色の彼女の唇が動いて


「私は…



……to be continued

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