第26イヴェ じゅ姐さんと、ロワの誕生日

 十六時十五分――


 十六時半からの開場前に催されていた先行物販の終了後、グッさんは、ロームシアター京都の前にあるスターバックスのテラス席で、ふ~じんとお茶をしながら、入場までの時間を、まったりと過ごしていた。

 その目の前のふ~じんはというと、数分ほど前から、タブレットに何やら高速でタイピングし続けていた。

 打ち込みを終えたふ~じんが、ふ~っと一息ついて、顔を上げ、トールサイズのカフェモカに口を付けた後で、グッさんはふ~じんに訊ねてみたのだった。

「えろう集中してたけど、どないしたんや?」

「実はですね、名古屋から近鉄で移動してたヨッポーさんなんですけど、大阪環状線が事故で遅延したらしいんですよ。で、余計なお世話かと思ったのですが、京橋発の列車の出発時刻と三条の到着時刻を、とりま調べて、DMしてたんです」

「初遠征がトラブルで、ヨッポーさんも不運やな」

「まあ、遠征ヲタクをやっていると、年一回くらいは、何らかのトラブルってあるあるなんですけどね」

「それな。

 でも、ヨッポーさんも、普通列車が名古屋に到着した時点で、すぐに近鉄を使っていれば、余裕で間に合ったのにな」

「それは、酷な話ですよ。こういうのって、やっぱ場数なんで。経験を積まないと、JRがダメなら他の手段って発想、なかなかできませんよ」

「かもな。

 あれっ! なぁ~、じんさん、岡崎公園の方から、こっちに向かって来とる女の人、あれって、〈じゅねえ〉ちゃうか?」


 テラス席にて、岡崎公園の方に顔を向けていたグッさんが、ふ~じんに注意を喚起した。

 岡崎公園の方に背中を向けていた、ふ~じんが振り返り、公園の方に視線を向けると、たしかに、青いTシャツを身に着けた、イヴェンターっぽい女性が一人、こちらに向かって来るのが視界に入った。

 グッさんとふ~じんが両手を大きく何度か振ると、それに気付いたじゅ姐さんが小走りで近付いて来た。


 跳ねるように駆け寄って来たじゅ姐さんにふ~じんが言った。

「スキップなんて、ネージュさん、なんかすっごく楽しそうですね。〈尋常〉ではないほど、ハイテンションになってないですか?」

「ここまで来る途中で、『おし悶』の〈聖地巡礼〉をして来たので、それでテンションがあがっているのよ。それに……」

「「『それに?』」」

 グッさんとふ~じんが同時に問いを発した。

「それに、今日はフルカワさんの〈生誕〉だから」

「「それ、知ってた」」

 グッさんとふ~じんが同時に同じ反応を返した。


「ねえ、ねえ、グッさん、ふ~じんさん、アタシ、こんなの作ってきちゃったの」

 それから、じゅ姐さんは、照れ臭そうにはみかみながら、トートバックの中から、プラスチック製の大きなサイズの紙ばさみを取り出した。

 その紙ばさみを開くと、そこに挟まれていたのは、〈ロワ おめでとう〉とゴシック文字で書かれた大きな団扇であった。

「えろう、厳重にしとるな」

「だって、だって、団扇が折れてたら、フルカワさんに失礼でしょ」

 そう言いながら、じゅ姐さんは、グッさんとふ~じんに、誇らしげに団扇を見せながら、何度かそれを振ってみせたのだった。

「やっぱ、ネージュさんは〈尋常〉じゃないね」

 団扇が生じさせた風を顔に浴びながら、ふ~じんはそんな感想を漏らしたのだった。


 合流したじゅ姐さんと話しているうちに、入場開始時刻はとっくに過ぎ、ロームシアター前にいたライヴの参加者はほとんどいなくなっていた。

「もう開演まで三十分やし、わてらも、そろそろ入ろか?」

「ですね。ここで待っていても、ヨッポーさん、到着はギリッぽいですしね」

 そうして、三人は連れ立って入場を済ませたのだった。


 二〇二一年のエール・ツアー初日の京都にして、フルカ・ロワの〈誕生祭〉でもあるこの日のライヴにおいて、じゅ姐さんは、豪運なことに、最前列の座席を手に入れていた。

 しかも、上手(かみて)側、すなわち、ステージに向かって右サイドなのだ。

 ヲタク一般にとって、望ましい座席エリアとは、〈センター〉と呼ばれる中央部なのだが、じゅ姐さんの場合は事情が異なる。

 これまでの翼葵のライヴにおいて、ギタリスト・ロワは、常に上手側で演奏してきている。だから、じゅ姐さんにとっては、上手こそが、彼女にとってのセンターなのである。

 それゆえに、じゅ姐さんは、しばしばこんなことを語っている。


「たとえ最前でも、上手じゃなかったら、アタシには意味ないから」


 そのじゅ姐さんが、最前列の上手を引き当てたのだ、しかも、ロワの誕生日に。

 グッサンとふ~じんは、じゅ姐さんが面白い状態になっているに違いないから、いっちょ冷やかしてやろう、と思い立って、最前列の上手に行ってみることにした。


 しかし、である。


 当のじゅ姐さんは、団扇の取っ手を両手で固く握り締めながら、笑顔一つなく、瞬き一つせずにステージを凝視し続けているのだ。

 その只ならぬ様子を訝しんだふ〜じんが、じゅ姐さんに問うてみた。


「ちょっと、これから、ロワさんの〈生誕〉ライヴという、最高の一時が始まらんというのに、一体どうしたっていうんですか? ネージュさんっ!」

「……」

 しかし、全く反応がない。

「おい、大丈夫か? じゅねえ」

 グッさんが椅子の背もたれを、何度かバンバン叩いてようやく、じゅ姐さんは口を開いたのだった。

「も、もしかして、きょ、今日、フルカワさん出ないかもしれない」

「なんやて!」

 じゅ姐さんは涙ぐんでいた。

「誕生日だから、もしかしたら、彼女と過ごしているのかも……」

「まさかっ! だって、これ仕事ですよ。それに、どうしてそんな風にネガティヴな発想をするんですか? 出ないなんて根拠はないし、分かんないじゃないですかっ!」

「その通りやで!」

「で、でも、でも、ギターが違う。あんなギター、配信でも見たことないし……」

 じゅ姐さんの視線の先にあったギターは、テレキャスターでも、白ストラトでも黒ストラトでも、そしてSGでもなかったのである。

「いや、今日、久しぶりのライヴやし、新しいギターかもしれへんやないかっ!」

「でも、でも」

 混乱しているじゅ姐さんを宥めている間に、開演五分前を告げる影アナが入ったので、グッさんとふ~じんは自分達の座席に戻るしかなくなってしまった。


 そして——

 じゅ姐さんの予感は、悪い意味で的中してしまった。

 そもそも、ことフルカ・ロワに関して、ずっとロワを追い続けてきたじゅ姐さんの直観が誤った判断を下すことなど、あり得なかったのである。


 これは、初日の公演後に分かった事実なのだが、ロワは、かの世界規模の伝染病の感染者の濃厚接触者となってしまったため、保健所から自宅謹慎を命じられ、ステージに立つことができなくなってしまっていたのだった。

 濃厚接触者の禁足期間は、原則二週間である。ということは、少なくとも、今回のツアーの前半戦の参加は不可能となる。当然、この後の神戸と高松公演でロワが演奏する可能性はゼロだ。


「もう、アタシにとっては意味ないから」

 〈推し〉不在の京都公演の終了後、じゅ姐さんは、神戸と高松公演への参加を取りやめ、交通手段も宿も全てキャンセルして、夜行バスに乗って、関東に戻ることにした。

 祇園四条にある、川端通り沿いの高速バス乗り場まで、じゅ姐さんの見送りに出向いたエール・ヲタク達は、ピンク色のバスに乗り込んでゆく、じゅ姐さんの背中を黙ったまま見送るしかなかった。

 そして、発車したバスが視界から消え去った後で、ヨッポーがボソっと呟いた。

「なんか『ドナドナ』みたいで、掛ける言葉が見つかりませんでした」

 

 かくして、残ったエール・ヲタク達は、しばし無言のまま、南座の方に向かって歩を進めるしかなかったのであった。

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