第19話 犬飼昴介

 昴介と出会ったあの日のことは今でもよく覚えている。


 リゲルから教えてもらった魔法で無事に編入手続きを済ませて、夢に見た学校生活が始まった一週間後のことだ。


 昼休み、弁当を食べ終えた彼は授業の予習をするでも、仮眠を取るでもなく、ただ窓から外を眺めていた。


 何を考えているんだろう。想像することができないくらい「無」という言葉が似合う雰囲気だった。不思議な人だな、と思った。


「琴、何見てんの? 話聞いてる?」


 新しくできた友達に声をかけられ、こっちの世界に戻ってくる。


「ん? 何も見てないよ。何だっけ、かぐや姫の話だっけ」

「いや、全然違うし。七夕物語だし」


 とみんなが笑う。


「そうかそうか。それ別の話だった」


 そうだった。私は文化祭の劇のヒロインに選ばれたのだった。今はそれに集中しなければ。


 午後の授業時間を使った練習が始まる。今日は体育館で詳細確認をしながら、通し練習をするらしい。


 更衣室で衣装係が作ってくれた衣装を確認していると、羽衣がないことに気が付いた。きっと教室に忘れて来たのだ。さすがに通し練習で衣装が揃っていないのはまずいだろう。


「ちょっと、忘れ物取りに行って来る」


 私は隣で着替えている子に「他の子にも伝えといて」と言って、制服を着なおし、更衣室を出る。


 教室に着くと、誰もいないはずなのに誰かが中にいた。窓からこっそり中を覗くと、正体は例のあの不思議な子だった。確か、犬飼昴介って名前だった。


 何をしているのかと、しばらく観察をしてみた。


 すると面白いことに、彼はまず三つの椅子を出し、それらを並べてから上に寝転がった。


 吹き出しそうになるのを堪えるために、両手で口を抑える。


「え、寝た?」


 彼を起こさないようにそっと扉を開けて中に入る。


 ゆっくりと近づいて、上から彼の寝顔を覗き見た。


 面白い寝顔だ。いや、面白いというのは悪口ではなくて、授業中などとは違って渋った顔の寝顔だが、それでも何を考えているのかわからないところは一緒だなと思ったのだ。


 見飽きないので、ずっと眺めていると、


「うわああっ」


 と、彼はみっともない声を上げて椅子から落ちた。


 すごく痛そうだが、大丈夫だろうか。


「痛った……」


 やはり。しかし、笑ってはいけないと、できるだけ真顔であろうと試みた。


「犬飼君、だっけ。何してるの」

「別に。少しサボってただけ。そっちこそ、ヒロインなのに何しに来たんだよ。練習はどうしたんだ?」


 私自分の机の上にある羽衣を手に取った。


「忘れ物。あと、少しサボろうと思って」


 別にサボる気なんてなかったけれど、もう少しこの人と話してみたかった。話題作りというやつだ。


「それで教室に来てみたら、なんか犬飼君が椅子を何個も引っ張り出してたから見てた」

「え?」


 彼は目を丸くする。


「最初からずっと見てたの?」

「うん」

「何もせずにずっと?」

「うん」

「何分くらい?」

「十分くらいかな」

「なんで?」

「寝顔が面白かったから」

「おい、それどういう意味だよ」


 あまりの会話のテンポの良さに我慢しきれず、私は笑い出してしまた。


「いやあ、犬飼君って面白いね」


 ああ、私はこの人が好きなんだろうなあ、と感じた。


 恋愛は全くしたことがなかったけれど、これが恋なんだと確信した。


 きっとこの人がいたら毎日が楽しい。そんなときめきだ。


 告白されたときの記憶も鮮明に残っている。


「綾織琴さん。好きです。俺と付き合ってください」


 あまりにストレートな告白で、自分が言われたことを理解できずに、一度、

「え?」と聞き返してしまった。


「だから、その。琴が好きなんだ」


 丁寧に二回も言ってくれてる。いや、告白してくれてることはわかってる。でも、体が熱くなって言葉が見つからないのだ。


「え? え?」


 それしか言えない。


 よし、一度整理しよう。


 私は、今、好きですと言われたようだ。


 付き合ってください、とも言われた。


 え、まさかこれ、星の世界でも体験したことがない告白?


 私、告白されたんですか。夢に見た世界で夢のような人に告白されるなんて、

こんな喜ばしいことがあっていいのだろうか。しかし、私の正体は星だ。正体を隠したまま、付き合うなんて失礼なことはできない。だけど、私はこの不思議な人に少し惹かれている。この気持ちは止められない。


 もし、期限の一年までに別れるのなら。私は彼の告白を断らなくて済む。そして、彼に正体を隠さなくても済む。私は昴介と楽しい時間を過ごせる。


 せっかくお父さんのことを忘れられる一年だ。お母さんは心配だが、必ず戻ったらリゲルさんに治癒魔法も教えてもらうから、今は楽しく過ごしたい。


 私は言った。


「こういうとき、何て言えばいいのかわからないけど」


 私は言った。


「実は私も気になってた。好きです」


 それからは幸せな日々だった。今まで真夜中だった生活に朝日が差し込んで来たかのようだった。


 仲良くなって、自分たちのことをよく話すようになると、昴介も悩みを抱えていることがわかった。


 この世界が息苦しい、と。一生懸命に毎日を生きていたら気づいたら寿命で死んでしまいそうで、頑張れないと。頑張ることができないと言っていた。


「でも、琴に会えてから生きやすくなった。世界が変わったわけじゃないけど、琴は俺に夢のような世界を見せてくれる」


 私もそうだ。昴介が見せてくれる幸せがたまらなく好きだ。


 この日々が終わらないでほしい、と思い続けていたら彼と別れることが出来ずに期限の日を迎えてしまった。


 地球で生活する最後の日でもあるデートの日。私は帰りに別れの言葉を言おうと思った。


 でも言えなかった。どうしても別れたくなかった。昴介がいない生活なんて耐えられないと思った。だけど、現実は甘くない。私は星に戻ってしまう。


 どうにか絞り出した言葉は、


「ありがとう」


 それだけだ。


 私を好きになってくれてありがとう。


 私を幸せにしてくれてありがとう。


 さよならは言えない。また会いたいから。


 泣きながら、LINEのアカウントを消して、戸籍やクラスメイトの記憶も消した。地球人に鮮明に自分の記憶を残させてしまったときにしなければならないことらしい。

でも、昴介にだけはできなかった。


 私のことを覚えていてほしかった。


 私も覚えているから。


 ……だから、こうしてまた出会えたのは本当に運命だ。


 それなのに、


「絶対に離れ離れにならないって言ったじゃんか」


 私は腕の中で眠る昴介に向かって言う。


「ねえ、起きてよ。昴介。私とおしゃべりしようよ。ねえってば!」


 肩を揺らすが、揺れに合わせて頭が動くだけで目を覚まさない。それでも、私は名前を呼び続けた。


「昴介! 昴介! 起きてよ昴介!」

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