第39イヴェ ふ~じん・シュージン、自主企画をやってみた

 二〇二一年の八月十四日の京都公演から始まった、十四都市・十五公演の夏の全国ツアーも、ついに、十三本目、九月二十日の福岡公演の開催日を迎えていた。


 〈ナツアニ・メロメロライヴ〉での〈大トリ〉も含めて、この日の福岡にて、八月から九月に渡るおよそ五週間で、ライヴの数は十四本にも及ぶ。平均で週三回、時には、中一日で、場合によっては、二日連続や三日連続といったハイ・ペースで、翼葵はステージに立ち続けてきたのである。

 いくら、延期・中止を差しはさんだ、一年九ヶ月ぶりのライヴとは言えども、これが過密日程であるのは間違いなく、おそらく、演者のエールさんも、翼組のバンド・メンバーも、そして、ツアーに帯同し、裏や縁の下でライヴを支えているスタッフ達にも疲れはあるに違いない。


 こういった状況は、いわば、〈三位一体〉となってライヴ空間を作り上げているうちの〈二位〉である〈演者〉や〈スタッフ〉だけではなく、残りの〈一位〉である、我々〈観客〉にも同様のことが言えるであろう。

 複数の会場に参加している〈遠征系イヴェンター〉達、特に、〈夏兄〉も含めて、ここまで十四本のライヴへの〈全通〉を継続している、グッさん、とっきぃさん、ふ~じん師匠、そして自分も含めた四人の〈全通カルテット〉の蓄積された疲労は想像に難くない、とシュージンには思えるのであった。


 自分は大学生で、ちょうど夏休み期間中なので、今回の夏のツアーでは、学業とヲタ活の両立に苦慮する必要はなかったため、疲れてはいても、その疲労度はまだマシな方なのだ。

 社会人である三人は、仕事とヲタ活の両立のために、仕事のスケジュールを調整したり、場合によっては、遠征先のホテルでリモート・ワークをしたりなど、ノルマをこなすのが大変だったようだ。

 脳内物質が分泌され、〈イヴェンターズ・ハイ〉になっているせいか、ライヴの前後はあまり感じることはないのだが、ふとした瞬間、例えば、食事や移動中に、疲労が見え隠れすることもあり、例えば、グッさんは、しばしば、鼾をかきながら寝落ちしていたこともあった。


 とまれ、泣いても笑っても、ライヴでテンションがアゲアゲでも、それ以外の時には疲労でクラクラしていても、ツアーは、この日の福岡公演を含めて、残り三本なのだ。

 今回のツアーは、感染症の問題もあって、もしも、自分が罹患したり、濃厚接触者になってしまった場合、一本どころか、数本まとめて、ライヴへの参加が不可能になってしまうため、感染しないことを祈りながらの〈遠征〉だったのだが、ここまでのところ、自分も含めて、仲間内から感染者は一人も出てはいなかった。

 おそらく、ヲタクはみんな、ライヴに来ている時以外の日常生活では、虫のような生活をしているんだろうな、と、イヴェンター達の日々の生活を想像してみたシュージンは、思わず笑いが堪え切れなくなってしまった。


「おいっ、何、笑ってんだよ? シュー」

「いや、シショーが東京で〈虫〉になっているって想像したら、なんか可笑しくなっちゃって」

「??? 文脈なしの唐突過ぎる発言なので、さすがに何を言っているのか、意味不明だぞ」

 それから、シュージンから笑いの理由を訊いた後で、ふ~じんは言った。

「さすがに、〈ザムザ〉じゃないんで、朝、目覚めてみたら、毒虫になっていたみたいな、不条理なことはないわ」

 ふ~じんは、フランツ・カフカの『変身』の冒頭部を引き合いに出した後で、こう続けた。

「まあ、東京では、自宅か図書館で作業をしていて、まじで、一日誰とも口をきかないから、シューが言っている事も遠からずなんだけどな」

 やっぱり、イヴェンターの日常生活なんて、似たり寄ったりであるようだ。

 そりゃ、感染症にも罹りにくいはずだよね。


「そろそろ、事前物販が締め切られそうだから、ちゃっちゃと要件を済ませてしまおうぜ」

 そう言って、ふ~じんは会場の物販エリアへの入場をシュージンに促したのだった。


 今回のツアーでは、開場の三十分前まで事前物販が行われることが〈レギュレーション〉になっている。

 会場の物販エリアでは、ブースは三つに分かれており、一つが、ライヴ関連グッズの販売ブース、もう一つが、音像・映像の販売ブース、そして最後の一つが、ファンクラブのブースであった。


 ふ~じんとシュージンは、ここまで既に十二の会場に行っているので、全てのライヴ・グッズは購入済みであった。

 だが、ふ~じんは、グッズコーナーに直行して、ラバー・バンド、通称〈ラババン〉を一つだけ購入した。

 そのふ~じんの左手首には既に六本のラババン、右手首にも六本のラババンが着けられていたのだが、購入したばかりのラババンを、即座に左手首に装着することによって、両の手首に着けられたラバー・バンドの数は、ここまでのライヴの数と同じ十三本となった。

「シショー、なんか、戦闘機乗りの撃墜数みたいになってますよ」

「今回、会場ごとに一本ずつラババンを増やしていこうと思い付いて、最初のうちは何とも思わなかったんだけど、最近は、腕が軽く締め付けられている感じがするし、何気に重いんだよな」

 そういったふ~じんの手首、否、手首から二の腕の三分の一くらいまでは、ラババンで埋まっていた。

「シショー、それ、もはや、パワーリストですよ」

「それなら、もしもラババンを全部外したら、僕の手振りは、見えない程の高速で、キレッキレになるかもな」

「……。自分、CDを買ってきちゃいますね、シショー」

 ふ~じんのギャグを無視したシュージンの方は、レコードの販売ブースに向かっていった。翼葵のヲタク歴・七年のシュージンが、所持していないCDなど一枚もないにもかかわらず、だ。


 過去の翼葵のツアーでは、ライヴ会場ごとのご当地グッズとして、会場ごとに色が異なるライヴ・Tシャツや、会場ごとのキーホルダーが限定販売されたこともあったのだが、今回のツアーでは、そうした限定グッズの販売は為されてはいなかった。

 そこで、シュージンは、ご当地限定グッズの代わりとして、自分のためだけの自主企画を勝手に打ち立てたのだった。

 それが、初日の京都から一枚ずつ、CDをリリース順に買ってゆく事であった。

 この福岡で買ったCDは、今回のツアーの二曲目に歌っている『Je vais...』で、残すは、今年に入ってからリリースされた『Be@T』と『アベック』の二枚のみとなる。


 ふ~じんはラババン、シュージンはCD、集めているものは違えども、この師弟コンビの発想の根源は同根であるようだ。

 そして、CDを買い終えたシュージンと合流したふ~じんは、一緒に、ファンクラブ・ブースに向かったのであった。


 今回のツアーでは、会場に来たファンクラブの会員に対して、名刺サイズのステッカーがプレゼントされる事になっていた。

 そのステッカーそれ自体は、全ての会場で共通のデザインだったのだが、これを、ふ~じん・シュージンの二人は、自主企画に昇華させてしまっていた。


 つまり――

 会場ごとのファンクラブ・ブースでもらったステッカーの裏に日付と会場名を書き、それらを硬質のクリアーファイルに入れてゆくのだ。

 ステッカーのサイズはほぼ名刺サイズで、名刺の大きさは〈B9〉に相当するのだが、一枚ずつ入れてゆくと、十五枚が〈B5〉のクリア・ファイルにピッタリ収まることになる。

 このようにして、ふ~じんの十五本のラババン、シュージンの十五枚のCD,そして、ふ~じん・シュージンの師弟コンビ共通の十五枚のステッカーが入れられたクリアー・ファイルを携えて、ファイナルの名古屋公演で写真を撮ろうと企んでいる次第なのだ。


 かくして、ふ~じん・シュージンが、これまでの十二本のライヴ会場と同様に、ファンクラブのブースに行くと、そこにいたのは、いつものファンクラブ・スタッフの二人組の女性であった。

 ふ~じんはブースに向かって左、シュージンは向かって右に並んだ。

 そして、ステッカーをもらうために、二人が、ファンクラブ会員の証としてのWEB会員証を見せると、ファンクラブ・スタッフがこう言ってきたのだ。


「〈いつも〉ありがとうございます」


 ステッカーを入手し、ブースに背を向けたふ~じん・シュージンの二人は、思わず顔を見合わせてしまった。


「シショー、FCのお姉さんに、『いつも』とか言われちゃいましたよ。僕ら、なんか、覚えられちゃっているみたいですよ」

「まあ、ここまで十三本も行っていれば、そりゃ~な」

「自分、目立たないようにしてきたのに……。絶対、シショーの責任ですよ」

「なんでだよ。それ、言いがかりだろ。冤罪だ」

「その、戦利品みたいな数のラババン、シショー、絶対に、FCの人達に、裏で『ラババンさん』ってあだ名を付けられていますって、間違いない」


 ステッカーをクリアケースに一時保管した後で、シュージンは、ふ~じんの両手首を指さしながら、そう断言したのであった。

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