第20話 トレモロ

 真っ暗だった。それは俺が今まで過ごしてきた長い長い夜の世界のように。暗い闇の世界。



 琴と出会ってから日が差したかのごとく明るくなった世界とは全く違う。


 そんな世界に俺はもう行けない。


 もう琴に会うことができない。


 短かったが、充実した人生だった。琴という素晴らしい人に出会うことができた。そして誰にも負けないくらい幸せだと言える時間を共に過ごした。


 心残りがあるとすれば、地球だ。意識が消えるとき、スラファトが止まったように見えたが、気のせいだったら大変だ。


 それにしても、なんだか眠い。もうすぐ死んでしまうのだろう。この思考も自分が気づかないうちに止まってしまうのか。それはなんだか寂しいな。


 俺を呼ぶ琴の声が聞こえる。


まさか。幻聴に決まってる。


 琴、悪い。俺はもう死んでしまうんだ。 


 この宇宙の塵となって漂い続けるんだ。


 それでも琴の幻聴が聞こえる。幻聴にしては妙にリアルな幻聴。いや、待て。これは本当に幻聴なのだろうか。


 というか、俺は意識を失ったはず。今俺が考えていることはなんだ? これは意識があるということじゃないか?


「…………昴介!」


 さっきよりもはっきりと声が聞こえる。


「昴介!」


 俺はそこで目を覚ます。


 目の前に琴の顔があった。いや、琴が俺の体を抱いていた。


「……琴?」

「良かった、目を覚ました!」


 琴の目から零れる涙が粒となって宇宙空間に散っていく。しかし、そんなのを見ている場合ではない。呼吸が……あれ?


「息ができる?」

「魔法の実を無理やり飲み込ませたの。また息ができるようにしておいた」

「ありがとう……でも、琴、こんなところに来たら、息が出来ても死んでしまうぞ! 元いたところに戻る方法がないじゃないか! 」

「いいの! あんな所にずっといなきゃいけないなら、死ぬ運命だとしても昴介と一緒にいる方がいい! 地球も無事だし、もう何も悪いことはないよ」


 辺りを見渡すと、思った通り、スラファトは止まっていた。


 そして、地球は真横にあった。


 その地球の端から向こう側にある太陽の光が見え始める。


 久しぶりに見る太陽の眩しさに目を細めながら、


「綺麗だ……」


 と呟く。


 俺はその美しさに見惚れてしまう。スラファトのことなどどうでもよくなってしまうくらいに美しかった。


 琴の言う通り、二人で寿命が尽きるまでここにいたい。


「今、地球には朝が来てるんだね」


 琴が囁いた。


 スラファトの手によって壊されずに済んだ地球。ちゃんと朝が来てよかったと心底思った。


 そして、俺たちは朝が来ないまま死んでいく。それでも、最後に琴と地球の朝が見られて良かった。


「もう一度、地球から見たかったね」

「そうだな」


 俺は琴の頭を抱き寄せる。


 いつかは二人にかかっている魔法は解けるだろう。


 それでもいい。


 今、俺たちは世界で一番幸せなのだから。









 昴介を追いかけて宇宙空間へ飛び出した琴を、リゲル、ベガ、スラファトの三人は茫然として見つめていた。


 そして一番最初に我に返ったスラファトが二人に声をかける。


「俺が助けに行く。二人はしっかり背中に捕まっておけ」


 そう言うと、星だったスラファトの体がみるみるうちに人間体になり、リゲルとベガはその大きな背中に捕まった。


 スラファトは宙を掻き、必死に昴介とシェリーの方へ進む。星にしかできな技術だ。


 スラファトは自慢の力でどんどん二人との距離が縮めていく。


やがてスラファトの大きな腕が二人を捕らえた。

 








 俺たちは何者かに捕まった感覚に気づき、背後に首を向ける。スラファトがいた。背中にはベガさんとリゲルさんも捕まっている。


「お前、今度は何を!」


 俺が残っている力で声を張ると、形相は変わらないが落ち着いた声で、


「決してお前を助けるためじゃない。俺は娘を助けたかっただけだ」


 と言い、琴の頭を撫でる。


「地球という星は許せない。人間という奇妙な生命体を生み出し、そいつらを操ってアレースを、ああ、お前が住んでる地域では火星と言ったか、火星の体をめちゃくちゃにいじっている」


 それ聞いて、俺は地球にいた頃に見た火星開拓のニュースを思い出す。


「アレースは宇宙でトップクラスの薬剤師だ。ベガの病気を治す薬はどこにも売っていない。だけど、アレースは特効薬を作ることが出来る。それなのに、お前ら人間がアレースの腕を鈍らせた。もう、あいつは薬を作れない。そのせいで、ベガの病気をすぐに治してやれなかった」


 初めて語られる、スラファトが人間を嫌う理由に耳を傾ける。


「アレースが駄目となったら、他を探すしかない。色んな星を周っては、薬を作るように頼み、断られる。これを何十年も繰り返した。幼い娘と、動けない妻を置いて、宇宙をさまよった」

「お父さん……? まさか、いつも何も言わずに出かけていたのは、そのため?」

 琴の問いに、スラファトは力強く答える。

「当たり前だ」

「ちゃんと、お母さんのことを想っていたんだね……。ごめん。お父さんこそ何もしてないって言ったことや、私は自分のことしか考えてなかったこと。謝りたい」


 琴はスラファトに抱かれたまま、深く頭を下げる。


「おい、親に向かって頭を下げるな。俺だってお前に不自由させて悪いと思っているんだぞ」


シェリー、とスラファトは話を続ける。


「星と人間は寿命が違う。それに生物と非生物。お前が思い描くような生活はできないかもしれないぞ。それでもこの男と一緒にいたいか」


 スラファトは真剣に琴を見つめ、それに応えるように琴もスラファトの目をしっかりと見た。


「うん。それでも私は昴介と一緒にいたい」

「そうか……」


 今度は俺の方を見て、


「俺は人間という存在を認めるわけにはいかない。アレースを傷つけ、ベガの病を悪化させた事実は消えんからな。だが、お前のような、愛する人のために身を粉に出来る人間がいることも知った。俺の娘はそんなお前を選んだ。娘の気持ちは尊重してやりたい、というのが親というものだ。お前はシェリーを幸せにできるか?」


 その問いに俺は迷わず答える。


「できます。そして彼女も、俺を幸せにしてくれます」

「よし。事実、俺は一度お前に負けた。全ての人間が悪いわけではないということを頭の隅に入れておこう」


 その言葉を聞いたベガさんとリゲルさんは、声に出ない笑みを浮かべ抱き合い、琴は泣きながら俺に抱きついた。


 俺だけが瞬時に理解できなかった。


 この男は今、何と……?


 俺の中で現状を理解するより先に、琴が言葉で教えてくれた。


「やったね、昴介! 認めてもらえたよ!」

「俺たち、また今までみたいになれるのか……?」

「そうだよ!」

「また二人で生活できるのか?」

「そうだよ!」

「いや」


 そこでスラファトは口を挟む。


「人になれる魔法の期間は一年。地球で暮らすなら、シェリーは一年に一度こっちに戻って来なければならない。とても非合理的だ。だからと言ってお前が宇宙で暮らすわけにはいかないだろう」

「いや、俺がこっちで生活します。魔法の実も食べたし、大丈夫です」

「話を最後まで聞け。お前がこっちで暮らせないわけではない。だが食料はどうする? 魔法である程度はどうにかなるとしても、体への負担が大きい。息が出来ようとも健康でいることが出来ないならば駄目だ。数年でくたばるぞ。それはシェリーが望むことじゃない」

「じゃあ、どうすれば……」

「『星の祭典』に毎年来ればいいんじゃないかしら」


 次はベガさんが提案する。それにスラファトもリゲルさんも頷く。


「それがいい」


 一年に一度、『星の国』で俺と琴は出会える。


 どこかで聞いたような話。そうだ、まるで七夕じゃないか。


 でも、それでも琴と会えるなら、何でも嬉しい。


 俺は誠意を込めてスラファトたちに頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 太陽の光が俺たちの姿を明るく照らしていた。

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