第1話 こんなワケなのよ

「ハァ。たっだいまぁ」


 誰もこたえてくれない一人暮らしだけど、ついつい玄関をくぐると言ってしまうのよねぇ。


「閉店間際にヒドい客が来たもんだわ。おかげでいつもより遅くなったじゃないのよ」


 鍵を閉め、靴を脱ぎ、手洗いうがい。

 すぐになにか食べようかシャワーを浴びようか迷ったんだけど、ついソファに体を預けてしまった。


「つっかれたわぁ」


 ああ、ダメよ。座ったらもう立ち上がれないのに。

 じぃんとする頭を最高のソファに乗せると、本当に動けなくなる。


 小さなボロアパートの畳一室にあるのは、不釣り合いに豪華なソファ。


「ベッドは入んなかったから、あきらめたのよねぇ」


 腕を伸ばしてランプをともす。


「これだけでも嬉しいけど」


 アタシは可愛い物が好き。

 小さい頃は大きくなったら女の子になれると思っていた。

 将来の夢はお姫様だった。


『うーん。草太そうたくんには、むつかしいかなぁ』


 アタシが描いた絵を見て、困ったように幼稚園の先生は笑った。

 笑うしかないわよね。

 アタシは美少年とかじゃなくって、棒を持って走り回るのが似合う普通の男の子だったから。


 人との距離が近い田舎暮らしじゃ目立つから、都会に出ることを夢見て頑張った。

 なんとか都会で就職できて、稼いだお金で大好きな小物を買える生活になったけど、ブラック企業で体を壊してしまってからは収入ががくんと減った。


 開き直ってオネェ系のお店で働けるようになったんだから、これで良かったのよ。

 お洒落なマンションからは撤退したものの、ここが今のアタシのお城。


「あぁ、寝たらダメよ。早くお化粧おとさなくちゃなんないのに……」


   ※


「……う?」


 やだ。マスカラが張り付いちゃったのかしら? まぶたを上げてもはっきり見えないわ。

 それに体も動かない。寝違えちゃった?

 私、ステキ毛布をかぶって寝たんだったかしら? 全身が包まれてあたたかいんだけど……。


 手を動かそうとしてもモコモコするだけ。

 足なんか動かすことすらできない。


「目が覚めたのね、いとし子よ」


 え? 誰よ?

 ありえない近さから女性の声がしたわよ?


「本当は貴方と一緒に暮らしたかった。でも、一緒に里に戻れば貴方は迫害されてしまう。貴方を守れない愚かな母でごめんなさい」


 ぽたぽたと、あたたかな水が頬にかかる。

 ちょっと、なに泣いてんのよ? と思った瞬間、視界がひらけた。


 金髪緑目どこの外国の女優さんですかってくらい整った顔の女性が、ぽろぽろと涙を流している。


「人間の世界で生きる方が大切にしてもらえるでしょう。いつかまた会えると信じています。どうかこの子に祝福を……」


 そっとアタシの眉間みけんに唇を寄せたまま、女性は不思議な歌のようなものを口にしだした。

 長い呪文のようなそれを聞いているうちに、アタシはすっかり理解してしまった。


 アタシ……あのとき死んで生まれ変わったんだわ。

 ここは異世界で、アタシを抱っこしている外国人美女はエルフなのね。アタシはどういうわけか人間との間にできた子で、人間を嫌って閉ざされたエルフの里には連れて帰れない。


 て、ちょっと待って。


 じゃあこのエルフ母はどこで人間と出会ったのよ?

 どういう経緯で子どもアタシまでつくったの?


 すんごく聞きたいのに、残念ながら生まれたてのアタシはまだ言葉を出せない。


 エルフ母が唱えているのは血を繋いできた先祖代々の名前で、これを聞くことで、その血に継承してきた知識が覚醒する仕組みみたい。


 おかげで生まれて間もないはずなのに、エルフ、植物、薬、言語、他種族、この世界の大まかな知識が一気に増えた。うぅ。二日酔いみたいで気持ち悪い。


「今すぐにすべては理解できないかもしれないけれど、どうか忘れないでね」


 エルフ母は悲痛な顔だ。

 大丈夫よ。前世の記憶もあるから、すでにほとんど理解しているわよ。

 だからもう泣かないで。


「あぅ」


 そう伝えたくて笑顔を作ると、ぎゅっと抱きしめられて、形の良い鼻を鼻先につんとつけてくれた。


「私の可愛い……」


 アタシの名前はエルフ語で『草』を意味する言葉だった。

 あは。アタシやっぱり草なのねぇ。


 ここでまた意識が途切れた。

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