第40イヴェ ふ~じん・シュージン、推しの声が届かない

 ツアーを回っているうちに、シュージンには気が付いたことがあった。

 〈身内〉や〈おまいつ〉と、同じ列や前後の列になる事が非常に多かったのだ。

 ちなみに、〈身内〉とは、〈現場〉で大抵いつも一緒にいる仲間のことで、〈おまいつ〉とは〈お前いつもいるな〉を縮めたイヴェンター用語である。


 一度だけならば、〈偶然〉で片付けられるであろうが、この状況が数度続けば、どんなに鈍い者でも、これが〈自然〉ではなく〈作為〉である事に察しがつくだろう。

 つまり、複数会場のチケットを取っているイヴェンターは、前後の列や同じブロックに固められているようなのだ。


 運営の意図がいかなるものであるのか、その真相は藪の中なのだが、これには良い点もある。


 例えば、ライヴ会場がホールで指定座席の場合、〈身内〉と近い席になる確率は、普通は低い。

 だが、ライヴというものは、オール・スタンディングのライヴがその顕著な例なのだが、〈身内〉で固まった方が絶対的に楽しい。

 また、楽しいだけではなく、ライヴの盛り上げ方を心得ている〈おまいつ〉が固まっていると、そこが起点になって、盛り上がりが波及してゆき、会場全体のヴォルテージが上がる傾向もある。


 ライヴでは、〈現場〉に来ている観客の皆が皆、その〈現場〉特有の盛り上げ方を理解しているわけではない。そのようなライトな客層が〈盛り上がる〉ためにどうするかというと、〈おまいつ〉らしきヲタクの挙動をマネしながら、〈現場〉の雰囲気に馴染んでゆくようにするものなのだ。

 少なくとも、シュージンは、自分の主〈現場〉以外やフェスではそうしている。


 とまれかくまれ、今回の翼葵のツアーのように、〈おまいつ〉が固められている状況は、〈わかり手〉で楽しくワチャワチャできるので、この意味では、歓迎すべき事態だと言えた。


 仮に問題があるとするのならば、〈おまいつ〉が固められている位置が、会場の前方ではなかった場合、やはり、その点には不満を覚える。

 少しでも前の方の座席で、〈推し〉に一センチでも近く、というのは、イヴェンター特有の抗いがたいエゴなのである。


「シショー、自分、ちょっと〈録音〉しに行ってきます」

 F列の下手端側の指定座席に荷物を置いたシュージンは、〈おトイレ〉に向かって行った。


 残ったふ~じんが、周囲をざっと見回してみると、今回の福岡公演では、〈おまいつ〉は、会場の前方ブロック後方の下手側に固められているようであった。この日は、前方ブロックなので、固められ方としては、ここまでの十三本の中でもマシな方であろう。

 これで、下手のど端なんかじゃなく、もう少しセンター寄りであったならば、ベターだったんだけどさ……。

 そんな事を考えながら、自分の座席と演者の立ち位置間の距離やアングルを、指で測っていたふ~じんは、右から声を掛けられたのだった。


「じんさん、今回は席、近くやね」

「あっ! グッさん。こんちゃ」


 ふ~じんとグッさんの間は三席空いていたのだが、今回の座席配置は、ソーシャル・ディスタンスを保つため、一席あけだったので、空いている真ん中の座席を指さしながら、グっさんが言った。

「ここに一人いなきゃ、自然連番やったね」

「そこ、実は、シューなんですよ」

「ほんまかいなっ! にしても、ふ~じん・シュージンの、〈じん・ジン〉師弟コンビは、いつも一緒やね。

 なあ、気ぃついとるかどうか知らんけど、二人が並ぶ時って、いつも、じんさんが左の下手側、シュー君が右の上手側って並んでいるの、気ぃついてた?」

「なんか、昔から、ライヴでは、自然と下手に入っちゃうんですよね」

「でも、あれやで。今日、スタッフのブースにステッカーをもらいに行っとった時も、じんさんが左で、シュー君が右やったで」

「あっ! それは、無意識ですね。ライヴん時のポジショニングって、ついつい他んとこでもでちゃうんですかね、知らんけど。

 この『知らんけど』の使い方って合ってます?」

「問題ないと思うで、知らんけど」


 そんな話を交わしているうちに、開始五分前の影アナが入ったのと、ほぼ同じタイミングで、シュージンがトイレから戻ってきた。

「あれっ! グッさん、こんにちは。ところで、二人で、何の話をしていたんですか?」

「シュー、ああ、いつも、下手がふ~じん、上手がシュージンって並びになっているなって話をしていたんだよ」

「ああ、なるほど。この並びって、〈きたら〉でシショーと初めて会って、〈自然連番〉した時から、基本ずっと同じなんですよね。

 そういえば、あれですよね?」

「ん? 『あれ』って何だよ」

「グっさんが、自分の右にいて〈自然連番〉になったんで、これって〈デルニエ・ダジュール〉と〈リ・エール〉の武道館と同じ並びじゃないですかっ!」 

「そういえば、そやな」

「これで、じゅ姐さんが上手側にいたら完璧でしたね」


 耳が弱いじゅ姐さんは、三半規管への負担を考慮に入れて、今回の福岡公演の参加は見合わせていたのである。

「実は、今回、自分、早朝便の飛行機だったんで、搭乗した瞬間に寝落ちしちゃって、〈耳抜き〉をするのを怠ってしまったんですよ。それで、耳が完全にやられてしまって、未だに完全には復調していないんですよね」

「今回、下手の端っこで、左のスピーカーの真ん前だから、シュー君、さらに耳に負担が掛かるかもしれへんで」


 やがて照明が落ち、開始のカウントダウンに入った。 

「おっし、そろそろですね。今回も、〈現場〉つくっていきまっしょい」

 そう言って、左端のふ~じんは、十三本のラババンが装着されている両手で、ポンと一回拍子を入れて気合を入れたのだった。


 ライヴが始まってすぐに、シュージンは違和感を覚えた。

 バックの音も翼さんの声も、あまりよく聞こえないのだ。

 初めのうちこそは、飛行機の影響による耳の不調のせいかも、とシュージンは思っていたのだが……。

 同じ下手ブロックにいる周りの〈おまいつ〉達がキョロキョロしながら、下手側のスピーカーを指さしているのだ。


「下手のスピーカー、音、出てへんで」

 曲間で、グッさんがボソッと呟いた。


 故障なのか、接続ミスなのか、原因は全く分からないのだが、明らかに、ステージ向かって左側のスピーカーが全く機能していない。

 だが、下手側にいる、ベースの〈白洲(しらす)〉さんも、ギターの〈ミッチー〉も、スピーカーから音が出ていないことに全く気付かずに演奏を続けている。また、歌い手の翼さんが下手側にやって来た時も、スピーカーの異変に気付いている様子はまるでなかった。


 何故なんだ? 演者さんさえ、左のスピーカーからまるで音が出ていないのが分からないなんて。


 実は、ライヴにおける音には、〈外音(そとおと)〉と〈中音(なかおと)〉というものがある。

 会場の観客席で、ステージの左右に置かれている、黒くてデカいメイン・スピーカを通して客が聴くのが〈外音〉で、ステージで演者達が、それぞれの傍に置かれている、演者専用の〈モニター・スピーカー〉や〈イヤモニ〉を通して聴いているのが〈中音〉なのである。

 つまり、観客と演者では聴いている音が異なるのだ。


 そもそも、聴こえている音が別物なのだから、同じステージ上とはいえ、スピーカーの不調に、演者達が気が付かなくても、それは当然なのである。


 とはいえども、会場全体の音を仕切っている〈PA(パブリック・アドレス)〉が、左のスピーカーから全く音が出ていない、この事態に気付かないとは、一体なんたることかっ!


 そして、結局、下手のスピーカーの不調は全く改善されないまま、ステージは進行してゆき、ついに、本編最後の一曲である「ユメシュウエン」にまできてしまった。


 ふ~じん・シュージン・グッさんを含め、下手に固められていた〈おまいつ〉集団は、ライヴの最後まで、自分達が居る位置とは逆側のスピーカーから出ている音を拾うしかなかったのだ。その聞こえる音のアンバランスさ故に、さすがの〈おまいつ〉とは言えども、今回のライヴには、いまひとつノリ切れなかったようだ。

 そして、ライヴの間には、周囲から「ありえんだろ」とか、「これは、さすがに金返せってレヴェルだぜ」という不満の呟きさえ漏れ聞こえていた。


 だから、こういった、下手のスピーカーの沈黙ゆえに、下手側の〈おまいつ〉達は、〈その事〉に全く気付き得なかったのだ。


 翼葵は、本編最後の「ユメシュウエン」を歌唱し始めた。

 この曲はバラードであるため、バックの楽器の音は抑え気味で、それ故に、翼葵の声がより際立って聴こえた。

 

 ???

 もしかして、今日の翼さん、喉の調子、よくない? かなり掠れて聴こえるんだけれど……。


 そして、一番のサビの高音部に入った所で、突然、声が途切れ途切れになった。

 そのまま、二番の歌唱に入ったのだが、翼葵の声の状態は悪化の一途をたどり、ついには、大きく手を交差させ、本人から〈✖〉印が出されたのだった。

 かくして曲は止まり、両の掌を合わせて、観客に謝りながら翼葵がステージから退くと、「しばらくお待ちください」というアナウンスが入った。


 十分後――

 スタッフを一人伴って、翼葵は再びステージに姿を現した。だが、その手にはマイクは握られてはおらず、ステージの中央部に立つと、しばし、深々と上体を曲げ続けた。

 翼が上体を元の位置に戻すのを待って、そのスタッフが説明を始めた。


「本日、翼葵の喉の状態が芳しくないため、お客様には大変申し訳なく思うのですが、ここでステージは中止、本編最後の一曲とアンコールは取り止めとさせていただきます」


「「「「「「「「「「「「!?!???!!!?!!」」」」」」」」」」」」


「なお、返金手続きに応じます。返金希望の方は…………」

 そう話をスタッフは続けていたのだが、下手の観客達にはスタッフの後半の文言はほとんど頭に入ってはこなかった。

 

 スピーカーの不調とか、返金とか、もはやそれどころの話ではない。


 つ、翼さんの、あ、葵さんの、え、エールさんの声が……。


 五週間で十四本、凝縮し全力で駆け続けてきた、一年九ヶ月ぶりの翼葵のツアーは、残すところ、広島と名古屋の二本という所まできて、暗雲が立ち込めてしまったのである。

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