第30イヴェ じゅ姐さんと、その魔眼と呪言

 二〇〇四年一月に結成し、約八年間活動してきたバンド〈キングダム〉が解散したのは、二〇一二年四月のことであった。

 その解散理由とは、ヴォーカル&ギターの〈プリンス〉が、突然、「自分探しの旅に出たいから」と言い出し、メンバーの引き留めにも全く耳を貸さず、バックパッカーとして日本を旅立つ決意をしてしまったからであった。

 実は、プリンスとロワは高校の同級生で、二人がキングダムの設立メンバーであった。そのため、オリジナルメンバーであるプリンスの脱退によって、キングダムは、バンドとしての存在意義を失ってしまったのである。

 そのキングダムの解散ライヴは、高円寺のライヴ・ハウスで行われたのだが、その後、八年近く、ネージュは、ヨシリュウとは一度たりとも会ってはおらず、さらに、会話を交わしたのは、件の居酒屋での決裂以来、実に十年ぶりのこととなる。


 それにしても、まるで、何事もなかったかのように、こんなに気安く話しかけてくるなんて、まあ、十年も経てば、あの諍いも過去のほろ苦い思い出の一つとなって、ヨシリュウにとっては、もう時効なのかもしれない。

 だけど、だけどね、アタシは、あんたの暴言を決して忘れてはいないし、あんたのことを未だに一ミリたりとも許してはいないし、本当ならば、あんたなんかとは一言すら言葉を交わしたくないんだけどね。でも、アタシも、もう大人だし、ここは大人としての対応をしなくちゃだわさ。


「ヨシリュウって、たしか山形出身だったわよね。今は帰省中なのかな? で、久しぶりの所、悪いんだけど、もう発車のベル鳴って、電車、出ちゃいそうだし、アタシ、行くわ。縁があったら、またどこかで」

 そう言って、じゅ姐さんは、仙台行きの列車に駆け込んだのだった。


 だが、仙山線が山形駅を出てすぐのことである。

「ラッキー・クッキー・マッキー! ネージュ、いたいた。実は、ウチ、今から、仙台に行くんよ。あんたはどこまで?」

「アタシも仙台だけど……」

「なら、仙台まで一時間半くらい、久しぶりにだべろうよ」

「う、うん……。そだね」

 あたしは、あんたと一緒になってアンラッキー・ガールだよ、と内心そう思いながらも、ネージュは、今にも剥がれそうな〈冷静〉という仮面を被り直したのだった。

 わずか一時間半だし、耐え忍ぼう。


「ところで、ヨシリュウは、仙台って、誰かの〈現場〉なの?」

「ソだよ。対バン・ライヴがあるんだ。ウチ、今、このアイドルにハマってるんヨ。どうカッコ良いでしょ?」

 そう言うや、ヨシリュウは、ネージュに返事をする暇も与えぬまま、彼女が現在〈おし〉ている男性アイドルの生写真を、無理矢理、ネージュに見せてきたのだった。

「明日は、仙台の〈spaceZero〉が〈現場〉なんだ」

「なる、〈ち……〉、へえええぇぇぇ~~~、そうなんだ」

 じゅ姐さんは、〈地下〉という単語の後半の〈か〉という一音が口から出るまえに、それを慌てて飲み込んだのだった。


 地上波のテレビなどのマス・メディアに出て、ドームやアリーナでライヴをするようなアイドルがいるその一方で、ライヴハウスを活動拠点にし、〈接触〉や〈接近〉と呼ばれる〈特典会〉をライヴの前後に催して、ファンとのコミュニケーションを活動の主軸に置く、会いに行ける〈ライヴ・アイドル〉という存在がある。

 メディア主体の〈地上〉波に出るアイドルに対して、そういったライヴ・アイドルの方は、ライヴハウスの多くが地下に位置しているが故にか、〈地下アイドル〉と呼ばれることもある。だが、ライヴ・アイドルのヲタクの中には、地上に対する〈地下〉というレッテルを嫌っている人もいるらしいので、じゅ姐さんは、ヨシリュウを怒らせないように、〈地下〉という語を使わないように配慮したのだった。


 ところが、である。

 ライヴ・アイドルにハマっている当のヨシリュウの方は、そういった細かな語の使い分けには頓着してはいないようであった。

「〈地下〉って最高だよ。〈地上〉と違って、近い距離でライヴが観られるし、それに、〈推し〉と会えて、いっぱい話せるし、まさに〈近〉アイドルだよ」

 そう言って、ヨシリュウは、彼女が特典会で撮った、十枚ほどのチェキをじゅ姐さんに見せてきた。

「これ、この前のイヴェントのチェキ。本当は、もっともっと回したかったんだけど、緊急事態や蔓防のせいで、待機列が時間で切られちゃったんだよね」

 そう言いながら、ヨシリュウは、名刺大の赤い紙を数枚、じゅ姐さんに見せてきた。

「これ、いったい何?」

「特典券だよ」

 ヨシリュウが言うには、ライヴの物販では、一枚千円のグループ・メンバーの生写真が販売されていて、それにはメンバー別のチェキ特典券がランダムで一枚入っているのだそうだ。ランダムなので、当然、自分の〈推し〉以外を引くこともあるわけなのだが、その場合には、別のメンバーをおしているヲタク同士で特典券のトレードが行われるのだそうだ。

 さらに、あるイヴェントで特典券が使い切れなかったとしても、その特典券の有効期限は翌月末までに設定されているので、例えば、たとえ九月のイヴェントで使えなくても、十月末までなら使える機会があるという仕組になっているらしい。


 それから――

 永遠にも感じられる忍耐の一時間半もの間、ヨシリュウの今の推しについての自慢話が無限に続き、それは、じゅ姐さんが話す余地など一分も与えてはくれない程のマシンガントークであった。


 まったく、自分の推しのことを語り出すと、他人の話など全く聞こうともしないトコなんて、十年前と全く変わりはないわね。まあ、こっちとしては、聞き流して、適当に相槌を打っていればよいだけなので、応対はラクなんだけどさ。

 それにしても〈地下アイドル〉とはね。

 まあ、ぶっちゃけて言えば、キングダムで、ヨシリュウがプリンスをおしていたのも、歌唱とか演奏が好きだったとかでは全くなくって、結局は、プリンスのルックス目当てだったから、それを思えば、今、ヨシリュウが、ヴィジュアル重視のアイドルにハマっているのは、至極当然な流れ、と言えるかもね。それにしても、今のヨシリュウの推し、顔面のタイプ的には、明らかにプリンスと同じ系統だし、ほおおおぉぉぉ~~~んとうに、相変わらず、わっかり易い女ね。


 その移動の間、ヨシリュウの口からは、二人が、かつてあんなにも〈おし〉ていたキングダムの話は〈キ〉の字すら出てはこなかった。じゅ姐さんは、そのことに、一分程の寂しさを覚えもしたのだが、残りの九割九分はホッとした気持ちであった。万が一、キングダムの話が出たとしたら、また、二人の間で、仁義なき闘いが勃発することは必然であったろうから。


 やがて、仙山線は北仙台駅を通過し、あと二駅で仙台に到着となった。

 偶然再会した元バンギャの〈二人同行〉は、残す所、あと五分という状況になってようやく、ヨシリュウがネージュにこう訊いてきた。

「ところで、ネージュ、あんたは何で仙台に? 牛タンでも食べに行くの?」

「アタシは、新潟からの帰りで、山形で乗り換えだったんだよ」

「へえええぇぇぇ~~~、どんな案件」

 指先に髪の毛を巻きながら、ヨシリュウは興味なさげに訊いてきた。

「アニソン・シンガーの翼葵さんのライヴ、昨日が新潟で、明日が仙台なの」

「アニソンね。まったく興味ないな。そのアオなんとかって人も知らんし。それにしても、ネージュ、あんた今、アニソンの〈現場〉なんかに通っているんだ。ウケル」

 うっさい、うっさい、うっさいわ。ライヴ・アイドルに行ってる、あんたには言われたないわ。内心そう思いながらも、じゅ姐さんは淡々と続けた。

「フルカワさんが、翼葵さんのバックでギターを弾いているんだ」

 それを聞いたヨシリュウは、プっと吹き出した後に、腹部を押さえながら、車内に響き渡るような大声で爆笑した。

「お、お腹、イタっ、う、ウケるうううぅぅぅ〜。あんた、未だにロワなんかをおしてるんだ。それにしても、ロワもアニソンなんかのバック・バンドだって。お腹、イタっ! で、あんたは、そんなツアー・ミュージシャンの追っ掛けをやってるって、はっ、今日一のおもしろ案件だわ」


 列車が仙台駅に到着するまで、ヨシリュウの爆笑は続いた。


「んじゃ。駅前でツレが待っているんで、アタシ、行くわ。あんたとは〈現場〉被りはしないと思うけど、またどっかで」

 言いたいだけ言い放ったヨシリュウは、列車のドアが開いた瞬間にホームに飛び出して行った。


 じゅ姐さんは目を細め、小さくなってゆくヨシリュウの背中に刺すような視線を向け、能う限りの低い声で唸った。

「呪ってやる。あんたとあんたの推しに絶望と不幸を」


 アタシのことはよい、フルカワさんをバカにするのだけは許せない。

 じゅ姐さんの魔眼が放射した〈眼刺し〉と、その声の響きには仄暗い深淵から放たれたような濃い呪詛が込められているかのようであった。

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