第16話

 ヴェロニカ女史の調査を終えて、その後ヒオリは他の研究員たちの聞き取りへと進む。

 聞き取りの順番は魔法道具部門の研究員たちで自由に決めて貰った。

 先ほどの彼らの様子から、こちらで決めた方が円滑に進むのでは?と思ったが、その心配は杞憂であった。


 研究員たちは揉めることなく順序を決め、多少の敵意は見えたが淡々と質問に受け答える。

 あまりのスムーズさにヒオリは僅かに瞠目し、リリアンに絡まないことであればやはり彼らは優秀な魔法博士なのかもしれないと考えた。


 だが好調に進んだ調査の中には、ヒオリが気になるような事柄は含まれてはいなかった。

 やがて全ての所員の聞き取りが終わり落胆に息を吐いたとき、にわかにミーティングルームの扉が叩かれて顔をあげる。


「ヒオリ殿、こちらの担当は終わりました」

「ああ、お疲れ様。こちらももう終わったわ」


 聞こえてきた声はニールのもので、こちらが答えるなり彼は扉を開けて入室し、椅子に腰かけたままぐったりしているヒオリに歩み寄る。

 先ほどの労いの返答か、こちらの顔を覗きこんだ彼は「お疲れさまでした」と微笑みかけた。


「何か気になることはありましたか?」

「少しね。そっちは?」


 隣に立ったニールはちょっと眉を垂れ下げて、肩をすくめた。


「さて今一度聞いてみるとわかるかもしれませんが……何より疲れました。リリアン殿は非常に難儀な方のようですよ」

「それはまあ、見ていてわかるわ。それで彼女、貴方に何を語りたかったのかしら?」


 苦笑しながら問うと、彼は端正な顔にげんなりした表情を浮かべて語り始める。


「彼女はまず私と会えたことがどれほど喜ばしいとか、ヴェロニカ殿が恐ろしいとか、そして私の力を頼りにしているとかを語りましてね。しばらくこちらから質問できないほどでした」

「ふうん。具体的にはどんなことを言っていたの?」

「聞いてもらった方が早いですね」


 言いながらニールはボイスレコーダーを取り出して、机の上に置いた。

 スタートボタンを押すとしばらくの間の後、『それではこれよりいくつか質問をさせて頂きます』と、ニールの声が流れてくる。


 しかし、彼が再び声を発しようとした瞬間、それを遮るような女性の声が響いた。


『あの!ニールさん、わたし、貴方が聞き取り調査に来てくれて嬉しいです。わたし、貴方とずっとお話したくて』


 リリアンである。

 その声は弾んでおり、最初に会ったときに感じたか弱さとは正反対であった。

 ───猫を被るのが下手なのかしら?と、思わずヒオリが片眉を跳ね上げた瞬間、淡々としたニールの声が続いた。


『それはありがたいことですね。ところで今回の件なのですが……』

『あの、ニールさん。もしよろしければ今度一緒にお出かけしませんか?わたし、ニールさんの研究のこともっと知りたくて……。魔法パフュームなんて素敵です』

『ありがとうございます。それで質問なのですが、』

『今回の件もニールさんが優秀だから調査員に選ばれたんですよね。凄いです、わたし憧れちゃいます』


 見事なまでにことごとく遮られてしまっている。この時改めてニールが可哀想だなと思ってしまった。

 いったんレコーダーを止めてちらりと彼の顔を見ると、その眉間には珍しくしわが寄り、頭痛がするとでも言いたげに頭を押さえている。


「……なんというか、貴方随分気に入られているのね」

「光栄です、とは言いたくないですね。あれでよく博士号を取れたものだ」


 眉間を揉みながら、ニールは毒を吐く。

 彼はほとんど感情の消えた青い目をレコーダーに転じると、しばらく何事か考えたあと、ふと口を開いた。


「しかし同時に無邪気な様子で人懐っこい方だとは思いました。あの調子で話しかけられて、なびく方もいらっしゃるでしょう。何と言うか、博士としては規格外ですが新鮮味も感じるかと」

「そうかしら?まああんな女性はこの研究所では見ないタイプだけども」


 研究対象として接近している人物もいるのかな?と下衆なことを考えながら首を傾げると、ニールは苦く笑ってレコーダーに手を伸ばす。


「私たちは最初に問題を知ったうえで、彼女を遠くから見る立場ですからね。疑問点に気付きやすい。でも何の偏見も無く彼女に出会った人間は飲み込まれるものもいるでしょう」

「……そんなもの?まあ、そうなのかしらね」


 困った性格のリリアンだが、妖精のように美しく邪気のない顔を持っており、仕草も愛らしい。

 何の前情報を持たず偏見やフィルターも無く彼女を見ると、男女関係なく魅了され、その話を鵜呑みにしてしまう人間もいるのかもしれない。


 ため息をもらしてしまったヒオリにニールはまた苦笑し、長い指で再生ボタンを押す。

 先ほどと同様に、まるではしゃいだ女学生のようなリリアンの声が再び流れ出した。


§


 レコーダーのせいか、聞こえて来た声が多少キンキンと響く。

 うるさいなと心のすみで考えながらヒオリは、ニールとリリアンの会話に耳を澄ませる。


『それで今回の件なんですけど、ヴェロニカさんが悪いんです。あの人は悪い人です!この研究所を狙っています!私、わかるんです!!』

『なるほど……。それは大変ですね。どうしてそう思われるんですか?』


 ここでニールは暴言をたしなめたり非難することを選ばず、リリアンに同意して話をさせることを選んだ。下手に反対意見を述べると話がこじれると考えたに違いない。

 だが彼女はニールに同情してもらえたと思ったのか、ワントーン高い声を出して続けた。


『ヴェロニカさんはいつも皆に小言ばかりおっしゃるし、何を考えているかわかりません!それにクロード所長とは政略結婚じゃないですか!この研究所を狙ってるんです!あの植物も、きっとヴェロニカさんが植えたんだわ!』

『そうなのですか?』

『ええ、そうです!それにわたしがクロード所長と温室を使っただけで怒るし……何か企んでるんだわ!』

『……ですが所長とヴェロニカ殿は婚約者ですよね。だったら彼女のお怒りはもっともなのでは?』

『でもわたしとクロード所長は不貞を侵してなんていません。ただクロード所長はわたしの信念に同意してくれるだけで、やましいことはないんです!』


 あまりにもきっぱり言い切るリリアンに、呆れを通り越して乾いた笑いをもらしてしまう。

 婚約者のいる男が人目をはばからずよその女に優しくするのがいけないのだと、まったく考えていない口調だった。


(何ていうか、子供みたい。まだ成人していない……いや、10歳の子供だってもう少ししっかりしている気がするわね)


 博士号を取る人間は変人が多いし、ヒオリだって人のことは言えないが、これはなかなかの問題児である。

 取り調べをしていた時のニールも己と同じように感じたのか僅かに間をおいて(苦笑するような気配があった)、冷静な声で話題を変えた。


『そうなんですね。そう言えばリリアンさんは、お人形の研究をなさっていると聞きました』


 そう問いかけるや否や、リリアンは『はい!』飛び上がっているのではと疑いたくなるような勢いで頷く。

 がたりと椅子と机が揺れる音が聞こえたから、立ち上がりかけたのかもしれない。


『わたしお人形が大好きで!だからいっぱい研究をしているんです!わたしのお人形、凄いって皆言ってくれるんですよ!クロード所長も、玩具部門の皆も!』

『ほう……』

『だからわたし、皆のお人形作ってあげたんです!このお人形を躍らせると、本当に皆が躍っているみたいで面白いんですよ!』


 その言葉を聞き、ヒオリの背筋にぞくりと寒気が走る。

 思い出したのは、昨夜の夢だった。


 夢に出てきたリリアン、正確にはスタッフルームの扉の向こうから聞こえたリリアンの声は、ニールの「人形を作ってあげる」と言っていた気がする。


 現実でも彼女の得意分野は人形作成。

 これは偶然の一致ではない。そう察してヒオリの眉間に僅かなしわが寄った。


 その後の録音に何か更なるヒントがあるのではないかと思ったが、続いたのはリリアンの拙い自慢とニールを褒める言葉だけ。

 やがて時間は過ぎて、ニールが何とか聞き取りを強制終了させた。


「これで終わりなの?」

「ええ、終わらすのに苦労はしましたが……何か気になる点はありましたか?」

「ううん……」


 あると言えば、あった。恐らく件の夢の存在を知っているニールも、彼女の言動に疑問は持っているだろう。

 それを問いかけるべきかとしばし考え、しかし不意に先ほどのヴェロニカ女史の言葉が脳裏に過る。


 あの夢のことと言い、彼女の言葉と言い、確かにこの男は怪しい。

 果たして唐突に現れたニールと言う優男は、今回の事件に関係があるのか。


 ヒオリは唇を幾度か開き、閉じを繰り返し、男の目を見つめる。

 深海のように青く美しい彼の瞳は、穏やかに己のことを見下ろしていた。


「ニールさん、貴方はどうしてこの研究所に……」

「ヒオリ殿?」


 問いかけようとしてしかし、ヒオリは言い淀む。

 ヴェロニカの言うように個人的な感情で、疑惑に目をつむっているわけではない。同時に、ニールに対する警戒が弱まっていたわけでもない。

 この男の笑みに隠れる胡散臭さはいまだに薄れていない。


 ただヴェロニカに言われるまま彼に疑問を投げかけることが、研究者として許せなかった。


(他人の言葉を鵜呑みにして疑うのは愚かだわ。詰問するなら、自分で調べてその後でも遅くは無いもの)


 そう結論付けて、ヒオリは「いいえ、何でもないわ」と首を横に振る。

 ニールはもの言いたげに青い瞳を真っ直ぐにこちらに向けていたが、じきに「そうですか」と微笑む。


 納得は仕切れていないが、言葉は飲み込んだ様子だった。

 お互いに言いたいことがあることを歯がゆく思いながらも、ヒオリは平静を装って口を開く。


「ところで私はヴェロニカ女史の聞き取りをしたんだけど、オフレコで少し気になることをおっしゃっていたわ」


 そう前置きをして、ヒオリはヴェロニカから聞いたリリアンの実家に生えていた植物のことを語った。

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