第20話 寄るべき寄る辺



 邪妖。

 あやふやなものには、善いものも邪なものも溢れかえっている。


 幽霊のように漏れてくるものに実体はない。実体はないけれど、前に話したように死地へ誘うような悪意を持つものもいる。

 相手にしてはいけない。実体がないのだからそれでいい。


 こうして実体を持つようなことがなければ。



 どういう状況で発生するのか明確ではない。

 意思のない植物や本来の魂を失った動物に宿ることがあると言われる。

 邪妖と呼ばれる。


 得た実体を永らえさせようと色んな手管を用いるとか。

 甘い匂いで動物を誘い養分にしてしまうとか、人の姿の場合は交尾を誘って精気を吸い取るだとか。なんにしても危険な存在。

 生き残る為に手段を選ばない。それ自体は生き物とすれば間違いではないが、他者との共存など考え得ないもの。

 異質な脅威だから邪悪だと言われるのは避けようがない。



「これは危険なんです! わかりなさい!」

「でも」

「ルーシャ!」


 ぎゅうっと腕を握った。痛いくらいに。

 フラァマが本気だとわかってもらう為には仕方がない。


「本当に……危険なんです、ルーシャ。お願いですから」

「なんにも、しない……マリサ、わるいことしない」

「黙りなさい‼」

「名乗りましたわ、マリサって」

「人を惑わせる手口です。ルーシャ」


 いやらしい手口。弱々しい声で庇護を求める。

 ルーシャのような世間知らずのお嬢様ならころっと騙されてしまいそう。すでに術中に嵌っている。


 これだけ成長するまで気づかなかった。

 本当はもっと早くからこれは喋ることができただろう。その本性を隠して潜んでいた。

 体が大きくなればそれだけ力も増す。フラァマ達では対処できないほどに成長したかったのだろうが、フラァマが処分すると決めたから手を変えた。


 危険はない。何もしない。

 だから殺さないで。

 幼い子の顔を作ってそう言われれば、善意を無理やり引きずり出される。



「ただうまれただけ……ねえ、おねえちゃん……おねえ」

「黙りなさいと言いました!」

「フラァマ、この子はまだ何も」


 何もしていない。

 悪いことなど何もしていない。だから助けてあげようなんて。


 ルーシャが言うから、彼女の言葉だから余計に腹が立った。腹の中がくわぁっと熱くなってしまう。



「これからするんです! あなたを殺して血肉をしゃぶって生きるんですよ!」

「っ!?」


 疑問を挟む余地はない。

 まんまと心を揺らされているルーシャを怒鳴りつけ、断ずる。

 甘いことを言っていられない。


「そう……なのですか?」

「ちがう……マリサはつちとおひさまだけ、たべるの」

「フラァマ」

「いい加減にしてくださいルーシャ!」


 フラァマの言葉と邪妖の言葉、どちらを信じるのか。

 確かに今までは何もしなかった。するだけの力がなかったのだから当然だ。

 これからは違う。この速度で成長するのでは、もう数日のうちにフラァマより大きくなって体に見合った力を持つだろう。


 樹木の邪妖は根を張った場所から動かず、根のような枝を伸ばして獲物を捕らえたり突き刺したりするが、この場合はどうなのか。



「わたくしはただ……まだ何もしていない者を、殺すのは」

「あなたは……」


 苛立つ。

 なんでそんなものを庇うのか。フラァマを怒らせてまで。


 お姉ちゃんなんて呼ばれて乗せられている。

 フラァマと違って、弱く従順な顔でお姉ちゃん助けてと言うこの化け物に憐憫でも抱いているのだろう。あるいは愛情みたいなものを。


 お姉ちゃんみたいな気持ちで。



「あなたは……あなたの親は、私を助けてくれなかったのに」


 思わず恨み言が漏れた。

 今、ここではまるで関係ない。ましてルーシャには何の責もない恨み言を。


「なんにもしていない……悪いことをしていないって言うなら!」


 掴んでいたルーシャの腕を、投げ捨てるように放した。よろめくルーシャに向けて、腹の中から熱くて黒いものを吐き出す。


「私だって何も悪いことをしていなかった! 私の村が襲われて私の家族が死んだ時、あなたたちは何もしてくれなかった! なのに」

「フラァマ……」

「知らないでしょう? 領地の隅っこで起きたいさかいのことなんて。そこで死んだ家族と、身なし児になった私のことなんて」


 フラァマを助けてくれなかった。今も信じてくれないのに、そんなものを庇う。

 お姉ちゃんなんて呼ばれただけで、簡単にほだされて。



「遠い場所の小さな村のことなんて知らなくて当然。だけど、いま!」

「……」

「今ここにいる私の話を聞かないで、私の村よりずっと遠くにあるそんなモノの言葉を信じる! 私よりそっちに寄る!」

「そんなつもり……」

「ルーシャなんて嫌い! 大嫌いです‼」


 なんでこんなに苛立つのか。

 物を知らないお嬢様の戯言。害獣だけれど小さくてかわいそうだから逃がしてあげましょうなんて言う、幸せに育ったお花畑のお姫様の言いそうな言葉に。


「けんかは、こわい……おねえちゃん……」

「……」


 ぎりりと噛む。

 何がお姉ちゃんだ。邪妖のくせに。

 こんなものにころりと騙されるルーシャも、嫌い。本当に嫌い。



「……これは、私が処理します」

「……」

「家に入っていて下さい」


 言葉にしてしまった。

 埋めようのない溝を作ってしまう言葉を。

 ルーシャに背を向け、それ以上の口は開かない。



「……わかりましたわ」

「……」


 言ってからも、ルーシャはしばらく動かなかった。

 ルーシャの足音が去ってから、フラァマもまた動かなかった。体が動いてくれなかった。



 日が昇る。

 雲も厚みを増してくる。やはり雨が近い。


 溜息をついて、ようやく作業に取り掛かった。




「……」


 植物を殺す強い毒を水に溶かす。

 一緒に、幽霊を散らす薬液を濃く作って。

 これをかけたら周辺の土はまとめて捨てなければ。しばらくは毒が残ってしまうから。


 殺されるのを待つマリサ……邪妖が何かしらの言葉を紡ぐが、耳に入れるつもりはない。

 少なくとも今の段階では自力で動いたりすることはできないらしい。

 早めに気づいてよかった。

 悪い中でも、そう考えることくらいしかできない。



「お前は」


 毒をかける前に、なぜ言葉をかけたのか。

 ルーシャに放った言葉を埋めたかったのかもしれない。わかってほしかったと。


「ここにいてはいけない存在。だから消します」

「せっかく、うまれたのに。なあ……」



 誰もが、生まれたい場所に生まれるわけではない。

 生きたいように生きられるわけでもない。

 もしかしたら本当に、このマリサは悪事を成さないかもしれない。未来を知る術がフラァマにはないから、自分とルーシャを守る為にこうする。


「お姉ちゃんなんて呼ぶからですよ」


 邪妖なんかが、ルーシャを。

 そのせいで取り返しのつかない喧嘩をしてしまった。


「私はお前を許せない」


「――――――ッ‼」


 邪妖マリサの甲高い断末魔が森に響き渡った。



  ◆   ◇   ◆

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