第37イヴェ ふ~じん、推しが武道館で……

 あの武道館のライヴから、光の矢の如く時は過ぎ去り、高校三年生になった佐藤秋人は、大学受験のために上京することになった。


 シュージンの〈最推〉の一翼であった〈翼葵〉は、二〇一五年十一月五日・土曜日の武道館でのライヴをもってして〈無期限活動休止〉に入っていた。

 『アゲ・ガンダム』のオープニング・ソングを担当していた翼葵を、中一の頃に〈見つけて〉から毎日のように聴いていた彼女の楽曲を、一年三ヶ月もの間、ただの一曲すら、シュージンは聴いてはいなかった。正確に言えば、聴けなくなってしまっていたのだ。例えば、携帯音楽プレイヤーのランダム再生で、翼葵の曲が流れると、堪らない気持ちになって、曲をスキップさせたり、サブスクのアニメサイトで、昔のアニメを一気観した時にも、翼葵が担当していたオープニング・ソングやエンディング・ソングを飛ばしてしまったりもしていた。


 もう二度と、ステージでエネルギッシュにパフォーマンスをする翼葵の〈生〉の歌唱を聴くことができない、というのに、どうして、音源で聴けるってんだよ、とシュージンは思ってしまっていたのだった。


 そんな秋人は、私大の入試のために、一月三十一日の夜遅くに上京していた。東京では、第一志望の大学の近くにあるウィークリー・マンションに、一ヶ月の契約で入居することになっていた。というのも、入試のために、北海道・東京間を何度も往復したり、ホテルに宿泊するよりも、ウィークリー・マンションを借りた方がコスパがよかったからである。

 東京に到着した当日の夜は、移動の疲れもあってか、時計が深夜零時を回る前に、秋人は寝落ちしてしまい、目が覚めたのは、二月一日の午前九時を過ぎてからであった。

 さらに、接続設定を済ませ、持参したノートパソコンで、ネットに繋がるようになったのは午前十時頃で、ようやく、SNSにアクセスしてみると、自分のタイム・ラインは〈お祭り状態〉になっていた。


「黒バックのエールさんのホーム・ページのど真ん中に、青い光点がチカチカしているっ!」

「スクリプトを解析してみたけれど、青い光が、だんだん大きくなるように仕込まれているよ」

「一週間後くらいになんかありそうだぞ、これは」


 事の発端は、二月一日の深夜に、翼葵から為された一年三ヶ月ぶりの呟きであった。そのツイート自体は、直ぐに削除されてしまったのだが、消される前の呟きには、ホームページへのURLのリンクが貼ってあり、そこにアクセスした者が、件の明滅する青い光点のページを発見したらしい。


「でも、まさかな……。しかし、もしかしたら……」

 秋人は受験勉強を続けながらも、両極端な思考に、純情な感情が揺さぶられ続けたまま一週間を過ごすことになった。


 二〇一八年二月八日の八時六分――

 更新された翼葵の公式サイトにて、この年の春からの活動の再開が発表され、それに伴って、「プロミス」という新曲が動画配信された。


 秋人は、喜びの奇声をあげるでもなく、黙ったまま、動画の再生ボタンを押した。

 一年三ヶ月ぶりに聴く翼葵の歌声に耳を傾けているうちに、秋人は、我知らず、嗚咽を漏らしてしまっていたのだった。


 僕、やっぱり、翼さんが好きなんだ。涙がその感情の証なのだろう。

 これは、何があっても合格して、上京しないわけにはいかなくなったぞ。


 やがて三月の初めになって、秋人は、第一志望の大学への合格を果たし、春から歌手活動を再開する翼葵のイヴェンター活動を、東京にて再開できる運びとなったのである。


 まず、二〇一八年の四月期に放映されるアニメのオープニングを担当することが決まり、六月には、その、活動再開後最初のシングルである「ナガレボシ」がリリースされた。

 そして、一年九ヶ月ぶりの、復帰後最初のライヴが、八月六日の〈エール〉の日に、活動休止前最後のライヴと同じ、武道館にて開催されることになったのである。


 実を言うと、シュージンは、こんな日が訪れるとは夢にも思ってはいなかった。

 だから、活動休止から青い光が灯ったあの日まで、一曲すら翼さんの曲を聴くことができなかったのだ。

 自分以外にも、〈ふ~じん〉さんや〈グッさん〉は同じ心理状況だったらしい。

 一方、フォロワーさんの一人である〈としキュン〉さんは、翼葵の復帰を固く信じていて、曲を毎日聴いていたらしい。さらに、としキュンさんは、例えば、誰かが「引退」といった言葉を口にしたり、武道館のツー・デイズを「最後」などと形容した場合には、それを修正していたそうだ。


 辛すぎて曲が聴けなくなってしまったり、復帰を強く信じたり、活動休止中の翼さんのヲタクの反応は様々だったようだ。


 とまれ、翼葵は、二年近くの沈黙を破り、あたかも、〈デルニエ・ダジュール〉の武道館の際に、ヲタク達と無言で交わ合った、再会の〈約束〉を果たしに来てくれたかのように、ステージに戻って来てくれたのだ。

 こんなに嬉しいことはない。


 としキュンさんが正しかったのだ。

 ヲタクは、演者に対する信じる気持ちを一つにして、その背中を〈押し〉続けなければならなかったのだ。それこそが〈おす〉ということの一つの形なのだ、と、この復帰の武道館の時に、シュージンは猛省した。


 復帰の武道館ライヴは、〈リ・エール〉と銘打たれていたのだが、このタイトルは、〈復活のエール〉だけではなく、〈繰り返される声援〉とも解釈できる。

 そして、この〈リ・エール〉でも、シュージンは、ふ~じん・ぐっサン・じゅ姐さんといった〈デルニエ・ダジュール〉と同じメンツで四連番を組んでいた。


 この〈リ・エール〉にて、復帰最初に〈生〉で翼葵が歌唱したのは、二月の復帰発表の際に配信した「プロミス」であった。


 この日のライヴの後で、ふ~じんはこんな事を語っていた。


「推しが、初めて武道館に立った時はさ、もう明日が来なくても良いと思った。

 推しが、二度目の武道館の後に活動を休止し、マイクを置いた時には、絶望して、ヲタクを辞めようかとさえ思った。

 そして、推しが、武道館で復帰し、「プロミス」を歌った時には、もう死んでもいいと思ったよ」


 これに対して、グっさんはこう応じていた。


「ハハハ、折角、アオイちゃんがこうして復帰してくれたのに、〈じんさん〉の方が死んじゃったら、〈現場〉で推しに会えなくなっちゃうよ」


 シュージンもじゅ姐さんも、グっさんのツッコミに、思わず、声をたてて笑っていたのだった。

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