第17話

 聞き取りに協力してくれた職員たちは、最初に集まっていた道具部門の会議室に再集合して自分たちを待っていた。

 じろりとこちらを見る彼らにあえてにこやかに礼をし、ヒオリとニールはクロード所長のところへ歩み寄る。


 リリアンとともに何事か語り合って、熱烈な空気を隠そうともしない所長の前に立つと、二人は深々と頭を下げた。


「本日はお時間を頂きありがとうございました。クロード所長、少々お耳に入れておきたいことがあるのですが」

「うん?」


 小声で告げたヒオリに首を傾げるクロードだったが、こちらがちらりとリリアンの方を見ると何事か察したのか「わかった」と頷く。

 そのまま彼は職員たちに職務に戻るよう言い残し、別室に移動しようとヒオリたちに告げる。

 最後までリリアンが名残惜しそうにニールを見つめていたが、幸いなことに彼女がわがままを言い出すことは無かった。


 三人はヒオリが聞き取り調査をしたミーティングルームに入った。扉を閉めるなりクロードは難しい顔をして、「何があったんだ?」とこちらに向き直る。

 血の気が無く不安そうなその表情は、彼本来の気弱な面持ちと相まって酷く頼りなげに見えた。


 この人、最近ずっとこんな顔をしているなと考えながら、ヒオリは携帯端末を操作し表示されたリリアン宅の画像を彼に差し出す。


「なんだ?これは?どこかの民家か」

「ええ。実はとある方からの情報がありまして。これはリリアン女史の実家の写真なんです」


 ヴェロニカ女史の名前は出さずに告げると、クロードは片眉を跳ね上げてまじまじと画像を睨み見て、次にヒオリを見た。

 これがどうした?とでも言いたげな彼にもわかるように、件の植物が生えている一画を指で刺す。


「こちらの植物ですが、温室に生えていた謎の植物と同じものです」

「え?あ……」

「リリアンさんは最近ご実家に帰りましたか?もしくはご実家から荷物が送られてきたことは?」


 己の言いたいことを察し顔が青くなったクロードに、ニールが穏やかに問いかける。

 年若き所長は幾度か口をぱくぱくと開閉させていたが、やがて視線を下に落とすと低い声で訊ねて来た。


「り、リリアンが種を持ち込んだ犯人だと?君たちはそう言いたいのか?」

「可能性は高いですが、まだ断言できません。どうやら雑草のようですし、別の誰かに付着していたのかもしれません」

「だが……、もしリリアンだったとしたら、どうなる?」


 最初に心配して、言うべきことはそれか。保身のための言い訳の方がまだましだなと言う悪態を、ヒオリは内心ぼやくだけでなく口に出してやりたくなった。

 だがここで言い合いをするつもりはないと何とか堪えて、顔から完全に表情を消して淡々と答える。


「それは貴方が決めるべきことのような気もしますが、厳重注意ののち、始末書の作成。再度ミスを犯さないようにチェックの徹底を職員に指導するのが妥当かと」

「……そ、そうか」

「しかし温室の植物の除去が困難、もしくは時間がかかるような場合は減給や停職の可能性もありますね」


 一瞬安堵の表情が浮かんだクロードだったが、すぐに顔から血の気が失せる。

 それほどリリアンが大事ならしっかり面倒を見ておけと内心で毒づき、ヒオリは「しかしクロード所長」と挑むような口調で続けた。


「言わせてもらいますが、今回のことは貴方にも責任があります。貴方とリリアンさんは温室を私的利用しすぎました」


 辛辣に告げればクロードははっと顔を上げてヒオリを睨みつける。

 先ほどまでの気弱そうな表情は何処へやら、再び見せる憤怒にまみれた表情だった。しかし元の顔が顔なためか威圧感は感じない。


 これならヴェロニカ女史の方がずっと恐ろしかった……などと考えて冷静に所長を見据えていると、じきに彼はぷいっと顔ごと視線を逸らす。

 負けを認めたのかと思ったが、クロードはまだ強気な様子でぽつぽつと語りだした。


「リリアンは可哀想な子なんだ。僕たちが彼女を守らなければ、いったい誰が彼女の心を救ってやれるんだ?話を聞いていただけじゃないか」

「研究に支障が出ているのですよ。そんな同情は捨ててください。それに必要なら研究所内にはカウンセラーも常駐しているでしょう」


 きっぱり言い捨てて肩を竦め、ヒオリは冷たい眼差しのまま踵を返した。

 上記の通り、言い合いをするつもりはない。ニールに軽く声をかけ、靴音を響かせながら部屋を出ていく。


「何かわかったら連絡をお願いします。こちらも調査の結果が出たら、真っ先に貴方にお伝えしますので。リリアンさんのこと、そしてご自身のことはその間によくよく考えておいてください」


 一度だけ振り返ってそう告げた。

 己の顔を刺すように、クロードの鋭い視線が向いていることに気が付いていた。

 気付いてはいたが、特に何かを言うつもりは無い。ただただ疲れる時間だった。


§


 そのまま軽い報告をハオラン室長に終えた後、ヒオリは一人カフェテリアで茶を飲んでいた。

 色々な情報を詰め込んだせいか、少々頭がぼんやりする。

 ぐったりとテーブルにもたれかかるようなポーズをしばらく取っていると、にわかに背後から己を呼ぶ声があった。


「お疲れ様でした、ヒオリ殿」

「……うん」


 肩越しに振り返るとニールが苦笑しながらこちらへ歩み寄ってくるところであった。

 ヒオリが気だるく手を振って答えると、彼は今一度「お疲れ様です」と労って前の席に腰を掛ける。


 眉目秀麗なその顔にも色濃く疲れが浮かんでおり、リリアン女史への対応に彼がどれだけ精神を摩耗させたかがわかった。

 席に深く腰掛けてニールはゆっくりとため息をつき、苦く笑ったままヒオリに問いかける。


「明日からの調査はどうなりそうです?ハオラン室長は何かおっしゃていましたか?」

「ええ。室長が手の空いた人間を調査員として回してくれると言っていたから、念のため他の温室利用者の聞き取りと、リリアン女史の実家の調査でしょうね。まあその前に全員で集まってミーティングかしら」


 本格的に植物が持ち込まれた経路の捜査が始まる。

 ヴィクトル前所長の態度から、失態を隠匿したいという感情は読み取れなかったので、大々的なチームが組まれるかもしれない。


「それにメルも明日にはあの植物の分析が終わりそうだと言っていたわ。それで何かわかることもあるかもしれないし」


 万が一を考え本格的な分析をしているが、メルと室長は件の草をただの雑草だと考えているだろう。

 しかしヒオリは不安を覚えている。夢の中で嗅いだ香り、そしてリリアン女史から香った匂いが、あの植物と一致しているためだった。


 分析の結果が更なる波乱をもたらさなければいいが、と考えながら、ヒオリはぽつりと呟く。


「……始末書一枚で片付けばいいわね」

「心配ですか?」

「杞憂かもしれないけれど」


 唸るように言ってニールを見ると、彼はテーブルの向こう側で青い瞳を心配そうに揺らしている。

 彼もまた植物の正体に不安を抱いているのだろうかと思ったが、どうやらそれだけでは無かったようだ。


 青年はヒオリを見つめたまま柔らかい微笑の下に疲れを押し隠し、深い青の瞳を慈愛深く細めて穏やかに告げる。


「貴女が気を揉む必要はありませんよ。この研究所には優秀な博士たちがいますからね。きっと悪いことにはなりません」

「……慰めてくれるの?」

「言葉一つでヒオリ殿のお心が癒されるとは思いませんが」


 そう言ってニールは首を横に振るが、案外悪くない気持ちになっている自分にヒオリは気が付く。

 彼の言葉から感じるのは純粋な心配と好意であり、この年齢になってそれを向けられるのは久しぶりであった。


(……いけないわね。ヴェロニカ女史の言う通り、個人的な理由で疑問点を無視しかねないわ)


 心の端で自分を戒めながら、それでもニールに笑いかけ「ありがとう」と礼を言う。

 テーブルの向こうで彼は昼時に見た、花がほころぶかのような笑顔を見せると頷いた。


「それとヒオリ殿、約束のものが用意できています。手首を出してくださいますか?」

「約束の……?ああ」


 首を傾げかけたが昼間の会話を思い出し、僅かに微笑んで白衣の裾をめくった。

 ニールはスーツの内ポケットをまさぐると、小さなアトマイザーを取り出す。

 シンプルな作りのそれには、ほのかな薔薇色に色づいた液体が半分ほど入っていた。


「それが貴方の魔法パフュームなのね。ふうん、見た目は普通の香水だわ」

「奇抜さを追い求めるのは好きではないのですよ。ではヒオリ殿、少々失礼いたします」


 小さく断りを入れて、男はヒオリの腕をそっと取る。

 そのまま静かにアトマイザーを近づけると、手首の内側にほんの少しだけ吹きかけた。


 霧状になったパフュームが手首に付着した……と感じた途端に、ふわりとかぐわしい香りがあたりに漂る。

 ヒオリはぱちくりと目を瞬かせ、甘い香りのする己の手首を鼻の近くまで持ち上げた。


「へえ。……すごい。これは、本当にいい香りだわ」

「お気に召しましたか?」

「ええ、すごくいい匂い。うん、これはずっと嗅いでいたくなる……」


 あまり長い間嗅ぐものではないとわかっているが、ヒオリは夢中になって鼻をひくつかせる。

 子供のようにはしゃぐ己をしかし、目の前のニールは咎めることなく目を細めて見守っていた。


「ううん、これはダマスカスローズとホワイトムスクにサンダルウッド?ジャスミンも入っているのかしら」

「流石ヒオリ殿、良い鼻をお持ちですね」

「と言うことはあたりね。この調合いいなぁ。すごく好きだわ」


 告げるとニールは「良かった」と呟いて、顔をさらにほころばせる。

 そしてまるで恋文をしたためた学生のように、手に持っていたアトマイザーをそっとヒオリへと差し出した。


「よろしければ差し上げます。アロマ専門の貴女には不要かもしれませんが」

「いえ、そんなことは無いけれど……。でも、いいの?」

「もちろん」


 邪気なく頷くニールにヒオリは僅かな罪悪感が疼いたが、やがて苦笑して「ありがとう」と受け取った。

 彼の笑顔を思わせるほのかな薔薇の香りは、いまだに己を惑わしていた。

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