第35イヴェ シュージン、初の東京〈遠征〉、そして……
「こりゃ、恥ずかしいわ」
佐藤秋人(あきひと)こと、イヴェンター・ネーム〈シュージン〉は、思わず、そんな呟きを漏らしてしまった。
「んっ!? どうした? シュー?」
代官山のライヴハウスの最前列、しかも、センター・エリアの真ん中にいた〈ふ~じん〉は、この日の連番者で、自分の右隣にいた、シュージンの独り言に対して、そんな反応を示したのだった。
この日、二〇一六年の八月六日の土曜日には、東京都の代官山のライヴハウス〈UNIT〉で、翼葵(つばさ・あおい)こと、〈エール〉さんのファン感謝祭が催されることになっていた。
この日に〈ファンミ〉を行うのは、〈八〉を〈エ〉、〈六〉を〈ル〉と読み替え、八月六日を〈エールの日〉にしようという翼葵の発案で、前年から、八月初めのこの時期に、翼葵の〈ファン感謝祭〉が開催される事になったからである。
そして豪運なことに、ふ~じんは、この二〇一六年八月六日という〈エールの日〉の当日のイヴェントにおいて、整理番号四・五番を引き当てていた。
この日のイヴェントでは、ふ~じんよりも前の整理番号の参加者もいたのだが、整理番号一番の中高生と思しき男の子は、今回のイヴェントでは、立ち位置自由にもかかわらず、ライヴエリアに続く左の扉を抜けると、そのまま、ステージに向かって左の端、すなわち、〈下手(しもて)〉側の最端に立った。
そして、整理番号二番の中年男性は、律義にも、ライヴエリアに行く前に、ドリンクを交換していた。
さらに、整理番号三番の女性は、何故か、ステージの中央部を素通りして、ステージに向かって右側、〈上手(かみて)〉エリアの真ん中あたりに位置取りしたのだった。
かくして、ふ~じんは、最良の場所である、センターエリアのど真ん中、最前列、いわゆる〈ゼロ・ズレ〉に悠然と陣取ることができ、そして、その右隣に、連番者であるシュージンが来たのであった。
このイヴェントのチケットを、ふ~じんは二枚確保していた。実はこれは、スマフォでの〈チケット申し込み〉の際に操作ミスをして、〈申し込み枚数・二枚〉にチェックを入れてしまったからなのだが、取ってしまったチケットはキャンセルできないので、この日の連番者として、およそ二年前に札幌で知り合った〈シュージン〉を誘う事にしたのである。
ふ~じんと秋人の最初の出会いは、二〇一四年九月の野外フェスにて〈自然連番〉をし、帰りのバスで会話を交わした時であった。
その後、ふ~じんは、二〇一四年の十一月の初めに、札幌の地下街で開催されたリリース・イヴェントで北海道に遠征をした際に、二ヶ月前に言葉を交わした中学生と再会することになった。
リリース・イヴェントの中には、観覧位置が来た順の、早いもの勝ちの場合がある。したがって、より良い位置でリリイヴェを観たいのならば、可能な限り早い時刻に会場に行く必要がある。
この時のふ~じんは、あらゆるイヴェンターに先んずるために、札幌駅近くに宿をとって、いかなる始発列車が札幌駅に到着するよりも早い時刻に、会場に到着できるようにした。そして、ふ~じんの会場到着の数分後にやって来たのが、当時、札幌市内在住の中学生であった秋人だったのだ。
その日のイヴェントの開始時刻は正午で、待機開始時刻からイヴェント開始までは六時間あった。ちなみに、ふ~じんと秋人の次に、イヴェンターが会場に現れたのは午前十時であり、つまり、四時間も二人ぼっちだったのだ。必然、中年のふ~じんと中学生の秋人も、自然と会話を交わすようになったのである。
ちなみに、この時、〈現場〉では本名を名乗らない方がよい、と考えているふ~じんの指摘によって、秋人は、自分のイヴェンター・ネームを〈シュージン〉に決めたのであった。
そして、ふ~じんから、イヴェンター話を聞かされているうちに、〈きたら〉以来、二〈現場〉目のシュージンは、翼葵に対するふ~じんの情熱にすっかり絆されてしまい、結果、ふ~じんを自分の師匠と仰ぐようになった次第なのである。
つまり、ふ~じんとシュージンの〈じん・ジン〉師弟コンビは、この時に端を発するわけなのだ。
それから約二年、シュージンは中学生から高校生になっていた。
その間、翼葵の北海道のイヴェントやワンマン・ライヴには参加していたのだが、未だ高校生ということもあって、道外に〈遠征〉したことはなかった。
だが、高校二年生の夏、来年度の受験を控えた秋人は、親を説得して、夏の間、東京の予備校の〈夏季集中講座〉を受講するために上京することになった。
実は、シュージンは、師匠のふ~じんから、チケットあるから夏休みに東京に来なよ、と〈エールの日〉に誘われていた。そこで、夏の間に東京に滞在するために、東京の夏期講座の受講を決めたのである。
つまり、秋人の夏期講座の参加は、上京するための大義名分であって、シュージンの真の目的は、ツバサさんのイヴェントの参加だったのだ。
「こりゃ、恥ずかしいわ」
「んっ!? どうした? シュー?」
「シショー、初〈現場〉の時のことを書いた〈日記〉、正確に言うと、十五歳になってようやく〈WIXY(ウィクシー)〉に登録できるようになった、あのリリイヴェの直後に書いたものなので、日記じゃなくて〈回想録〉なんですけど、それを読み返してたんですよ」
入場してから開演までの待ち時間は三十分なのだが、待つとなると結構長いので、シュージンは暇つぶしに、〈きたら→さっぽろ〉の事を中三の時に綴った回想録を読んで、思わず恥ずかしくなってしまっていたのだ。
「たった二年くらい前なのに、中坊の頃の文章が、あまりにも幼すぎて、赤面ものです」
「どれ、見せてみ。ハハハ。確かにな。他人に読ませるわけじゃない文章なんだから、別にいいんじゃない?」
そんな会話を交わしているうちに、開場から三十分が経過し、開演時刻になった。
だが、イヴェントが始まる気配がない。
「あれっ! 押しているのかな?」
しかし、それから十分が経過しても未だ始まらない。
「チョット、時間、押しすぎだろ」
さすがに会場内の観客がざわつき始めていた。
やがて、会場内にアナウンスが入った。
「機材トラブルのため、開始が、大変押しております。お客様には御迷惑をおかけすることになりますが、もうしばらく、お待ちください」
「なんだ。機材トラブルか。なら、仕方ないわな」
それから待つこと、さらに三十分、翼葵と翼組のメンバーがステージに現れ、まず一曲だけ歌われた。
その後、スクリーンが降ろされ、スタッフが椅子をステージに運んできて、この年の春の全国ツアーの映像を視聴し、ツアーの時の裏話を語る〈トーク会〉が始まった。
まあ、〈エールの日〉は、通常のライヴじゃない〈ファンミ〉だしな。
そう、シュージンは思っていた。
一方、ふ~じんは違和感を覚えていた。
このトーク会、しゃべっているのは翼組のメンバーだけで、アオイさんは相槌を打っているだけだったのだ。
そして、トーク会の後、再びライヴ・パートの再開となった。
だが――
一曲だけで、ライヴ・パートは終わってしまった。
開演が押したからライヴパートが短くなったのかな? でも、それにしたって、ライヴ・パートがあまりにも短すぎる。
そして、そのアオイさんの歌唱なのだが、生命力を絞り出すような必死なパフォーマンスであるように、ふ~じんには思えたのだった。
イヴェントの終了後、ライヴエリアの出入口の外で、退場してゆくイヴェント参加者への〈お見送り会〉が行われることになった。今回は、いつもとは違って、〈特別〉に、翼葵と翼組の全員による見送りだ、というアナウンスが入った。
お見送り会は最後列から始まり、最前列のふ~じんとシュージンの順番は最後になった。
シュージンがライヴエリアから出ると、そこには憧れの翼さんがいた。
「自分、北海道から来ました。実は初遠征です」
「……」
翼さんは、黙ったままわずかに微笑んで、軽く握手してきた。
その手には、まるで力が入っていないように、シュージンには思えた。
そして、今回の〈お見送り会〉の最後の一人、〈鍵閉め〉であるふ~じんの順番がきた。
「ア、アオ……イ……………………さん?」
ふ~じんは絶句してしまった。
いつものアオイさんではないのだ。
「あ……り…………が……………と……………………ぉ…………………………」
目の焦点が合ってはおらず、舌の呂律も回っていなかった。
翌日――
八月七日に開催予定の〈アフター・エールの日@大阪〉に向かうための東海道線の普通列車の中で、この日のイヴェントの中止と、しばらくの間の翼葵の活動休止、それに伴う〈ナツアニ・メロメロライヴ〉の出演辞退をふ~じんは知った。
そして――
翌々月の十月の中旬のことであった。
二週間後の十一月の頭に開催する武道館でのツー・デイズのライヴをもってして、翼葵が〈無期限活動休止〉に入ることが発表されたのである。
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