5日目 休日は横浜デート ②

 お次は僕が行ってみたいと要望した赤レンガ倉庫に行く。

 赤レンガ倉庫まで向かう道のりで、中条さんが口を開いた。

「今日は蓑田君がずっと側にいてくれるから、ナンパから声をかけられずに済むわ」

「普段はよく声をかけられるんですか?」

「たまにね。自信過剰そうな軽薄男から」

「なるほど」

 中条さんほどの美人だと、男側は尻込みして気軽にナンパする気にはならない。それでも彼女を口説くべく声をかけてくる勇猛果敢な輩はいるらしい。

 一瞬ナンパされる自慢とも思えたけど、本当にうんざりしているようだ。

「心がこもってない口説き文句なんて全く響かないわよ。人の心を打ちたいなら、心からの言葉を投げてくれないと」

「名言ですね」

 馬車道ばしゃみちから赤レンガ倉庫までは徒歩圏内なので歩きで行けるしいい運動になる。

「蓑田君には、心からの言葉を期待しちゃうからね」

「えっ、それはどういう……?」

「ふふ、どういう意味でしょうね」

 中条さんは小悪魔っぽく笑うと、前へと向き直った。

 その後は他愛のない会話を挟んで歩き続けた。

 歩くこと数分。

「うおお、広い。赤レンガだ」

 赤レンガ倉庫に到着。

「はじめて間近で見る赤レンガの感想はどう?」

壮観そうかんです!」

「そんな大袈裟な」

 はじめて赤レンガ倉庫を至近距離から見上げた僕は思わず感嘆かんたんの声を上げた。

 倉庫の大きさにも驚きだし、周辺の活気や港の景観にも軽く感動した。

「今日のイベントはラーメンかぁ」

 中条さんは倉庫前に立ち並ぶ出店やテントを眺めて呟いた。

「イベントですか」

「赤レンガではよくああやってイベントが開催されているの」

「なるほど」

 今日のもよおしは『家系ラーメン祭り春の特別編』というやつで、複数の家系ラーメン店が出店している。

「へぇ、はま中家なかやも出店してるんですね」

 スマホでイベントについて調べると、かねてから僕が食べてみたいと思ってたラーメン屋も出店していることに気がついた。

 興味はあるけど小田原おだわらにあるのでそうやすやすと食べには行けない。まさかこんな場所で食べるチャンスがあるとは。

 しかも今日のイベントはラーメン代がタダというところに粋を感じる! 店側からしたら赤字にしかならないイベント! 目的は家系ラーメンの支持者を増やすことらしい。

「食べてみる?」

「いいんですか?」

 僕が軽い感動を覚えていると、中条さんが笑顔を向けてきた。

「お互い様よ。私も雑貨屋巡りを付き合ってもらったしね」

 中条さんの許可がもらえたのではま中家なかやの列に並ぶ。

 さすがははま中家なかや、並んでいる人数が一番多い。

「店主、手際がいいわね」

「ですね。さすがです」

 列は長いけど、店主の仕事が早くてみるみるうちにさばかれてゆく。

 そして次が僕たちの番となった。

 のだけれど――

「すみません、これで終わりですー」

「ナンテコッタ……」

 ちょうど僕が受け取ったところでラーメンの在庫が尽きた。

 僕たちの後ろに並んでいた客たちが残念そうに散っていった。

「時間が時間だから仕方ないね」

 中条さんはこうなることも織り込み済みだったらしい。

 イベントは午前中から開催されており、今は昼下がり。というかイベント終了が近い時間帯だ。むしろ滑り込みで一杯分でももらえたのは幸運だけど、僕らは二人いるんだよね。

「もらえるだけラッキーじゃない。食べていいよ」

「……なんかすいません」

 とてつもなく申し訳ない。

 隣の女性を差し置いて僕だけがラーメンを味わうなんて。

 いたたまれない気持ちのままテントへと向かう。

 テントの中には長机や椅子が並べられており、ラーメンを食べるスペースになっている。

 空いている席に二人並んで座る。

 すると周囲の人が中条さんの顔を二度見した。

 彼女は気にする素振りはないけど、僕は視線をテーブルに落とす。すみませんね、隣にいるのが不釣り合いな男で。

「ちょっと! なに他の女見て鼻の下伸ばしてんのよ!」

「ち、違うって!」

 斜め前に座るカップルが痴話喧嘩をはじめた。中条さん……罪深き女傑じょけつ

「いただきます」

 ラーメンをすする。うーん、ウマイっ!

 その様子を中条さんが頬杖をつきながらじーっと見ていた。

「どうかされました?」

「やっぱり、私も食べたいな」

 僕の食べてる姿を見て自分も食べてみたくなったらしい。

「はい、どうぞ」

「ありがとう!」

 割り箸を乗せた器を中条さんの方へと動かした。

「――うん、濃厚で美味しいね!」

 中条さんは破顔はがんしてラーメンの味を堪能している。

 ……箸が使い回しなのでまたしても関節キスで、しかも今回はラーメンをすする所作が先ほどのお菓子軍団が可愛く感じるほどになまめかしい。

「ありがと。残り全部食べていいよ」

「は、はい……」

 器を返される。当然、彼女が口に入れた箸も。

 中条さんは特に意識していないようだけど、単に気がついてないだけかも。

 またしても周囲からの視線を感じるけど、ラーメンだけに全神経を集中させて再び食べはじめる。

 濱中家はまなかやの店主が汗水流して作ってくれた豚骨醤油のスープに浸された極太麺をすする。

「あー美味しかったぁ」

 スープごと飲み干して器を空にした。

濱中家はまなかやってどこにあるラーメン屋さんなの?」

小田原おだわらです」

「遠いね。今日は食べられてよかったね」

「本当によかったです」

「今度、本店で食べてみたいね」

「いいですね。ついでに小田原おだわら観光もしたいです」

 中条さんと一緒に――とは僕の口からは言えない。

「一緒に行ってみない?」

 と思ってたら中条さんの方からまさかのお誘い。冗談か本気か分からないぞ。

「は、はい。機会があれば行きましょう」

「それ、行かない常套句じょうとうくじゃん~」

「そ、そんなことありませんよ。是非」

「ふふ。楽しみにしてるね」

 その後は赤レンガ倉庫の中のお店を見て、山下やました公園まで歩いてきた。

「んーいい風~」

 伸びをする中条さんだけど、その際に大きな胸がかすかに上下に揺れてエロかったです、マル。

「平和な景色ですねー」

 すぐそばには港があり、浜風が僕の髪と肌を優しくくすぐってくる。

「たくさん歩いて疲れたし、ベンチで休もっか」

 二人並んでベンチに座る。

 のんびりまったりとした時間が流れてゆく。

 空を泳ぐ雲もローペースで移動している。

 公園内では犬の散歩をしている女性やキャッチボールをしている親子、ベンチで寄り添うカップルなど、人々が平穏な時を過ごしている。

 隣にいる中条さんもはたから見たら警察官とは思えないほどに穏やかな表情を浮かべている。

(――お?)

 気のせいか中条さんが自身の身体を僕に寄せてきた気がする。

 近くないですか? と聞くのも無粋な話だし、なにより彼女を傷つけることになりそうだったので口をつぐんだ。

「――ふあぁ~」

「眠そうね」

 三月中旬の穏やかな陽気が僕の元に眠気の使徒を呼び寄せてきた。

「まどろみが……襲ってきてます……」

 いけない。こりゃ目を閉じたらそのままオネムですわ。

「寝ちゃってもいいわ。お昼寝タイム♪」

「……すいません」

 春の痛烈な陽気には叶わないや。あと最近寝不足が続いてたし。

「私の太ももを使って寝ていいからね」

「……ありがとうございます」

 最後、中条さんが何を言ってるか、その意味を理解しようともせずに。

 僕は夢の世界へとダイブした。


「……ん」

 目を覚ますと、視界に入ったのはオレンジ色の空だった。

 頭はベンチの背もたれではなく、もっと柔らかく温かい、まるで生身の人間のような――

 って、まさか!

(膝枕じゃないか……!)

 世の男性たちが羨む、あの膝枕……!?

 僕の首は中条さんの体温をダイレクトに味わい、ほどよい肉付きの太ももは非常に心地よい。

 目線を少しずらすと空ではなく、中条さんの顔が映った。

(中条さんも寝てるんだ……)

 中条さんは目を閉じており、顔も下を――僕の方を向いている。

 あと、僕の頭には彼女の手が優しく添えられている。もしかして撫でてくれてたのかな?

 彼女の優しさに包み込まれている気がして、再度眠気が襲ってきた。

(もうしばらく、このままで……)

 僕はもう一度目を閉じた。

 そうして時間は過ぎ――

「おはよう。って、もうこんな時間だけど」

 再び目を開けると、中条さんが優しく頭を撫でてくれた。

 空は闇に覆われており、公園の外に視線を向けると至る所で電気のまばゆい光が広がっていた。

「すみません。寝過ごしてしまいましたね」

 正味二時間半くらい寝てしまっていた。

「土曜だし、明日も休みだから構わないわ」

「あ、あと、膝枕ありがとうございます。中条さんの太ももが心地よくて安眠できました」

 中条さんと奇妙な関係になってからというもの、不眠の夜が続いてたからね、しょうがないね。

「私の太ももは高くつきますぞ」

「ですよね。覚悟しております」

「ウソウソ。冗談だから」

 中条さんの動きに合わせて二人で立ち上がった。二人三脚リレーに出たら、だいぶいいタイムが狙えそうなくらいに呼吸が合っているのでは?

「今日は楽しかったです」

「私もだよー」

 充足感が僕たちを包む。

「なによりも」

 僕が口を開くと、中条さんが横目で見つめてきた。

「今日は中条さんがリラックスしてくれて安心しました」

「安心?」

「平日はいつも気を張ってお仕事されているので。帰宅後は多少まったりしてましたけど、それだけじゃストレス解消には足りないのかなって思ってて、正直心配してました」

 平日の帰宅後は優しい中条さんだけど、恐らくは僕に気を遣ってくれている。そのせいで一日中気苦労が絶えない生活を強いられてしまっているはずだ。

 真面目な中条さんのことだ。僕がいなくても、仕事のことをプライベートに引きずってあれこれ気を揉んでしまっている気がするんだ。

「そっかー。ありがとうね。蓑田君の方が大変な中、私のこと考えてくれて」

 とんでもない。色々なあなたを見て、僕は自分が被害者ですなんてツラはできない。

「さてと。我が家まで歩いて帰りましょう」

「道そっちじゃないですよ」

 中条さんがマンションとは反対方向に歩こうとしたので制した。

「ああっ、暗くて道がよく見えなかった!」

 若干いい雰囲気だったのに、中条さんが消し飛ばしてしまった。

「中条さんって、意外と抜けてますよね」

「…………!」

 僕の指摘に、彼女は綺麗な肌を朱に染め上げた。

 そして軽く手錠を引っ張ってきたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る