明畑くんは謎を解く!

「謎の文字列」

 明畑くんがポツリとつぶやく。

「そうなの! 変なのばっか! 例えばね……」


 受付にあったメモに、今まで見てきた文字列を列挙する。「お名前は?」から「CFALP342」まで全部。


 すると明畑くんがポツリと一言。

「……こんな意味の分からん文字列をよく全部覚えてられたな」

「えっへん! 私一度見たものは記憶できるのです!」


「あー、道理で」

 明畑くんがため息をつく。

「君、授業中ノートとってないもんな。黒板見ただけで覚えられるのか」

「そう! 神様にもらった私の才能!」


 そうなのだ。私は見たものを細部まで記憶できる。小さい頃、交通事故に遭ったらしくて、その辺りの記憶が曖昧だけど……以降、私は自分の見聞きしたものは全部覚えてる。もちろん条件はあって、同時に提示された情報はどちらかを著しく忘れるし……だからじゃんけんの判定が苦手……、過集中と言って周りが見えなくなるまで集中しちゃうことはあるけれど。


 ……ってあれ? 明畑くん、私がノートとってないことを知ってるってことは、まさかまさか、授業中私のこと……。


 いやー! 何それいやー! 私が明畑くんのこと見てる傍で明畑くんも私のこと見てたの? いやー! 何それ恋の予感ー! 


「ほ、ほら、明畑くんミステリー好きだから、こういうの好きかなって」

 メモを示す。ほらほら、ミステリーだよー! 明畑くんの大好きなミステリー! 


 しかし彼はそっぽを向いた。

「別に興味ねーよ」

 沈黙。あ、黙っちゃった。何かしゃべらないと……と思っていると彼が立ち上がった。


「書架整理行ってくる」

 その場を立ち去る明畑くん。あれれ。私失敗しちゃったかな。何がいけなかったんだろう。


 ま、いいか。明畑くんとしゃべれたし。


 その日はそれで満足した。明畑くんとしゃべれたことが嬉しくて、その日の受付業務はニコニコ笑顔で対応できた。いい一日だった、と思う。


✳︎


「真穂子、明畑くんはやめときな」


 ある日のお昼休み。

 一緒にお弁当を食べていたユキちゃんがムッとした顔を私に向けてきた。


「え? アケハタクン?」

 しらばっくれる。でもユキちゃんはお見通し。


「好きなんでしょ」

「えー! 何で分かったのー?」

「北京原人でも分かるね」


 ユキちゃんは卵焼きを食べながら微笑んだ。しかし温かいムードはそこまでだった。


「私、明畑くんと同じ中学だったから知ってるんだけどさ」


 と、急に声をひそめるユキちゃん。何々、内緒話? もしかして明畑くんの秘密情報? 好きー、そういうのー。


 しかしその後に告げられた話は、あまりポジティブな内容ではなかった。


「明畑くん、中学の時ガラの悪い女子グループに目をつけられてさ。いじめられてたんだよ。今でこそ背伸びたけどさ、中学の時はちっちゃくて」


「えっ、明畑くんがいじめに……?」

「うん。だからさ、女子からプリントもらう時とか、シャツの袖で指が触れないようにしてるでしょ。進行方向に女子いたら遠回りしてるし、絶対女子と目を合わせないし」


 い、言われてみれば……。

 明畑くんの方から私に声をかけてきたことはない。私が声をかける。

 明畑くんは絶対私の隣に座らない。私が座りに行ってる。

 明畑くんは私と目を合わせない。私が覗き込みに行ってる。


「あんた最近明畑くんにちょっかい出してるからさ。多分それ、すっごい嫌がられてるよ」


 チラッと明畑くんの机を見る。


 彼は誰とつるむわけでもなく、本を片手にサンドイッチを食べていた。大きな背中。その上で不規則に動く頭。彼が女の子にいじめられてたなんて、とても信じられない。でも優しい明畑くんだから……。


「どうしよう」

 気づけば声に出ていた。

「嫌がられてたかな」


 ユキちゃんがため息をつく。


「残念ながらそうかもねぇ」


 そうかぁ。


 俯いてご飯を食べる。母は食品衛生上、いつもお弁当に梅干しを入れていた。小さな星みたいな梅を箸でつまんでカリカリとかじった。何だかとても、酸っぱい気がした。


✳︎


 それから意識的に明畑くんと距離を置いた。


 目を合わせないように。話しかけないように。近づかないように。


 私の存在が明畑くんを傷つけるかもしれない。私のせいで辛い記憶や、嫌なことを思い出してしまうかもしれない。


 そう思うとたまらなく苦しくなった。辛い思い出に襲われる経験は、私にもあるから分かる。


 小学生の時。飼育委員でウサギの世話をしていたら「ウサギの糞」と男子にからかわれバイ菌扱いされた。それがだんだんクラスに広まって、気づいたら私は一人で……。


 あの時の記憶は本当に嫌で、神様の贈り物のせいか今でも鮮明に記憶が蘇って呼吸が浅くなる。心臓が狭くなる。頭がくらくらする。


 同じ思いを明畑くんがしていたら。


 悲しくなった。


 何が明畑くんに元気をあげるつもりで、だ。私の存在が明畑くんを傷つけていたんだ。私が無理に接しなければ明畑くんは穏やかに過ごせたんだ。私が話しかけたその日は明畑くんにとって厄日だったんだ。図書委員も私となんて組みたくなかったんだ。私なんて無関心どころか心底嫌いな部類だったんだ。私なんて……私なんて……。


 なるべくおとなしく図書委員の仕事をした。ミスをしても自分でリカバリーした。明畑くんの手を煩わせないようにした。明畑くんが私に近づかなくていいようにした。慎ましく、静かに、空気になれるように努めた。そうすべきだと思ったし、それが私にできる一番の愛情表現だった。何度も彼の顔を見そうになったけど、唇を噛んで我慢した。


 そんなある日、赤本のエリアを整理していたら、不意に肩を叩かれた。偶然にも、私が明畑くんに抱き止められた場所だ。


「木村」


 びっくりした。

 明畑くんだった。


 変な声が出る。だって意識して明畑くんと距離を置いていたのに、意識して明畑くんに負担をかけないようにしていたのに、明畑くんの方から急に、しかも肩とは言えボディタッチを……。


「分かったぞ」


 低い声。お腹の底に響くような。


 で、でもどうしよう。このままおしゃべりしたら明畑くんに負担かかるよね。距離置かなきゃ……。


 しかし明畑くんは続ける。

「この間の落書きのことなんだが……」

「あ、あ、それ、いいから!」

 ようやくそれだけのことを告げる。

「き、気にしないで。本当に! 何でもないから! ごめんなさい!」


 逃げようとする。

 だってこのままだったら私も明畑くんも辛い思いをするし、私のせいで明畑くんが苦しむなんて絶対嫌だし、私が視界に入るだけで明畑くんが嫌な思いするなら、いっそ私なんて透明に、空気に、二酸化炭素に、なれたらいいのに……。


 しかし力強い何かが手首を掴んだ。振り返る。明畑くんが、私の手を取っていた。


「せっかく謎が解けたんだからさ」

 そろりと、彼の顔を見る。

 嫌じゃないかな。不快じゃないかな。苦痛じゃないかな。

 彼のムスッとした顔からは何も分からない。でも彼は、真っ直ぐに私を見ると告げた。


「話聞いてけよ」


 断る理由は、ない。

 私はおとなしくその場に立ち尽くす。


 明畑くんが深呼吸して、それから話し始めた。

「最初の落書き、〈お名前は?〉はそのままだ。名前を聞いてる」

 それから淡々と、明畑くんは続けた。

「次。〈RedCDOLP176〉。これが厄介だった。さっぱり意味が分からない。でも糸口があった。『Red』だ。これってさ、もしかしたら……」


 私の背後を指さす明畑くん。そこには……当然ながら……赤本があった。


「赤本じゃないか? そう思って考えてみたんだ。『Red』が赤本だとしたら、続く文字列はおそらく大学名だ。さらにその後には学部名が続く可能性が高い。そしてもうひとつ共通点」


 と、明畑くんは胸ポケットから一枚の紙切れを取り出してきた。それはいつか私が彼に見せた、机に書かれた落書きの文字列の一覧だった。


「これ」

 明畑くんがメモを示す。

「どの文字列も数字の前に『P』がつく」


 言う通りだった。


 WSOPSAEP297

 AEPAHSP148

 MFALP358

 MFOPAEP225

 CFALP342


 どれも数字の前に「P」が入る。


「『赤本を示している可能性がある』とすれば、この『P』は『ページ』だ。続く数字はページ番号。以上より、この文字列は『赤本の特定のページを指している』ことが分かる。では『どの赤本か?』。それが『P』より前の文字列だ」


 うちは一応、進学校だ。

 明畑くんはそう前置きしてから話し始めた。


「この図書室に置かれてる赤本も、MARCHや早慶上智のものが多い。さっきの文字列が赤本を示しているなら、先頭の文字は大学名、続く文字は学部学科。ひとまず大学名は分かりやすそうだな」


 明畑くんはメモを示す。


「『C』は『中央大学』だ。『W』は『早稲田大学』、『A』は『青山学院大学』で『M』は『明治大学』か? そうだと仮定して、それぞれ学部を考えてみる」


 明畑くんは続く文字列を示した。


「例えば最初の〈RedCDOLP176〉だ。これは『中央大学何とか学部のページ176』であることが想定される。となると『DOL』は学部だな。おそらくだが英語だ。考えたり調べたりしたんだが、『Department of literature』、つまり『文学部』じゃないか。そう思って調べてみた」


 明畑くんが私の背後に手を伸ばした。赤本の本棚から、中央大学文学部の本を取り出す。


「『P』がページを指すなら176ページだ。開いてみた。そこかしこに線が引かれている。主に単語に線が引かれてるな。まぁ、赤本だしそういう使い方はするかもな。最初、これだけじゃ分からなかった。でも線を引かれている単語の先頭を取ってみたんだ。そしたら……」


「た」

「じ」

「ま」

「よ」

「う」

「た」


 明畑くんはチラッとこちらを見てくる。


「最初の〈お名前は?〉という落書きに対し〈RedCDOLP176〉。これが指していたものは『たじまようた』だ。名前っぽいな。一応意味が通じる。そんな調子で解読していった。こんな感じだ」


 WSOPSAEP297は「早稲田大学政治経済学部……School of Political Science and Economics」

 AEPAHSP148は「青山学院大学教育人間科学部……Education , Psychology , and Human Studies」

 MFALP358は「明治大学法学部……Faculty of Law」

 MFOPAEP225は「明治大学政治経済学部……Faculty of Political Science and Economics」

 CFALP342は「中央大学法学部……Faculty of Law」


 それぞれ赤本を引っ張り出して該当するページを読んでみた。いつでも消せるようにだろう。シャーペンで線が引かれていて、その単語の頭を拾うと……。


「そういうことだ」

 明畑くんがため息をついた。

「文通だな。ちょっと変わった」

「すごい……」

 私は少し感動していた。


 あんなに少ない手がかりから、こんな華麗な推理をする。素直にすごいと思った。尊敬した。私が明畑くんを好きなことを差し引いてもすごい。かっこいい。何て綺麗で、アクロバティックな……。


「まぁ、こんなもんだ」

 と、俯く明畑くん。赤本を閉じ、それぞれ棚に戻す。それから萎んだような背中で立ち去ろうとした。しかし、しかし私は。


「待って」

 今度は私が明畑くんの手を掴む番だった。彼が振り向いた。私は一生懸命、言葉を口にした。


「今までごめん。明畑くんが女の子苦手だって知らなくて、たくさん嫌な思いさせたと思う。仕事でも役に立たないし、私のフォロー、本当に嫌だったよね。私、ダメな人間だから。でも、これからは一人で頑張る。ミスしても一人で取り返す。だから明畑くんは、いつも通りっていうか、嫌な思いしないように、穏やかに、楽しく過ごして欲しくて……」


 すると明畑くんは静かに私のことを見つめ返してきた。でも私はその目を見つめちゃいけない気がして、じっと上履きの先を見ていた。そんな私に、明畑くんの声が届いた。


「こっち見て」

 何だか、掬い上げられるような声だった。


「まず、嫌な思いはしてない。確かに、僕は女子に苦手意識はあるけど、女子がみんな悪い人間だなんて思ってない。次に、木村が仕事で役に立たないなんてことはない。木村はディスプレイや陳列が上手いと思うし、誰とでもにこやかに接することができる君は受付の仕事に向いていると思う。最後に、一人で頑張らなくていい。僕だって頑張るから、協力させて欲しい。だからこんなこと言うと気持ち悪いかもしれないけど、出来れば、これからも一緒に、仕事をしてほしい」


 それから明畑くんは、意を決したような口調になると、こう告げた。


「僕、何かしたかな。ここのところずっと木村が僕のことを避けている気がして……」


 私はすぐさま否定した。


「違う。違うの。私が明畑くんにとって負担だったら嫌だなって、そう思って、距離を置こうとしていただけ……」


「じゃ、じゃあ……」


 沈黙。

 あ。黙っちゃった。

 何か言葉を……そう思った時だった。


 まるで木の葉の間からお日様が差し込むように……そっと、優しく、輝くような、そんな微笑みが私に向けられた。明畑くんの笑顔だった。


「僕のこと嫌いじゃないならさ、今日、一緒に帰ろうぜ」


 ぽかんとする。何て返したらいいか分からない。普段ならこんなこと言われたら、飛び上がって喜んでいたのに……。

 すると沈黙が気まずかったのだろう。明畑くんが頭を掻いた。


「もちろん、君がよければ、だけど……」


 そこでやっと、私は私の言葉を見つけた。


「……うん! 一緒に帰ろう! 私、明畑くんが好き!」


 言ってから気づく。

 やば。勢いに任せて告白しちゃった。


 でも、それでも優しい明畑くんは、にっこりと、今度は青空に輝くお日様みたいな、ひまわりみたいな笑顔を私に向けて、口を開いた。


「よろしくな」


 場所は図書室だった。だから私たちのやりとりも、本当に静かなものだった。


 静寂の中、どちらからともなく指を絡めた。幸せが胸いっぱいだった。スカートの裾が膝をくすぐった。


 大好き。

 今度は静かにそう告げた。

 

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明畑くんとしゃべりたい 飯田太朗 @taroIda

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