ショート:ちょっと全肯定要素が薄いので補充しておきますね。ちょいシリアスある

「やっと……。終わった…。」


 金曜日の夕方。すでにほとんどの社員がいなくなったオフィス内で小さくつぶやく。数日前、限界ぎりぎりだったときに抱きしめられて以来、悠とまともに話せていない。

 というのも、それほどまでに忙しいのだ。


 せっかくすぐそばに癒しがあるというのに、それに縋れないというのはつらい状況だった。

 だが、それもこれもこれからの休日のための布石と思えば、我慢できる。この土日は悠と買い物に行ったり、好き放題眠ったり、白鯨とゲームをして。


「また、悠に抱きしめてもらいたい…。」


 ふと漏らしてしまった欲望に恥ずかしさを抱くが、彼女の優しい笑顔を思い出すと、恥よりも喜びが勝る。

 重い足取りを引きずるように歩いて駅まで向かうと、同じようにぐったりとした様子のサラリーマンたちがベンチに腰かけていた。彼らもまた、家に希望があるのだろうか。かすかにその顔は明るい。


『今日はカレーです。リクエストしていたカレーうどんは明日にしますね』


 悠からのメッセージに顔がほころぶ。


「ただいま。」

「おかえりなさい、量さん。お疲れ様です。ご飯できてますよ。」


 香しいカレーのにおい。いつも食べるパウチのカレーではなく、しっかりと鍋で煮込まれているであろう強烈な香りだ。疲れのせいで特に空腹を感じていなかったが、キッチンに近づくにつれ強くなるスパイスの香りに胃が刺激される。


 けれど、それよりも……


「悠、疲れた…。」

「もう!量さん、危ないですよ…?」


 悠に触れているだけで、ストレスが吸収されるかのように抜けていく。彼女の髪から匂う花のような香りが麻薬のように俺を依存させて抗えない。


「頭…撫でて…。」

「えぇ……。この体勢じゃ無理ですよ。ほら、椅子に座ってください。」

「うん。」


 彼女に言われるがままダイニングに椅子に座る。悠の双丘が視界に入り目のやり場に困っていると、妖艶な笑みを浮かべながら「後ろからにしますか?」とささやかれる。


 何も言えず首肯すると、また悠は微笑んだ。どうやら、俺は彼女の笑顔に弱いようで、合理的に並べ立てた言い訳も、悠の細い指が髪を梳く感触と共に流されて行った。


「悠。本当にありがとう。」

「なんですか急に?…けど、いいんですよ。今の私の生きる意味は貴方だけですから。」

「重いなぁ。……でも苦しくはないよ。」


「よりかかっていい柱なんて、私にはありませんでしたから。加減が分らないんです。」


 悠の温かな手を握り返す。自分を大人にするために身に付けた合理の鎧は、彼女が寄りかかる障害になってしまう。脱ぎ方を教わらなったはずなのに、彼女はそれを支えてくれる。


「ああ、幸せだ。」

「私もです。」

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