5日目 休日は横浜デート ③

    ◆


 帰宅したのは結構いい時間だった。

 三月中旬とはいえ、夜はそれなりに涼しい。

「この部屋、綺麗な夜景が見れるのよ」

 中条さんがふと思い出したように窓のカーテンを開けた。

 そこから見えた夜景は大変綺麗だった。

「本当ですね……」

 マンションの十一階から見える夜景はとてもきらびやかで華やかだ。

 自宅からこんな夜景が毎日見れるなんて羨ましい。

「この景色を眺めながら飲むワインは格別よ」

 僕が景色に釘付けになっていると、中条さんが窓の横にある棚から一本のボトルを取り出した。

 ボトルから見える色からするに、赤ワインだ。

「ワイン、お好きなんですか?」

「そうね、たまにたしなむ程度だけど。蓑田君は?」

「僕はあまり飲まないですね」

「せっかくだから、一緒に飲まない?」

「うーん……」

 僕は酒だのワインだのの大人の飲み物に抵抗を感じてしまうたちなのだ――

 待った。

 アルコールが入れば、中条さんが内に秘めた想いを吐き出してくれるかもしれない。

 普段なら絶対に聞き出せないような、愚痴とか弱音とか……。

「せっかくですから、いただきます」

 普段酒類は飲まないけど、アルコールに強いのか泥酔したことはない。多少酔ってもシラフと変わらぬ姿勢を貫く自信はある。

 我ながらよろしくない思惑を持ってしまったけど、アルコールが思考回路をかき乱すのが全て悪い!

 ワイングラスを二本手に取った中条さんと一緒に座る。

 中条さんはボトルを開けてグラスに注いでくれる。

「すみません、僕の分まで」

「蓑田様は大切なお客様ですので」

 中条さんは茶目っ気を出して微笑んだ。

「じゃ、かんぱーい」

「か、かんぱーい……」

 ワイングラスを合わせてから二人でワインをあおる。

「苦みが強いですが美味しいですね。大人の味がします」

「そうね。上品な味わいだわ」

「結構お高いんですか?」

「そんなことないわ。三千円ちょいよ」

「それでこれだけ美味しいならコスパいいですね」

 僕はワインを舌で転がして味わう風流な心は持ち合わせていないけれど、ゆっくり丁寧に赤ワインの味を楽しむ。

 しばらくの間、二人でワインをあおる。無言だけど心地よい時が流れる。

 僕だけに許された中条さんと二人きりの空間。

「――ふぅ」

 中条さんが大きく息を吐いた。

 というかワイン飲むペース早いな。既にグラス三杯目だぞ。

「……蓑田君はさ」

 中条さんはワインを一口あおってから言葉をこぼした。

「どうして、私なんかのことを心配してくれるの?」

 先ほどの僕の言葉が引っかかっていたらしい。

「今日もそうだけど、昨夜だって」

「ええっ、起きてたんですか!?」

 中条さんは寝ていると思った僕は独り言を連発してしまったぞ。うっわぁ超恥ずかしい。

「蓑田君こそが私の被害者で、色々と不自由させてしまっているのに、私を心配してくれている。手錠で一緒になった日もそう――完全に私のミスなのに、私を坂町警部から庇ってくれた。いつも私の味方でいてくれる。ねぇ、どうして?」

 中条さんは酔いが結構回っているようで、言葉遣いこそ崩れないけど、口調は若干ユルユルになっている。ワインをたしなむのは好きだけど、アルコールに強いわけではなさそうだ。

「手錠で繋がれてからというもの、中条さんの色々な顔を見せてもらいました。真面目で透徹とうてつとしたオンモード、穏やかで優しいオフモード――するとどうしても情が湧いてしまうんですよね。もはやただの他人とは思えませんから」

「ただの他人でなければ、私たちの関係ってなに……?」

 中条さんはワイングラスを置いて、潤んだ瞳で見つめてきた。

「――戦友、ですかね」

 友達は違う。親友でもない。恋人は……中条さんに失礼だ。おこがましい。

 ならば、一蓮托生の今の関係は、「戦友」というワードが相応なのではないか。

「…………そう」

 お望みの回答じゃなかったのか、中条さんはしっくりきてないらしく、顎に手を当てている。

「なんか申し訳ないわ。心配させて、気を遣わせて。私なんかのために負担を強いて」

 気を遣わせてるのは僕の方もだけど、中条さんもそんな風に思っていたんだ。

 けど、物申したい点が一つ。

「私なんか、なんて言わないでください。昼間に同じことをこぼした僕をとがめてくれたのは他でもない中条さんじゃないですか」

 昼の中条さんの言葉。


『自分を卑下ひげする癖。あなたにはあなたが思ってる以上に魅力があって、あなたをいいなと思ってる女性もきっと近くにいる。だから、僕なんかなんて言わないでよ』


「嬉しかったんです。今までロクに友達もいなかったので、心のこもった叱咤しったをしてくれた人は初めてでした」

 今までの僕のままでは聞くことのなかった身近な人からの客観的評価。

 ――身近な人、か。もうすっかりそんな認識になってしまったのか、僕は。

「そうね、ごめんなさい。元は私が指摘したことだったわね」

 再びワインを赤い顔であおる中条さんはうつらうつらしつつも微笑みを作ってくれた。

 喋り方はシラフとほとんど変わらないところが彼女らしくて微笑ましい。

「――私ね、悩みがあるんだ」

「聞かせてください」

 僕が視線を向けると、中条さんは頷いてワインが残ったグラスをローテーブルに置いた。

「私はもうこれ以上あなたを――誰かを傷つけたくないと考えてしまうの。すると、決断が遅れて動き出すのも遅くなってしまって」

 やはり、僕を誤認逮捕してしまったがために自信を失っていたか。

「警察官という職業に就いている以上、誰かを守るためには誰かを傷つけるかもしれない覚悟は必要なんじゃないですか?」

 極端な話、刃物を持った犯罪者が一般人に危害を加えようとしていて、犯罪者に銃弾を放たねばならない展開だってあるかもしれない。

 話し合いの説得に応じるようなヤツならはなから人前で刃物を振り回したりはしないし。

「そうなんだけど……明らかに犯人と分かってる状況ならうれうことなく飛び出せるんだけど、犯人かどうか未確定な人物だと腰が引けてしまうの」

「一昨日の海野うみの美波みなみさんへの職質で足踏みしたのも恐怖心があったからですよね?」

 中条さんは弱々しくこくりと頷いた。

「またミスして自分が傷つくのが嫌だし、相手を傷つけるのはもっと嫌」

「職質程度なら問題ないですよ。というか怪しい人を見かけたら警戒するのが警察官の義務だと思いますし」

 海野うみの美波みなみさんの件は結果としては変装した身なりが怪しかっただけで、犯罪とは無縁の目的(お忍びで町にやってきただけ)だった。

「あっ、外野の分際で偉そうに警察官について語ってすいません」

「ううん、蓑田君の言う通りだよ」

 中条さんは目をつむって首を横に振った。

「あなたを誤認逮捕した時のようにまたやらかしたらどうしよう、無実の人に多大な迷惑をかけてしまったら――って考えてしまって足がすくむの」

 前科があると慎重になること自体は仕方がない。坂町警部からも釘を刺されてるしね。

 でも僕は彼女に自信を、僕に声をかけた時の堂々たる振る舞いを取り戻してほしいと切に願っている。

「手錠が外れてお互い別々に動けるようになるまでに克服したいところですけど、ひとまずは」

 僕は手錠の鎖を左手で握る。

「できる限り、僕があなたをサポートします。僕が――中条さんの左腕になります!」

 今は一緒にいるんだ。中条さんに託すだけではなく、僕なりにできることは全て協力したい。

「そこまでしてくれるなんて……」

「中条さんは一人じゃありません。僕が隣にいます。僕は、ずっとあなたの味方です」

「蓑田……君」

 彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。

 溜め込みすぎた想いとともに、許容量を超えた感情は美しい雫となってこぼれ落ちた。

 あぁ、僕がスマートなモテ男でかつ手錠さえなければハンカチで隣にいる女性の涙をぬぐえるんだけど。

「ごめんなさい……見苦しいものを」

 僕は首を横に振った。

「話してもらえて、素の中条さんを見せてくれて嬉しかったです。ありがとうございます」

 不思議だ……たった数日なのに、中条さんの公私両方を一緒に過ごしてるからか、親近感がすごい。中条さんなら、心を許せる自分がそこにいる。

「中条さんが、僕のことを少しは認めてくれた気がしました。あなたのことが、より身近に感じられるようになりました」

 僕の言葉に、中条さんは赤い顔でこちらを見つめてくる。顔が赤いのは果たしてアルコールのせいだけなのだろうか?

「蓑田く――あれ、どうして……あっ、そうか。手錠が……」

 中条さんは両手を広げようとするも、僕らを縛る手錠の鎖に妨げられた。

 ここでイケてるメンズであれば彼女の肩を抱き寄せるなり、身体を抱きしめるなりするのだろうけど、僕にはそんな甲斐性も資格もない。

 と、酔いが回ったのか、中条さんは目を閉じたまま固まってしまった。

「ここで寝たらダメですよ。ベッドに行きましょう」

「うん――っとと」

 立ち上がった瞬間によろめいた中条さんの腰を支えた。

「本当、いざという時に頼りになるね」

「わいせつ犯と間違われる程度の男です。大した奴ではないですよ」

 僕たちはお互い寄り添って寝室まで向かった。


「私、蓑田君に不満があるんだけど」

 ベッドに入ると、中条さんが開口一番にそんなことをおっしゃってきた。

「ですよね」

 僕に対する不満の十個や二百個あるに決まってる。

「昼間、顔についたクレープを取ってもらったの、私もしたかった」

「そ、そんなことですか……?」

「大事なことだもん!」

 がばっと僕の眼前まで迫って熱弁してきた。

「してもらうのも好きだけど、それ以上にしてあげたかったの! そこだけが不満!」

 どうやら中条さんはご奉仕の心が強いらしい。尽くすタイプだ。

「他にはないんですか?」

 他にもあるなら改善するために是非意見をお聞きしたい。

「残念ながらないなぁ」

 残念なんですか。

「――蓑田君、お願いがあるんだけど」

 僕が拍子抜けしていると、中条さんが甘い声を出してきた。

「なんなりと」

 僕が快諾するなり中条さんは身体を僕の方に向けて、僕の胸に右手を添えた。

「今日は、このまま寝てもいい?」

「……はい、いいですよ」

 僕的には緊急事態だけど、中条さんがそれを望むなら拒否する理由はない。というか、こんな甘えた仕草でおねだりされて聞き入れぬわけにはいかない!

「頭撫でて?」

「はい」

 昨夜と同様、中条さんの柔らかな頭を撫でる。

「うふふ」

 彼女は嬉しそうだ。

「今日はいっぱい甘えさせて?」

 そんな可愛いことを言われたらずっと撫で続けますよ!?

 僕は無言で頭を撫で続ける。了承のサインだ。僕も昼に中条さんに撫でてもらったしね。


 不思議なものだ。

 夜が織り成す雰囲気か、はたまたベッドの魔力なのか、この時間はお互いの気持ちを吐露とろしやすい。心をオープンにしやすい。

 散々昼寝したのに、僕も眠たくなってきた。

 こうして、二人一緒に眠りに落ちたのだった。

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