第22話 合わせ手



 喧嘩をして、感情的な言葉を叩きつけて。

 家の中にいろと言った。


 何が危険でどうすればいいのかわからないルーシャは、屋内で悶々としていたのではないか。

 どれくらい時間が必要なのかも言わなかった。

 フラァマが何をしているのか知らず、それでも邪魔にならないよう家の中に。


 怒っていたかもしれない。ひどいことを言われたと。

 泣いていたかもしれない。

 もうフラァマのことなんて知らないと、呆れていたって不思議はない。



 なのに。

 フラァマの危機を知り飛び出してきて言うことが、お姉ちゃんを呼べって。

 何それ。いつからルーシャがフラァマのお姉ちゃんになったっていうのか。


 だけど。

 もうだめかと思ったところを助けられて、その背中に思わず安堵の息が漏れた。



「ルーシャ……」

「下衆が、よくもわたくしのフラァマに」


 槍を構え直して、凶う身に怒りの声を向ける。



「無邪気な振りをしてわたくしを騙し、フラァマと喧嘩させてくれましたわね」

「あぁん? しらぁねえなぁ」

「お黙りなさい」


 勘違いしている。家に籠っていて状況を理解していない。

 魔里参の邪妖がこれになったと勘違い。説明している時間はないからとりあえずそれはいい。



「その獣は死体です。叩いても貫いても死にません」

「死体? おぞましいこと」


 立ち上がりかけたところで、ルーシャの死角から飛びかかろうとした黒跳鼠に気づいた。

 ルーシャに蹴り飛ばされ畑に転がったけれど動けなくなったわけではない。



「お前なんかに!」


 起き上がりかけの姿勢から飛びついた。黒跳鼠の武器は牙と爪。上から抑え込めばほとんど危険はない。

 覆いかぶさるように飛びかかりながら無事な左腕を叩き落す。


「GieA!」


 猪狸と違ってフラァマの膝丈くらいの大きさの獣。のしかかり、体重と共に叩きつければ十分なダメージになる。

 痛みを感じる死体ではないが、ぶちゅりと嫌な感触と共に節や骨を断てば自由に動けなくなる。



「ルーシャ!」

「うぉまえもまぁじょかぁ!」


 骨を砕いたはずの黒跳鼠がまだ暴れるのを抑え込みながら、凶う身がルーシャに襲い掛かるのを見た。

 続けて猪狸もルーシャに向かう。


 いけない。ルーシャを援護しなければ。

 何かないかと見まわすが、すぐ近くにはひっくり返った虚亀くらい。


 フラァマが手助けできない状況で凶う身と猪狸の両方を相手にするなんて、ルーシャに――



「シルワリエス家槍術奥義!」

「んぉあ?」


 腹の底から発せられる怒声。後ろにいるフラァマでも思わず身が竦み、押さえつけている黒跳鼠もびくっと動きを止めるほど。

 ルーシャの気勢を受けて、凶う身が足を止めた。


「しるわぁりえすぅ?」

「BoooA!」


 地域一体を治める領主家だ。勢いと共に聞いたその名に凶う身は足を止めたが、走り出した猪狸は止まらない。

 低く構えたルーシャを硬い鼻で叩き潰そうと迫るが、凶う身と同時攻撃にはならない。



「裂帛の気合ですわ!」

「BiBue!?」


 ぶつかる勢いに合わせて踏み込み、短槍の先端ではなく柄尻の方で猪狸の鼻面を思い切り殴りつけた。

 軽く地響きを感じるほどの力。

 なんと、猪狸の硬い鼻を顔面からもぎ取るほどの威力で。


 信じられない。

 これが奥義なのか。シルワリエス家の。



「気合があれば何でもできる! お爺様の教えでしてよ」

「……」


 いや、ただの気合なのか。

 しかし現実に、尻込みするような気迫は凶う身を逡巡させ、猪狸との連携攻撃を阻害した。

 実際の戦場でも役に立つことがあったのかもしれない。伯爵家の父祖がそうした教訓を伝え残していたのかも。



「なぁにがしるわりえぇすさまぁだ! おぅれをこけにしやがぁってぇ!


 文字通り鼻がもげかけた猪狸はふらふらと横にそれたが、気を取り直した凶う身の男が怒りをあらわにする。

 あらわにした後、首をぐいっと傾けた。

 話をしながら何か思い出した様子。



「おい! どこに……くそがぁ」


 猪狸の鼻は大きく膨らんでいて硬い。獲物をすりつぶす武器。

 ルーシャの一撃で半分取れてぶらりと垂れ下がったせいで、バランスがおかしくなったらしい。凶う身の意思と違う方へ歩いてぐるぐると。

 死体繰したいくり。

 死にかけの生き物を自分の下僕とする術だけれど、痛みを感じなくなるのと同時に自分で考える力をなくしてしまうようだ。



「つかえねぇ、まあ……」


 猪狸を使うのを諦めた凶う身が、ルーシャを見て舌なめずりを。

 手駒は減った。けれど手負いのフラァマと短槍を構えるルーシャだけが相手。


「おぅれを手配しやがったいぃまいましいいはくしゃくさまの娘ぇ? こりゃあいいなぁ」


 シルワリエスの名に反応していた。

 正気を失い邪妖となったが、魔女に追い払われたことは覚えていた。話をしながらさらに元の記憶を取り戻しているらしい。


 伯爵領で悪事をしていたのなら、町で伯爵の兵士に追われたはず。逆恨みも甚だしい。

 その逆恨みをここで晴らす好機だと、気を取り直したようだ。怒りを歓喜に変えて。



「お父様が手配したと言うのなら、ここでわたくしが討ちましょう」

「ルーシャ、危険です……もうっ、この!」


 助けたいが、体の下の黒跳鼠がもがいて這い出そうとするのをもう一度叩く。

 怪我をした右手が痺れて左腕だけ。なかなか致命打にならない。


「危険なのはわかっていますわ」

「死んでしまいます! 怖くないんですか!?」

「怖いに決まっているでしょう! 言わないでくださいまし!」


 これまでの人生で、ルーシャが命の危険を感じるような機会はなかったはず。

 森にきて、町ではありえないような事態に直面して。

 怖いはずなのに逃げない。



「わたくしは!」

「せっかくだぁ」


 凶う身が襲い掛かった。

 手にしているのは、先ほどフラァマが突き刺した杖。


「もぉっとこわぁいことしようぜぇ‼」

「一人でなさい!」


 凶う身の力は常人を超える。

 杖を叩きつける力も速さも肉食獣の一撃のよう。


 だけど。



「うぉっ!?」

「わたくしはシルワリエス家のルーシャですわ!」


 叩きつけらえた杖を短槍で流して、飛びかかってきた凶う身の体を前蹴りで迎え撃った。

 体が流れたところに腹を蹴られ、大きく後ろに仰け反る凶う身。ルーシャも同じくらい退いたけれど、とにかくフラァマを守ろうと。


「領民を守るのは領主の役目ですわ!」

「あなたは、もう……」



 怖いけれど戦う。

 領主の娘だから。貴族の娘として生まれたルーシャの役目だから。

 家を失ってここに来たのだから、今はそんなの誰も求めていないのに。


「領地であったいさかいのことも、そこで親を失った子のことも知らずにいましたわ」

「なぁにをごちゃあごちゃ」

「だけど、今‼」


 ルーシャが踏み込んだ。

 裂帛の気合と共に。


「今ここにいるフラァマを!」



 さっき喧嘩をした。ルーシャにはいわれのない非難の言葉を叩きつけた。

 怒らせたか、悲しませたか。

 そう思っていたのに。


 違った。

 ルーシャはフラァマの恨み言を聞いて、家に入って考えていたのか。

 フラァマの身の上を知って、それに対してルーシャに何ができるのかを。真剣に考えてくれた。


「この子の為に戦うことはできますわ!」

「んなぁ!?」


 破れかぶれで叩きつけられる杖。

 その威力はおそらく大木でも砕くほどだろうに、ルーシャはひるまなかった。

 叩きつけられるより先に下から、杖を握った腕を払いあげた。


「おぉれのっ!」


 杖が宙に舞う。

 俺の、じゃない。厚かましい、フラァマの杖だ。



「冥府に還りなさい、外道!」

「ぐぶぇ」


 払いあげた短槍をくるりと逆手に持ち替えて、凶う身の胸に突き刺した。

 心臓を貫けば死ぬ。死体繰りは獣にしただけで、凶う身自身は死体ではないのだから。

 ただ、強化された筋肉のせいで届きにくい。致命傷にならないと勝手に傷が塞がってしまうのも厄介なのだけれど。



「ルーシャ……」


 すごい。

 本当に武姫なのか。対人戦闘なんて初めてのはずなのに、見事に。

 フラァマの手助けなしでも危険な凶う身を……



「ふひ、すこぉしずれたなぁ」

「かはっ」


 身長差と、やはり人を刺したことなどない経験不足。

 突き刺さった短槍は心臓を逸れて、先ほど蹴られた返礼というようにルーシャが蹴り飛ばされた。


 蹴りの威力も半端ではない。猪狸の突進を受けたように転がって、フラァマのところに。


「ぐ、げふっ……く、う」

「ルーシャ」

「いひぃ」


 体に突き刺さった短槍を抜いて、どす黒い血のついたそれを眺める凶う身。

 かつてはこの男のものだったかもしれない。

 何かを思い出すように、しかし思い出せなかったのか下卑た笑いをフラァマ達に向けた。



「おぅれのしもべにぃ……こむすめ、ふたぁり……っひゃあ、わるくねえさいこぉだぁ」

「下衆、が……」


 立ち上がろうとするルーシャだけれど、かなりの勢いで蹴り飛ばされたのだ。すぐに満足に動けるわけがない。

 凶う身の方は、傷はじゅくじゅく疼いているが、動くのに支障はない。


 手負いの小娘二人。

 なんのことはない。いいことを思いついた、下僕にしようと。

 吐き気を催すことを考え、いやらしい笑みと共に歩いてきて。



「ルーシャ、お願いです……」

「逃げろと言うのでしたら」

「いいえ」


 フラァマだって、ただ転がっていたわけではない。

 どうにかルーシャを助けなければと、暴れる黒跳鼠を押さえつけながらも手は回している。


 傷を負い、痺れて動かしにくい手だけれど。



「……一緒に、して」

「フラァマ……」

「あぁ?」


 ルーシャがそれ・・に気が付いて、フラァマと見つめ合い。

 頷いた。


「わかりましたわ、フラァマ」

「はい」


 左手は、まだ暴れる黒跳鼠を押さえつけている。

 右手の平に乗っているのは、落とした蒲垂包。



「なぁにを――」

「魔女の森から」


 フラァマの声と共にルーシャの手が上がった。


「消えなさい!」


 ぱんっ、と。


 二人の見習い魔女の手が重なって、爆発的な波が辺り一帯を震わせるように響き渡った。



  ◆   ◇   ◆

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