第3話 気付かない、わからない
そろそろ取材が終わりそうな金曜日。
「伊鶴、今日も図書館寄るの?」
「まだ締め切り遠いだろ? ウチらと一緒に寄り道して帰らない?」
教室の片隅で帰り支度をしていると、小学校からの友達の酒井泉美と熊谷彗が声を掛けてきた。
この学園で唯一の友達だと言っても過言でないは彼女たちは、私が小説を書いていても馬鹿にもせず応援してくている数少ない味方達だ。
「ごめん、今日も図書館寄る予定」
ここの所毎日のように通い詰めているこの学園の図書館は、金曜日の放課後は特に穴場なのだ。
最終下校の前迄、人の姿をあまり見ない。つまり、周りの目を気にせずに落ち着いて執筆できる環境がそこには揃っているのだ。これを見逃す手は無い。家だと、ついついネットを繋げがちになってしまうし、人気のある所ではついつい周りの目が気になってしまう。
でも、今日はそれだけじゃない。また別の目的があったりする。どうしても、図書館に行かなきゃいけないのだ。
「そっか。頑張ってるね」
「うん。モモちゃんにもそう褒められた」
「でた。またモモちゃんっ! 伊鶴の親友はウチらなのにっ! ね、泉美!」
「伊鶴にも伊鶴の交友関係があるんだよ、クマちゃん。ほら、会長とか……」
「あー……、会長ね」
ニヤニヤと二人が私を見てくる。二人にこの顔されるの、本当に不本意。
「ちょっと、ちょっと。顔見知りぐらいの相手に交友関係もないって。そんな事言われるために二人に会長のこと教えたわけじゃないんだから」
誰かに会長がいい人だったことを言いたくて、この二人には生徒会室の一件を話した。流石にモモちゃんには私の間抜けな話を聞かせたくないので会長の話もできないが、小学校から一緒の二人なら私の間抜けな話を私よりも多分知っていると思うので心置きなく話せれた。
その結果、まさかこんな揶揄われ方をするとは。私よりも会長にとって失礼だと思う。
「でも、昨日も二人で音楽準備室にいたんだよね?」
「日課の恩返しにね」
「今日も会うんじゃない?」
「まさか。図書館までは来ないでしょ」
「そう?」
「そう。会長だって暇じゃないんだよ」
いつ会っても忙しそうだし。それに、今日だけは私が絶対に会長に会いたくない。
私の目的が、バレてしまうのが恥ずかしいんだ。今日ぐらいは会わなくてもいいじゃないか。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「お前、図書館に最近良くいるね。昨日も俺の仕事手伝った後、ここ寄ってただろ?」
「……」
「どうした? 幽霊に会ったみたいな顔してるぞ?」
何でいるかなぁ。幽霊の方がましだったかも。今日だけは、会長に会いたくなかったのに。
「会長、今度はどんな雑用ですか? 手伝いますよ」
思わず諦めたようなため息を吐いて席を立つ。会ってしまったのは運の尽きだ。恩がある私には会長を手伝わない選択肢はない。
「今日は雑用お休みだよ」
「珍しいですね。用事もないのに図書館に?」
物好きだな。
「用事ない事を決めつけるな。図書館なんだから本借りるために来たんだよ」
「えっ。会長みたいな陽キャラでも本読むんですね」
「凄い偏見だな」
「休み時間にバスケットボールでドッヂボールしそうなイメージがあったので」
「偏見過ぎる。大体、陽キャラって何よ?」
「明るくて私とは真逆そうな人は皆んな陽キャラです」
明るくて、いつも楽しそうで、眩しくて。誰とでも仲良くされて、調子が良くて、それでいていい奴。
私はどれも当てはまらない。
暗くて、いつもジメジメしてて、地味で。誰も彼も疑って、自信がなくて、それでいて嫌な奴。
「俺、そんなに明るくないけど?」
「あ、嫌味って奴ですか?」
「何でそうなるんだよ。蟹江だって暗くはないだろ?」
「いつしかの、私が会長の紙の花を褒めた時に言われた言葉を思い出します」
「盛り過ぎって奴?」
「はい。流石に暗くないは言い過ぎです」
「そう? 俺は蟹江を暗いと思った事ないけどな。蟹江と話してて俺は楽しいよ?」
えっ。
私と話してて楽しい? そんな事……。
「会長、まさか耳が悪いんですか?」
「そんな憐れむような顔しなくても良くない? 耳はいいよ。何? 蟹江は俺と話してて楽しくないわけ?」
会長と?
んー……。
「え、何その顔。マジで楽しくないとか?」
「そうですね。私、男子苦手なんです」
「えっ!?」
「会長、ここ図書館ですよ。しっ」
「あ、ごめん。いや、でも、男子苦手って……。俺も苦手なのに無理させてたってこと?」
会長が申し訳なさそうな顔で私を見る。いやいや。話を最後まで聞いてほしい。
「私は、小学校から人より背が高くて、男子から巨人って良く揶揄われてたんです。私よりも背が高い男子いなかったし、今もクラスにいないし。私が近づくと、皆んな巨人だって逃げるし、話しかけると攻撃されるしで、そこから苦手で……。だから、男子と喋るとついつい身構えたり、気負いすぎちゃったりするんですけど、不思議と会長と喋るのは苦じゃないです」
今迄私の周りでは起きなかった類の不思議な出来事。大袈裟に言ってしまえば魔法の様な、それでいて日常に溶け込んだパズルのピースの様な、不思議な存在なのだ。
「……俺は、例外ってこと?」
「そうだと思います」
最初は生徒会室以外で会う時は警戒してたし、いくら良い人でもと疑っていたけど、今はそんなことすらしない。
話しかけられれば身構えることなく返事を返すし、話すのを苦痛とも思わない。
「今まで仲良くなる子は女の子で、自分と趣味が近い子達でしたし、会長みたいに自分と真逆な陽キャラで、しかも苦手な男子と会話が出来てること自体が、自分でもよくわからないんですよね。でも、ここまで会話が続くんだから、楽しくない訳ないとは思うんですけど」
何でだろう。
会長だけ、こんなにも話しやすいと思えるだなんて。
同性にだって躊躇うのに、たった数日前に話したばかりの異性と、こんなにも自分を隠さず話そうと思えるのは。
最初に何も否定されなかった。私という存在を否定されなかった。そこに無意識で甘えているのかな。
考えもしなかった。私にとって、会長ってどんな立ち位置にいるんだろう。
「素直に会長と話してると世界一楽しいですって言えばいいのに」
「やっぱり、会長の耳悪いんですね」
「耳いいってば」
呆れたように笑う会長に、私も笑う。ああ、こういうのは楽しいかも。
「あれ? 旅行雑誌?」
ふと、会長が机の上に散らばっていた一冊の雑誌を見つける。
あ。
思わず私の視線が固まる。
それと同時に顔に熱が溜まっていくのが自分でもわかる。
しまったっ! 会長と喋ってて、すっかりその存在を忘れてしまっていた。
「ここら辺の奴じゃん。遊びにでも行くの?」
「い、いかないですっ」
思わず勢い余って会長の手の中にある雑誌を取り上げてしまった。
図書館に何故かある地元の観光雑誌。おすすめのお土産や、レストラン、デートスポットなどがふんだんに詰め込まれてる陽キャラのためだけの雑誌。
コレが私の今日一番の目的であり、会長に関わらずクマや泉美にも、誰にも人に知られたくない。
だって、デートの取材に一人で水族館行こうとしてるなんて、誰言っても恥ずかしいじゃないっ!
言えるのは、モモちゃんにだけだよっ。
「何々? 彼氏とデート?」
ニヤニヤしながら会長が私の奪い取った雑誌を差し出せと手を伸ばす。
「か、彼氏っ!? そんなモノ存在するわけないじゃないですかっ!」
そんな想像上の生き物、いるわけないじゃんっ!
「こらこら、蟹江さん。ここは図書館なので大きな声出さないでくださーい。はい、罰として没収ね、それ」
そう言われて、私が慌てふためくことでガードが緩くなった雑誌を会長は簡単に引き抜き、ペラペラと捲り始める。
あー……。
会長は馬鹿にしない人だと思うけど、流石に一人で水族館行くとか言ったら絶対に引かれる。しかも、小説の下見のデートコース調べてるとか、同情したくなる奴じゃん。彼氏いない、モテない私が恋愛小説を書いてるってのがバレるし、もう居た堪れないじゃないっ!
「会長、返して下さいっ」
「本当に彼氏じゃないの?」
「彼氏なんているわけないじゃないですかっ」
「じゃ、水族館一人で行くの?」
えっ!? 何で!?
「な、何で知ってるんですか!?」
トップシークレットなのにっ!? そんな事、相談したモモちゃんにしか知らないはずなのに!?
「いや、だってお前が俺が来るまでに書いてた紙、水族館迄の行き方だし、水族館の入館料とかメモってるじゃん」
「……会長、本当に頭いいんですね。顔だけじゃないって、ただの噂じゃなかったんだ……」
名推理過ぎる。
「お前、今の状況わかっててそれ言えるの凄いね」
「え、私脅されるんですか?」
あ、やっぱりそういうことする人なんだ……。
「脅すわけないだろ。大体、何で隠してたわけ? また小説関連? だったら俺には隠さなくても良くない? 全部知ってるぐらいの気分で居たのに」
「は、恥ずかしいじゃないですかっ。デートスポットに一人で行くのっ。それに書いてる小説が、れ、恋愛ってバレるのも、恥ずかしかったんですっ」
私みたいな地味で可愛くもない女が恋愛小説書いてますって、ただの笑い話でしょ?
モモちゃんみたいに、想像だけど可愛くて誰にでも好かれそうな子はともかく、私だよ? 何勘違いしてるんだって、思われてもおかしくない。自分でもおかしいと思うけど、恋愛小説、好きなんだもんっ。
「何で? 小説と自分って違うモノでしょ?」
「……え?」
「多少は自分の投影はあるでしょ。自分で書く話だし。でも、それだけじゃ話なんて楽しくならないって。同性だから似るとか、そんなレベル。気にしなくていいと思うけどな」
「でも、気持ち悪くないですか? 少しでも、自分を投影してるんだって思うと」
まるで自分がその主人公に起こることを待ち望んでいるんじゃないかと、思われないか? そんなおこがましい妄想を押し付けていると、思われないのか?
私は、そう言われて笑われた過去がある。
でも、そうかもしれないと思う自分もいて、それがいつの間にか汚さと後ろめたさに変わっていた。
話を書くのが好き。
湧き上がる私だけしか知らない話を綴るのが好き。きっと、私が生きてる間はこの気持ちを抑えれないし、止められない。
でも、出来たものは汚いんじゃないか。
人に読ませていいものなのか。
自分に自信が持てない私は、私の物語の自信も持てない。
だから、挑戦しようと意気込んでWeb小説の投稿を始めた時も、自分の話に読者が付かないことに何処か安堵感を覚えていたんだ。
それと同時に、ああ、矢張り私は間違えていたんだとその答えを突きつけられた気がした。
だから、私は。
「俺は思わないかな。フィクションってさ、一抹のリアリティの上に虚構を積み上げるじゃん。一抹のリアリティってのは、読者にとっては共感する唯一の場所なんだと俺は思うんだよね。それを作者の人間っぽさを出すのが悪い事だとか気持ち悪い事だとか思わない。寧ろ、いいことじゃん。同じ人間だし、わかる部分があるって。それにさ、読者だって一々作者と同じなのかなんて考えもしないよ。俺考えたことないし」
驚いた。
ただ、驚いた。
会長がそんなことを言うだなんて、思いもしなかった。
「あ、ごめん。何も知らないのに勝手なことばっか言ったな」
押し黙る私に、会長は少し気まずそうに頬を掻く。
「あ、いえ。なんて言うか、自分では思い至らない考え方だなって感心してしまって」
会長の答えは、今まで私が負として、悪い部分だとして扱ってきた部分を肯定するものだった。
そして、最後の一言に思わず自分の笑みが溢れるのがわかる。
「俺、そんなおかしいこと言った?」
「え? そんなことないですけど」
「蟹江、笑ってるじゃん。あー。柄にもないこと語るんじゃなかったな」
「本当に違うんです。ただ、自分が馬鹿だなって思って」
だってそうだろう? 読者は一々作者の事なんて気にしない。
その通りじゃないか。そんな当たり前なことにも、私は何も気付かなかったんだ。
これを馬鹿と言わずに、何を馬鹿だと言うのだろうか。
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