第25イヴェ じゅ姐さんと、『おき悶』

 二〇二一年八月十四日・土曜日、ついに、翼葵ことエールさんの二〇二一年夏の全国ツアーの開幕日、初日の京都公演の日を迎えた。

 今回のツアーは、まず最初に、京都・神戸・高松という関西・四国ゾーンの三公演から皮切られることになっている。


 初日の京都公演に参加するために、夜行バスを利用したじゅ姐さんが、八時頃に京都八条口のバス停に到着した時、京都の天候は、あいにくの雨模様であった。

 じゅ姐さんが、今回の移動の際に、〈青春18きっぷ〉による鈍行移動ではなく、夜行バスを利用した事には理由があった。

 久方ぶりの京都訪問になるので、ライヴ開始までの間、京都市内で、GPSを利用した〈位置情報RPGゲーム〉である『ウォーキング・クエスト』をしたり、京都を中心に活動しているライヴ・アイドルを〈おし〉ている女イヴェンターを題材にした、『お気にが〈USA〉に立ってくれたら悶え死ぬ』、通称、『おき悶』の物語の舞台探訪、いわゆる〈聖地巡礼〉をしよう、と考えていたためであった。


 じゅ姐さんは、夜バスから降りた後すぐに、雨を避けるように、京都駅八条口の降車専用バス停すぐ近くにある、チェーンのうどん屋に駆け込んだ。そして店内でゆっくりと時間をかけて、まったりと朝食を取っていたのだが、そろそろ観光を開始しようと思い、店の外に出てみると、店外は凄まじい豪雨で、とてもじゃないが外を歩き回れるような状況ではなかった。


 慌てて店内に引き返したじゅ姐さんが、スマフォで、この日の天候状況を調べてみると、九州、および、中国から東北までの本州全域に渡って、長い長い前線が日本に停滞していて、そのせいで、九州は記録的な大雨に見舞われ、中国地方では大雨特別警報が出されており、さらに、今、じゅ姐さんがいる、ここ関西では、この停滞前線による大雨の影響で、京都・大阪・神戸、いわゆる〈京阪神〉地区では、京都府・滋賀県を中心に、JR西日本の列車に運休が生じており、例えば、京都・長浜間の琵琶湖線は、少なくとも夕方まで運休、そして新幹線に関しても、午前八時半現在、大阪からの上りは運転を見合わせている、との情報を得ることができた。


 こうした悪天候による、JRの今現在の列車情報を鑑みてみると、自分が、夜バスを使うことに決めて、前夜のうちに関東を出発し、早朝のうちに京都に到着できたのって、もしかしたら、ものすっごく運が良かったのかもしれない。

 今日、この後、新幹線や鈍行列車で、関東から京都に来るイヴェンターたち、大丈夫かしら? 無事、到着できるかしら?

 そんなことを思いながら、じゅ姐さんは、予定していたこの日の京都の町歩きは諦めることにして、朝食をとったうどん屋の二階にあるネット喫茶、いわゆる〈ネカフェ〉に、雨が弱まるまでの間、退避することにしたのであった。

 

 この二年近くの間、感染症のパンデミックのせいで、フルカ・ロワのツアー・ミュージシャンとしての案件が全くなかったので、じゅ姐さんにとっては、今回の京都行きの高速バスは、久々の夜バス利用であった。そのため、移動中、あまり眠れなかった。そのせいなのか、〈ネカフェ〉に入るや否や、そこは〈寝カフェ〉と化し、即寝落ちしてしまい、じゅ姐さんはお昼過ぎまで惰眠を貪ってしまった。

 そのため、JRの運行状況が、予想よりも遥かに酷くなっていた事をじゅ姐さんが知ったのは、午後になってからであった。

 実は、この大雨の影響で、正午過ぎには、新幹線さえ、名古屋・京都間の上下線は共に運転見合わせになってしまったらしく、そのせいで、当日に関東から京都入りする予定のイヴェンターの中には、名古屋で足止めをくらってしまった者もいたそうだ。〈十八〉で鈍行移動のヨッポーも言わずもがなだったのだが、ヨッポーは、近畿在住の〈アニやん〉さんのアドヴァイスによって、名古屋から近鉄を利用して関西に移動することにしたそうだ。


「ヨッポーさん、初遠征だというのに、本当にお気の毒……。京都のライヴの開始に、なんとか間に合えばいいんだけれど……」

 そんな風に願いながら、じゅ姐さんは、京都の〈ネカフェ〉で、『お気にが〈USA〉に立ったら悶え死ぬ』の原作漫画を読み耽り、主人公と自分を重ね合わせながら、涙するのであった。


 午後三時過ぎに、七巻まで刊行されている『おき悶』を読破したじゅ姐さんが漫画喫茶を出ると、運よく雨は上がっていた。そこで、じゅ姐さんは、雨上がりの京都の空の下、京都駅から、ライヴ会場まで歩いてゆくことにした。

 その駅から会場までの四.五キロメートル間を、『ウォーキング・クエスト』をしたり、移動経路にある『おし悶』の舞台地の幾つかに立ち寄ったりしながら、一時間以上をかけて、ゆっくりと、じゅ姐さんは、平安神宮の方に向かって歩を進めていったのだった。


 今回のライヴ会場であるロームシアター京都は平安神宮のすぐ近くに位置しているのだが、その平安神宮に近接している〈岡崎公園〉もまた『おき悶』の舞台の一つで、しかも、最も重要な〈聖地〉になっているのだ。

 物語の第一話の冒頭部で、主人公の〈ゆきぴよ〉は、桜舞い散る岡崎公園で野外ライヴをしているアイドルの〈町田弘菜(まちだ・ひろな)〉と運命的な出会いをし、たちどころに、ひろなに〈おちて〉しまう。以降、ゆきぴよは、人生の全てを賭けて、弘菜をおし始める。ちなみに、その岡崎公園の運命の出会いの日は、弘菜の誕生日当日であった。


 一時間以上の徒歩での移動の後、雨のおかげで夏にしては涼やかな空気感の中、岡崎公園内を散策しながら、ゆきぴよと弘菜の最初の出会いの地を発見したじゅ姐さんは、その〈聖地〉の中心で「〈愛〉に来たよ」と、自分の心が叫びたがっているのを感じた。

 そして、自分とゆきぴよを再び重ね合わせ、独り涙を流しながら、じゅ姐さんは、こう思ったのだった。


「ゆきぴよは、弘菜の誕生日に岡崎公園で推しと運命の出会いを果たした。

 そして、アタシは、この聖地・岡崎公園の隣にあるロームシアターで、今日というメモリアル・デーに、約二年ぶりにフルカワさんとの再会を遂げるの。

 平安神宮周辺のこのエリアって、もはや、推しとヲタクにとってのパワー・スポットになっているようにしか思えないわね」


 この日、八月十四日は、エール・ツアーの初日であるだけではなく、じゅ姐さんの推しである、ギタリスト・古川路和の誕生日でもあったのだ。

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