第33イヴェ じゅ姐さんと、ネージュの震脚

 翼葵の二〇二一年の夏の全国ツアーの九本目、その後半戦の皮切りとなる仙台公演の会場である〈仙台サンプラザホール〉は、〈仙石線〉の榴ケ岡(つつじがおか)駅を出てすぐの所に位置している。榴ケ岡駅は仙台駅から一駅で、仙台駅の南口から徒歩で約十分なので、わざわざ列車を利用するほどの距離ではない。

 スマフォの地図アプリで、今日の会場の位置を確認したじゅ姐さんは、『ウォーキング・クエスト』をしながら、仙台サンプラザホールに向かうことにした。


 じゅ姐さんが、開演の三、四十分前に会場に到着してみると、いつも絡んでいる、エールの遠征系のイヴェンター達が会場前に集まって、その入り口付近に置かれている、翼葵のポスターの前で列を成していた。


「みなさん、一体どうしたんですか?」

 ちょうど、列から出てきた〈とっきぃ〉にじゅ姐さんが尋ねた。

「あっ! じゅ姐さん、たぶん、北海道と新潟の時には見た覚えがないのですが、ここ仙台のポスターに、エールさんのコメントとサインが入っているんですよ」

「なるほどねぇ」

「そういった分けで、みんな、写真を撮っている次第なのです」


 写真を撮り終えたヲタク達は、次々に、とっきぃとじゅ姐さんの周りに集まりだした。そして、この小群衆に、列の最後尾に並んでいたふ~じんが加わって、いつもの遠征メンバーの仙台公演参加組が集まり終えた。

「ふ~じんさん、わざわざ人に順番を譲りながら最後尾に並び直して、それで、写真を撮るのに時間がかかっていましたけれど、いったい、どうしたんですか?」

 じゅ姐さんは、写真を撮るのに、やたら時間がかかっていたふ~じんに訊いたのだった。

「あっ、それはですね、この〈フォト・スキャン〉というアプリを使っていたからなのです」


 そのアプリは、スマフォやタブレットで、書類をスキャニングするためのものである。端末の普通のカメラ・アプリで書類をマニュアルで撮影すると、どうしてもズレてしまい、曲がってしまうのだが、このアプリを使うと、そのズレが機械的に処理されるのだ。端末での書類のスキャニングのための、このアプリを、ふ~じんは、ポスターを、より美しく撮影するために用いているのだそうだ。

 〈フォト・スキャン〉の利用手順とは、対象を撮影した後に、端末が指示する四つの角の一つ一つにポインターを合わせてゆく、というもので、結果、五つのタスクがあるので、普通のカメラでの撮影よりも時間がかかる。だから、他の撮影者の迷惑にならないように配慮して、ふ~じんは列の最後尾に並び直していた次第なのである。


 たしかに、ふ~じんが仲間達に見せた写真は、マニュアル撮影のような曲がりもなく、まるで、〈スキャナー〉を使ったかのような仕上がりであった。

「ふ~じんさんって、こおゆうことに拘りますよね。〈尋常〉じゃないね」

 いつも、ふ~じんに〈尋常〉扱いされていないじゅ姐さんが、ここぞとばかり、やり返してきた。


「そういえば、ネージュさん、今朝の『サッパリ』を観ましたよ。ロワさん、ほんと〈持って〉ますよね。狙っても、あんなにタイミングよく、兜さんの顔面に自分の頭を被せられませんよ」

 話題が、フルカ・ロワの話になって、じゅ姐さんの、マシンガン・トークが始まりそうになったのを制して、グッさんが言った。

「まあまあ、つもる話はまた後で。さっさと、入場しちゃおか」


 入場を終えたイヴェンター達それぞれは、自分の指定座席に散っていったのだが、この仙台公演の、じゅ姐さんの座席は、残念ながら〈下手(しもて)〉、ステージ向かって左サイドであった。すると、同じ横列の逆サイド、上手側にいたふ~じんが、サイドチェンジを申し出てきたのだ。

「自分、どっちかって言うと下手派だし、まあサイドを変えても、アオイさんまでの距離は変わらないんで、無問題ですよ」

「ふ~神さまっ!」

 じゅ姐さんは、頭の中で、ふ~じんの〈じん〉を〈神〉に変換させていた。


 そして、ライヴが始まった。

 しかし、今朝の『サッパリ』でのスタジオ・ライヴで仕事復帰を果たしてはいたものの、翼葵の仙台のステージには、フルカ・ロワの姿はなかった。


 もうライヴ・ツアーも後半だしね。ツアーでは、同じセトリでも、ライヴを重ねてゆくうちに、セトリはどんどん変化し成長してゆくものだから、ここまで、ツアーに参加していなかったフルカワさんの出番はないのかもしれないわ。

 秋からは、パピィーたんの二十五周年記念の東名阪ツアーもあるし、今日の『さっぱり』に出たってことは、ロワさん、そっちに集中ってことなのかな?


 やがて、最初の〈夜空〉や〈月〉をテーマにした曲のゾーンが終わって、衣装を取り換えたエールさんの〈MC〉が始まった。


「みなさん、着替えてきました。回りますね。どうせ、みんな、心の中で『まわってえええぇぇぇ~~~』って思っているんでしょ」

 そう言ったエールさんは、ゆっくりと二回転した。

「どう、動き易そうな衣装でしょ。

 こんな格好になったってことは、ここからは激しい曲のゾーンです。

 こおゆう御時世だし、ライヴのセトリは、おとなしめの曲で構成しようかってプランもありました。

 でも、やっぱ、翼葵の曲は〈エクササイズ〉です。

 激しくなくちゃ〈アオイ〉じゃない。

 今回は、ジャンプ禁止だけど、腕や身体を思いっきり動かして、エールの曲を、全力で楽しんでいきまっしょい。

 それでは聴いてください、『十の二十八乗』」


 かくして、「十の二十八乗」、続いて「盾と矛」が来て、次の曲が〈エクササイズ・ゾーン〉の最後となり、その前に再びMCが入った。


「このタイミングでMCって入ってたっけ?」

 ツアーの複数会場参加者の中には、このように思った者が少なからずいた。

 ツアーでは、基本、セトリや、MCのタイミングは同じ展開なのだ。


「この中に、今朝の『サッパリ・サタデー』を観た人いるかな? 司会の兜さんの前を横切った、もじゃもじゃしたプードルみたいな人、みんな、見たことあるよね?」

「フルカワさんのことだっ!」

 ここまでの八本のライヴにおいて、エールさんは、MCにおいて、一度たりとも、突然、ライヴに不参加になったフルカ・ロワのことも、その不参加の理由についても言及してはこなかった。にもかかわらず、ここにきて、いきなり、フルカ・ロワのことを話題にあげ出したのだ。

「翼組のギタリスト、ロワさんが、あのパピィーさんのバックでギターを弾いている、元気な姿を見せてくれましたよね。この中にも、番組を観た人いるかな?」

 観客席の各所で、何人かがぽつりぽつりと手を挙げていたのだが、ツアーの複数参加者で固められている列では、ほとんど全員が元気よく挙手をしていた。


「???」

 まっすぐと右手を挙げていたじゅ姐さんは、翼組のもう一人のギタリストで、上手にいたはずの〈ミッチー〉が、いつのまにか、下手側に移動しているのに気が付いた。


「さて、みんなも、翼組には無くてはならない一翼、古川さんの存在を忘れちゃいないよね? あたし、翼葵の、超攻撃的な激しいチューンには、フルカ・ロワのギターが欠かせないって思っているんだ」

 そう言った直後、翼葵の背後に古川路和が登場し、そして、小走りで自分の定位置に向かっていった。しかも、エールさんの顔の前で、一度たち止まり、それから、上手に走っていったのだった。


 あの『サッパリ』でのロワの伝説的行為の再現には、ステージ中央にいたエールさんも、身体を曲げて大爆笑していた。

「あたしゃ、兜さんかよ。顔の前に、いきなりモジャモジャが現れたら、そりゃ、笑いが、キャント・ストップだよね」


 ようやく笑いが収まった後で、エールさんはMCを再開した。

「さて、エクササイズ・ゾーン、最後の一曲は、フルカ・ロワ、作詞・作曲・編曲の、超攻撃的なチューンをゆきます。では、『判決』、聴いてくださいっ!」


 ゆったりとした歌い出しの後に、曲名である『ハンケツ』というフレーズが入るのだが、その後に、ロワの、攻撃的なギター・ソロが始まる。

 この時、ステージ中央の歌い手の翼葵は、視線を床の方に向ける〈シュー・ゲイザー(爪先を見詰める者)〉となって、ギター・サウンドに合わせて、右足をリズミカルに床に激しく打ち付け始めるのだ。

 エール・ヲタクの中には、この床への激しい打ち付けが、中国拳法の八極拳の〈震脚(しんきゃく)〉に似ていることから、〈エールの震脚〉と呼んでいる者もいた。


 「判決」の後に、ロワのギター・ソロに合わせた〈エールの震脚〉が始まった瞬間、一瞬にして、理性がぶっとんで、じゅ姐さんのヴォルテージはメーターを振り切っていた。

 そして、エールの震脚に合わせて、じゅ姐さんも、同じタイミングで、ネージュの震脚を始めたのだ。

 それは、床がぶち抜けんばかりの勢いであった。


 曲のアウトロで、エールさんは再度、震脚をしたのだが、そこでもまた、じゅ姐さんも、会場を揺らさんばかりの震脚をしていた。


 「判決」が終わってから、次の曲である「創世記」の開始まで、エールさんが別の衣装に着替え終わるまでの間に、少し長めのドラム・ソロが入るのだが、その間、「判決」で全力を使い尽くしてしまった、じゅ姐さんは、〈マインド・ゼロ〉になってしまったかのように、椅子にへたり込んでいた。

 そのじゅ姐さんの所に、会場スタッフが飛んできたのだ。


「お客様、動きが、尋常じゃないくらい激し過ぎます。もう少し抑えてください」

 椅子の背もたれに背中を預けながら、じゅ姐さんは二度頷いたのだった。


 その仙台公演の終了後、会場から仙台駅までの道すがら、じゅ姐さんは、遠征組の仲間にこんな事を語っていた。


「『判決』の後に、スタッフがアタシのトコに来たんだけど、アタシ、ロワのギター・ソロの時に、ステージのエールさんと同じように、普通に震脚していただけなのにな」

 これを聞いて、ふ~じんは思った。

 そいつ、もし「判決」の曲中に来ていたら、じゅ姐さんから、極刑の〈判決〉を下されたに違いないから、そのスタッフ、運がよかったわ。

 それにつけても、じゅ姐さんは〈尋常〉ではない。

って。






「 じゅ姐さんと、ネージュの王様」(じゅ姐さんの章) 〈了〉

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