第21話 邪意輪唱



 森の気配が変わる。

 いや、森自体が変わったわけではない。

 敵でも味方でもない森の中から、悪意や敵意と呼ぶべきものがこちらを見つけた。フラァマを。


 邪妖の断末魔が、淀み彷徨っていた悪意を呼ぶ。

 ここだと言うように。



「これは……」


 多少なり森の声を聴けるようになったからだろう。気配を感じられた。

 よくないものがここを目指している。危険が迫ってくる。


 どうする。

 正体不明の悪意。たぶん今までは結界の影響でこの家に近づこうとしても遠ざかってしまっていたのだと思う。

 結界の一部が破れた時にも、その穴に気づかなかった。

 ここで邪妖の断末魔がなければただ彷徨うだけだったろうに。



 悔やんでも仕方がない。

 邪妖マリサを放置することはできなかった。見逃して手に負えなくなればもっと悪くなったかもしれないのだから。


 森には危険が少なくない。いつ出くわすとも限らない。

 ただの危険とは違う、敵意を抱いたものが近隣にいたとは思わなかった。その存在を知り迎え撃つことができるのなら、悪いことばかりでもない。


 迎え撃つ。

 どうだろう。逃げた方が安全かもしれない。家に籠ればまず大抵の生き物ならやり過ごせる。

 相手を見極めてから対処をした方が確実だとも言える。けれど。



「……」


 今、家にはルーシャがいる。

 フラァマと喧嘩をしたルーシャが。

 気まずい。それに、もしかしたらフラァマの判断が間違いだったのかもしれない。そんな引っ掛かりも余計に顔を合わせづらくさせる。


「何者だろうと、ここは魔女の家」


 腰の杖を手にした。

 手持ちは、さっき使った幽霊を散らす薬液が少し。他には蔦を生やす陽の雫に獣寄せの香水。

 あまり芳しくない。


 戸口にかけてあった蒲垂包ほたるづつをふたつ取った。

 続けて老木に走り、いつもは閉じている横穴を開け虚亀を出す。


「ごめんなさい、手伝って」


 出てきた虚亀を納屋の石臼につなぎ、収穫時期に近い魔里参を挟んでいくつか潰した。乾燥していないから潰せば汁が溢れる。

 絞られた汁をとりあえず器に取ったところで、敵意がいよいよ迫ってきたのを察した。




「おぉぉお嬢ちゃぁんんんぅっふふぅっ」


 森から姿を現したのは人間の男。

 ひどく色が褪せて、腹がぶよぶよに膨らんでいるけれど。人間の体。服はぼろぼろに破れかけていた。


「みぃぃちにぃ、まよっちゃったんだぁぁよぅ」

「白々しい」


 ここを見つけたくせに、迷い込んだような嘘をつく。

 嘘というのも違う。馬鹿にしているのだろう、フラァマのことを。



「死体が見つからなかった方。邪妖になっていたんですね」


 以前にこの家を襲った二人組。

 沼に浮いていた死体は、あれが忌吐きになった元の男。

 もう一人は、おそらく冬の森で正気を失ったのだ。死にかけたところに邪なものが宿ってこうなった。

 元の人間の性質が似たものを呼ぶのかもしれない。



凶う身まがうみですか」


 人に邪なものが宿り、形を保ちながらも別の存在になったもの。

 さっきの魔里参マリサと違っていくつも報告例はある。


 凶う身。曲がう身とか、凶膿というようにも。

 人間が邪妖になった場合の呼び名。

 忌吐きと違って実体がある。魔女以外でも対処が可能という考え方もあるが、だから危険ではないという意味ではない。


 生前とは比べ物にならない力を発揮したり、人の精神そのものを揺らす術を使ったりするとか。



「こんのゆきぃのなかだぁ。やどを借りるぜぇあっ」


 じゃっと砂利を蹴り上げて、猛烈な速度で飛び込んできた。畑を踏み散らして。

 雪の中。夏なのでもちろん雪など降っていないが、凶う身になった時の記憶が染みついているのだろう。


「ふざけたことを」


 先日の猪狸のような突進。人間の常識を超えた動きだが。



「湧き出でるは春の残り香。追い迷うは獣の鼻」


 獣寄せの香水と、先ほど取った魔里参の絞り汁を地面に垂らし、とんっと杖を着いて唱えた。

 そして即座に横に飛ぶ。


 もわっと立ち上がった霧。フラァマの姿を模した霧に、凶う身が気づかなかったわけではない。

 逃げたフラァマの実体を見ながら、けれど体はそのまま霧に飛び込んだ。



「なぁん、だぁ?」

「抗えませんよ」


 肉ある獣相手なら、それに対するやり方もある。

 たとえわかっていても引き寄せられる魔法。凶う身をそこに飛び込ませた。


「にぃがさないぜぇ……っとぉ?」


 気を取り直してフラァマを捕まえようとするが、バランスを崩してふらつく。

 四散した霧。一度それを吸い込んだ凶う身は、顔だけはフラァマを見ているのだけれど、体は霧の残り香を追うようにふらふらと。

 少しの間はまともには動けない。



「お前なんかに」


 ふらふらと、隙だらけ。

 その体に杖の先端を向けた。


「この家を荒らさせませんよ」


 フラァマだって長く森で暮らしているのだ。

 獣の体に槍を突き刺したことだって何度もある。人間の体は初めてだけれど。

 もう人間ではない。人間に染みついたよくないものが体を動かしているだけの邪妖。


「たぁっ!」


 思い切り、鋭くない杖の先なので全力を込めて、ふらついている凶う身の体を突いた。

 その気になれば熊も吊るすフラァマの力。尖っていない杖だけれど、不気味に膨らんだ凶う身の腹を貫いた。



「うぶぇっ」

「……」

「……べ、へぇ……」


 体を貫かれた凶う身。漏らしたのは悲鳴ではなく、醜悪な笑み。


「まぁだだ、よぅ」

「わかっていますよ」


 フラァマを捕まえようとした凶う身の手を、杖を手放してするりと抜けた。

 痛みをほとんど感じない。だいたい聞いている通りだ。

 腹を貫いたくらいで止まるとも思っていない。



「忌吐きと違って肉が邪魔するので、中にちゃんと届ける為の杭ですよ。それは」


 飛び退きながら、瓶を開けて投げつけていた。

 幽霊散らしの薬。刺さったところにかかるように振りまきながら。


「む、むぶふぅっ、いってぇぞぉぉ!」

「痛いで済ませません」


 手の中には蒲垂包の種無し袋。

 これだけでは大した効果が見込めないが、腹を貫き、幽霊散らしを傷口にかけた後なら。



「散りなさい!」


 強い意志を言葉に込めながら手の平で叩き潰した。



「――――っ!」


 手には搾りたての魔里参の汁も着いている。

 緩やかに染みさせれば魔法の力を蓄え、衝撃などのきっかけを与えると力をはじき出す魔里参の効果。

 蒲垂包の衝撃が増幅されて、魔女のフラァマでさえ眩暈を感じるくらいの霊波が響き渡った。


「う、っぎゃああぁぁっ!?」


 激痛に震える悲鳴。

 ぶびゅううっと、どす黒い血しぶきを上がる。

 傷口が開き、フラァマの杖を吐き出すように気味の悪い液体が溢れた。



「ぶ、ぐぶぇ……げ、へぇ……ひでぇこと、しやがるうぅぅ!」


 まだ死なない。

 幽霊なら跡形もなく四散するだろう霊的衝撃なのだけれど、肉体の壁が邪魔。

 普通の人間でも失神する程度の衝撃はあったと思うが、凶う身を普通の人間と比較するのも意味がない。


 そこらを歩いていた虚亀は、びっくりするくらい跳ねてフラァマの近くに転がった。死んではいないと思うが、悪いことをした。



「なら、もう一度!」


 一度の衝撃で倒せないのなら、もう一発。

 蒲垂包は二つ用意している。

 これでダメなら、あまり使いたくない火を使うことになるけれど。


「今度こそ、消えてなくな――」


 体液を溢れさせふらついた凶う身の男。

 どう見ても即座に動ける様子ではなかった。それでもフラァマは警戒を解かず、その動きを見ていたのに。



 横からの衝撃が、フラァマの手から蒲垂包を弾き飛ばした。



「くぁっ!?」

「ViiHii」


 衝撃と共に、腕に走った鋭い痛み。

 遅れて真っ赤な血が噴き出す。右腕から。



「な……黒跳鼠くろはね……?」

「BuRooo!」


 横から飛んできた黒跳鼠がフラァマの腕を裂いて。

 続けて走ってきた猪狸が、咄嗟に避けたフラァマに向けて強引に軌道を変えて体当たりをした。


「うあっ」


 正面からではなかったけれど、フラァマの体重よりずっと思い獣の体当たり。

 無様に畑の中に転がされた。



「っく、なんで……獣、が……」

「おぉれのぉ、あぁいぼうだぁ」


 口に入った泥を吐きながら身を起してみれば、黒跳鼠と猪狸を左右に従えるような男の様子。

 しかし、猪狸も黒跳鼠も、眼孔に何もない。

 暗い穴だけ。生きている様子ではない。



「……死体繰り」

「まぁじょがおあいてだぁ。おぉれもまじょのまねぇ」

「外道の術を」


 町を追われた男。

 本当に、どうしようもない外道。こんなことを平気でするなんて。

 以前はこんなことまではできなかったのだと思う。凶う身になり、あやふやなものを操る術を身に着けた。


 飛来しながら爪を立てる黒跳鼠と、突進力の猪狸。

 普段ならフラァマでも十分に対処できる獣だけれど、こんな風に使われるとは。

 森から異様な気配を感じたのはこれらのせいもあったのだろう。魔女として未熟なフラァマには読み取れなかったけれど。


 致命的な失態。

 あと一手で追い込めたはずなのに、切られた右手に鋭い痛みが走る。


 悔しい。これじゃあ守れない。

 フラァマは守らなければいけないのに。この家と、妹弟子を。



 立ち上がろうとするフラァマを、相手が待ってくれるわけもなかった。


「つぅぶせ! そのちっちゃいまぁじょを!」

「っ!」


 凶う身の頭の上に駆け上り、両手を広げて滑空してくる黒跳鼠。

 その後を追うように走り出す猪狸。

 無理だ。躱せない。


 ぐっと腹に力を入れて、怪我をした右手を前に構える。

 右手はどうせ満足に使えない。折れてもいい、一度だけでもこの攻撃を凌いで――



「フラァマのお馬鹿‼」


 目の前に迫ってきた黒跳鼠が、横から蹴り飛ばされた。



「どうして呼ばないのです!」

「BouE!?」


 蹴った足を地面に踏み込み、その勢いを乗せて振り回した短槍が突っ込んできた猪狸の横面をぶちのめした。

 同世代の男子に負けたことがないという筋力。

 非常事態ということもあって、遠慮なく発揮された力が猪狸の突進をフラァマから逸らした。



「わたくしは、あなたの――」


 だん、と。

 両足を開いてフラァマの前に立つ。


「お姉ちゃんですのよ‼」



  ◆   ◇   ◆

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