6日目 いづみさんの気持ち ①

「ふわぁ……」

 昨晩は窓のカーテンを開けっぱなしで寝ていたため、日差しに起こされた。

「蓑田君、おーはよ」

「おおっ!?」

 開けた視界には中条さんの顔がドアップで映り込んできて、思わずのけぞってしまった。

 先に起きていたのか。

 というか、いつから僕の寝顔を覗き込んでいた!?

 ……考えるだけ恥ずかしいのでこれ以上考えるのはやめた。

「そんなに後ずさらなくても。傷つくなぁ」

「す、すみません。びっくりしてしまって」

「私が近くにいると、そんなに嫌?」

 普段の彼女らしからぬ不安げな瞳を向けて上目遣いで見つめてくる。朝から刺激が強い。

「嫌ではないです」

 僕は彼女から目を逸らして答えた。

「よかったぁ」

 安心した中条さんは僕の肩に身を寄せてきた。

 ううっ、中条さんってば朝から刺激的な行為を……まさか、二日酔いの一種か!?

「むしろ――嬉しいです」

「……ええっ!? う、嬉しいの!?」

「あ」

 ポロッと本音を口にしてしまった。今更遅いけど、僕は自分の口をチャックした。

「も、もう……もう……っ!」

「今のはオフレコでお願いします」

 こそばゆい雰囲気になってしまった。


    ◆


「あ、あのさ。昨夜のこと、覚えてるよね?」

 朝食をとっていると、中条さんがおずおずと切り出してきた。

「覚えてますよ」

 まさか中条さんは忘れたとかないよね?

「そ、そう。私も、覚えてる……」

 彼女は真っ赤な顔で俯いた。

 お互いアルコールが回ってたとはいえ、赤裸々な彼女の話が聞けて有意義な時間だった。

「……今日はさ、部屋でのんびり英気を養わない?」

 羞恥心を消して気を取り直した中条さんが提案してきた。

「中条さんの指示に従いますよ」

「指示に従うって。私はあなたの上司ではないのだけれど? 休日にまで仕事を連想させないでよ」

「ごめんなさい」

 くすくすと笑う中条さんとともに、リビングのソファに座った。

 しばらくの間、適当にテレビ番組を流していたけど、

「ねぇ」

 中条さんがたんを発した。

「蓑田君はさ、どうして建築のデザインに興味を持ったの?」

 僕の話題だ。僕に興味が湧いてきたのかな? とか勝手に考えて舞い上がりそうになる。

「つまらない理由ですよ」

「それでもいいよ。というか、昨夜は私ばかり一方的に愚痴って蓑田君の話が聞けなかったし」

「了解です」

 僕は、自身の過去を語りはじめた――――


    ◆ ◆ ◆


 僕はそこら中に溢れている量産型の大学生だ。

 地味で目立たず、冴えないモブ男。

 そんな僕だけど、夢だけは高校生の頃から持っていた。

 僕の家庭は父親の仕事の関係で転勤族だった。僕に友達がいないのはそれも要因の一つだ。どうせすぐ引っ越すし、深い間柄になってもしょうがないと冷めた考えを持っていた。

 転勤が多いことは予め分かっているから、戸建て住宅や分譲マンションには住んだことがない。

 賃貸のマンションやアパートを転々としていた。

 一口に住宅といっても規模は大小様々で、造りにしても木造もくぞうだったり鉄骨造てっこつぞうだったり鉄筋てっきんコンクリートぞうだったりと多種多様だ。

 僕は次第にマンションやアパートに興味を持ちはじめた。

 不動産での内見や契約の際は僕も同席するようになった。内見の際に質問をぶつけることもあった。

 趣味で賃貸情報サイトにて様々な物件を眺めたりもしていた。今でもしてるんだけど。

 そうこうしているうちに建築デザインへの道に進みたいと考えるようになった。

 それが、高校一年生の時のお話。

 十六歳の段階で僕の進学希望先は決まった。

 鶴見つるみ美術びじゅつ大学だいがく

 この大学の建築科は高確率で建築デザイン関連の道へと進める就職実績がある。いわば夢への保証切符だ。

 僕自身がデザインしたマンションやアパートで一人でも多く快適な生活を営んでほしい。

 もちろんデザインだけが全てではないけど、内外観のデザインや間取りは住む上で重要な要素だ。

 両親も僕の夢をいいんじゃないかと応援してくれている。いい親を持ったと思う。

 ただ、僕の名前については大いに不満があるけどね! なんだよ、利己って。利己的の利己じゃんか。自己中をその名にしたみたいな名前。

 親は命名理由を「自己犠牲はせずにまずは自分の幸せを願って生きてほしい」とか言ってたけれど、僕は到底納得できないね。

 それはまぁおいといて。

 両親の後押しもあって、僕は夢に向かって近づけるよう大学で建築デザインを専攻しているのだ。


    ◆


「――それが、僕が建築デザインに興味を持った理由です」

 僕がつたない説明で過去を語り終えると、

「素敵――自分の夢を持って、その道に進もうとブレずにひたすら前を向いている。親御さんもとても理解があってよいご家族ね……!」

 中条さんは右手を胸に当ててなんともこそばゆい感想を述べてくれた。

 まるで僕の環境を羨むように。自分もそんな人生を歩みたかったかのように。

「褒めすぎですよ」

「今時明確な夢や目標がある人なんて、大学生でも多くないわよ。大体は興味がある学部に入学して、就職活動の時期にどんな業種、職種がいいか絞るもの」

 そういう人も多いだろうな。明確な夢があれば、進路で悩む要素が減る。何がしたいか、何が向いているかではなくて、夢を実現できる企業を探せばよいのだから。

「夢が決まってたから、夢に向かい続けてたからこそ、自ら手を伸ばさなかったことだってありますよ」

 例えば交友関係だとか、部活動での青春だとか、僕の人生で謳歌した記憶がない。

 女性とだって、こうして中条さんとともに過ごすまではほぼ雑談すらしたことがなかった。

 関わりがなければお互いに傷つけることもなく、平穏のままでいられると思っていた。

 僕が今まで散々「人畜無害」を自称してきたルーツはそこにある。

 けど、身近にいる人の人となり、いも甘いも知ってしまうと、ねぇ。

「いつか、蓑田君が設計した住宅を見てみたいな」

「その時は連絡しますよ」

 もしも、今後もあなたとの交流が続けられるのなら。

「話は変わりますけど、中条さんはなぜ警察官になったんですか?」

 折を見て、これだけは質問したいと考えていた。

 僕は正直な話、中条さんは警察官には向いていないと感じはじめていたから。

「そうね。蓑田君から話を聞いた以上、私も話さないとね」

 中条さんは一呼吸を置いてから、おごそかに口を開いた。

「――私は、現状から逃げるために警察官を選んだの」

「逃げ、る?」

 現状から逃げる? どういうことだろう。

「私の実家は山手町やまてちょうにあってね」

山手町やまてちょうって、高級住宅街じゃないですか!?」

 山手町やまてちょう

 横浜市中区にあるブランドエリアだ。

 そこに住む方々は上流階級の裕福なアッパーばかりだ。

 以前佐々木のおばあちゃんだかが中条さんを「いいとこの」と話してたのはそういうことだったのか。

 山手町やまてちょうって中条さんが今住んでる桜木町さくらぎちょうから比較的近かった気がする。

「私の家も裕福な方でね。乗馬、ピアノ、バイオリン、日本舞踊、華道――様々な習い事をやらされた、、、、、

「お嬢様って感じの習い事ばかりですね」

 僕が感嘆かんたんの反応を示すと、中条さんは苦笑して首を横に振った。

「自慢にならないわ。私が本当にやりたかったことはさせてもらえなかったもの。やりたくもないことだけを、粛々しゅくしゅくと習わされてた。私がやりたかったのは剣道や球技だったのに」

 中条さんがご所望だったのは習い事とは真逆のアクティブなスポーツだったらしい。

「けれど、両親はそんな怪我のリスクがある運動などさせられないって反対してきてね。結局私の我儘わがままは通らなかったわ」

 乗馬だって落馬のリスクがあるけどご両親は気にならなかったのかな。

「ご両親としては、大切な娘がとても心配だったんでしょうね」

「過保護すぎるのよ」

 はぁ、と一つ大きなため息をく中条さん。

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