じゅ姐さんと、ネージュの王様

第24イヴェ じゅ姐さんと、その尋常ならざる推測力

 ここに、一人の女イヴェンターがいる。

 彼女は、〈ネージュ 〉というイヴェンター・ネームでヲタク活動をしているのだが、しかし残念ながら、彼女は、イヴェンター仲間達から、〈ネージュ 〉というこの二つ名で呼ばれることはほとんどない。

 大抵の場合は、〈ネージュ 〉を逆さまにして、〈ジュネ〉さん、あるいは、彼女の尋常ならざる行動力に敬意を払い、敬称を付けて〈ジュネ姐さん〉、または、これを縮約させて、〈じゅ姐さん〉、もしくは、ただ単に〈姐(あね)さん〉と呼ばれている。

 そして今や、大学時代に第二外国語として選択したフランス語の美しい響きに魅せられて、彼女がハンドル・ネームとして採用した、〈雪〉を意味する〈ネージュ(neige)〉という、麗しい名で呼ぶ者も、その呼称の成り立ちを知っている者も、仲間内ではほとんどいなくなってしまっているのである。


 その〈じゅ姐さん〉は、二〇二一年の八月から九月の二ヶ月に渡って開催される、アニソン・シンガー、翼葵(つばさ・あおい)こと〈エール〉さんの全国ツアー、十四都市・十五公演のうち、北海道の札幌と福岡県の博多を除く、十二都市・十三公演に参加予定なのだ。


 だがしかし、である。

 じゅ姐さんは、エールさんを〈おし〉ているわけではないのだ。

 十三本も全国ツアーを回る予定であるのに、翼葵を〈おし〉ていないとは一体何事か、と奇異に思う方もおそらくは存在するであろう。

 実を言うと、じゅ姐さんは、ヴォーカリストのエールさんではなく、アニソン・シンガーたる翼葵を支える〈翼組〉の一翼を担うギタリスト、古川路和(ふるかわ・みちかず)を〈おし〉ているのである。

 その古川路和は、名前である〈路和〉を音読みして、〈フルカワ・ロワ〉、あるいは〈フルカ・ロワ〉、または、ただ単に〈ロワ〉と呼ばれている。ちなみに〈ロワ〉とはフランス語で〈王〉という意味なのだ。


 そのフルカ・ロワがギタリストを務めている翼組とは、アニソン・シンガー、翼葵の〈バック・バンド〉のことである。

 バック・バンドとは、ソロ歌手やユニットを支えて、その背後で生演奏をするバンドのことで、フルカ・ロワは、何人ものアーティストの、幾つものバック・バンドを兼任しながら、四六時中、日本中を回っている、いわゆる〈ツアー・ミュージシャン〉なのである。

 かくの如く、一年中全国を回っているフルカ・ロワを激烈に〈おし〉ているじゅ姐さんが、翼葵の全国ツアーに参加するのは、つまるところ、ギタリスト・ロワを追っかけているからに他ならない。

 ところで、ツアー・ミュージシャンの場合、自分がサポートで入る現場を事前に告知しない事も多い。フルカ・ロワもその類であった。たとえ、知らせることがあるとしても、往々にして、それは、参加の直前という事も稀ではないのだ。


 通常、ツアーのチケットとは、開催の数ヶ月前から販売が開始される。

 可能な限りツアーを回ってゆく〈遠征系イヴェンター〉の中には、考えても、数ヶ月先のことなど分からないので、参加できるかどうかには頓着せずに、まずは、最速であるファンクラブの先行でチケットを全ておさえて、それから、〈現場〉に往けるように可能な限りスケジュールを調整し、ある程度の見通しが立つと、なるべく早い段階で、〈早割〉や〈セール〉などを駆使して、できるだけ安い交通手段や宿泊先を確保し、そのようにして、少しでも出費を抑えつつ、できる限り、ツアーを回って往こうとする者もいる。

 つまるところ、遠征ヲタクの皆が皆、金持ちの道楽や、伊達や酔狂で、演者の〈おっかけ〉をしているわけではない。

 これに対して、ツアー・ミュージシャンのヲタクの場合はと言うと、たとえ、以前、サポート・メンバーをしたことがあったとしても、その事が次のツアーでもサポートに入ることを保証するものではなく、さらに、チケットの最速先行の時点で、必ずしも、サポート参加の告知が為されるわけでもないので、〈前もって〉遠征スケジュールを組むことが難しいのだ。


 しかし、である。


 じゅ姐さんが、イヴェンター仲間達から、〈姐さん〉という尊称を付けて呼ばれているその所以は、これまで、フルカ・ロワがサポートで入った数多のツアーのデータや、SNSでのちょっとしたロワの呟きを判断材料にして、フルカ・ロワが、いったい誰のツアーのサポートに入るかを予測し、しかも、それを高確率で的中させてしまう点にある。


 こうしたじゅ姐さんの並々ならぬ推測能力に対して、かつて、ふ~じんが、こんな感想を述べたことがあった。

「ネージュさん、半端ないよっ! あの予測スキル、まじで尋常じゃないって! 普通、分かんないってっ!」


 さらに、じゅ姐さんの予測力の異常さは、以下のような、幾つかの出来事によっても裏付けられよう。


 ある時、とあるライヴの開始前に、ステージの上手(かみて)に置かれていた〈テレキャスター〉を目にしたじゅ姐さんが、その日の連番者である〈グッさん〉にこう耳打ちしたことがあった。

「一曲目に『極光』がきますよ」

「ほんまかいな?」

 そして、じゅ姐さんの予言は見事に的中したのだった。


 イヴェンターの中には、ライヴ中に、ライヴの曲順、いわゆる〈セット・リスト〉をメモる人もいるのだが、じゅ姐さんのセット・リストのメモは、例えば、こんな感じに書かれている。


 1.テレキャス

 2.白ストラト

 3.黒ストラト

 4.SG


 つまり、フルカ・ロワは、曲ごとに使用するギターを取り換えているのだが、じゅ姐さんの関心は、ロワがどのギターを使うのか、その一点に注がれているのだ。

 そして、ロワがどの曲でどのギターを使うかを、じゅ姐さんは完全に記憶しているので、ステージに置かれているギターによって、弾かれる曲が分かってしまう次第なのだ。


 かつて、上記の如きセトリを、ツアー中にSNSにアップした直後に、じゅ姐さんは、こんな事を語った事もあった。


「これって、ツアーのネタバラシかな? マナー違反になるかしら?」


 だが、このツイートを目撃したフォロワー全員から、「そんな心配は杞憂」というリプライが返ってきたという。

 ツッコミを入れたヲタクの全員が、ギターの種類でセトリを綴る者など、じゅ姐さん以外に誰一人として未だかつて見たことはなかったからである。


 とまれ、こういった事例は、じゅ姐さんの尋常ならざるヲタク力の氷山の一角に過ぎないのだ。

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