第17イヴェ うちゅうの曰く、俺を誰だと思ってやがる:〈夏兄〉DAY1

「やっぱ、今年の会場、なんかさみしいわ」


 十五時半——

 十六時の〈夏兄〉の開幕まで残すところ三十分程となった頃、周囲を見渡しながら、スギヤマは、こう独りごちたのだった。


 〈夏兄〉の会場であるウルトラさいたまアリーナ、通称〈USA〉は、最大収容観客数、約三万七千を誇る巨大な〈箱〉なのだが、感染症下において、政府から提示されたガイドラインによって、観客数は、現状、キャパシティの五十パーセントか、五千名以下に制限されている。

 収容最大観客数の半分以下ということは、〈USA〉では一万八千五百名まで入れられる計算になるが、これでは、上限人数〈五千人〉という基準の方に引っ掛かってしまう。そのため、座席数は五千、すなわち、今回の〈夏兄〉では、最大キャパの一割四分程度しか入れられないのだ。


 二年ぶりの〈夏兄〉の前に、スギヤマは、座席がどのように配置されるのかを何度もシュミレートしてみた。


 座席間隔を二席以上広く空けて〈人間距離〉をつくるのか、それとも、アリーナしか使わないようにするのか、その逆に、スタンドのみを使用するのか、などなど考えてきたのだ。

 しかし実際は、座席は一席空けで、最低限のソーシャル・ディスタンスを保っただけであった。

 そしてアリーナに関しては、通常、AからFまで設置する座席ブロックをDまでに留めていた。

 さらにスタンドに関しては、〈二百レヴェル〉、すなわち、二階席までしか使わず、それより上の〈三百レヴェル〉、〈四百レヴェル〉、〈五百レヴェル〉、つまるところ、三階から五階までは利用しないという手段が採られていたのだった。


 これなら、〈USA〉でやる必要なくねって、つい思ってしまう。


 とまれ、このように配置された、第十六回目の二〇二一年の〈夏兄〉におけるスギヤマの座席は、一日目はアリーナの前方、二日目はスタンド、そして三日目は、再びアリーナの前方であった。


 今回の〈夏兄〉では、感染症対策の観点から、〈分散入場〉が推奨されており、十四時から十四時半が,誰でも入場できる時間帯、十四時半からが、アリーナAおよびCの観客、十四時五十分からが、アリーナBおよびDの観客、十五時十分からがスタンド席の観客が入場できる時間帯とされていた。


 開幕まで三十分を切り、人が増え始めてきたアリーナを、スギヤマは一巡りしてみた。

 同じアリーナでも最前ブロックのAと、それ以外のブロックとの間には、柵が設けられており、Aブロックエリアに入るためには、チケットをスタッフに見せる必要がある。


 アリーナを一巡りした後で、最前ブロック、すなわち、この柵を通過し、特権エリアに帰ってきたスギヤマは、自分の座席に戻る前に、最前列まで行ってみて、そこから百八十度身体を反転させると、スタンド座席の方に視線を向け、さらに、こう思ったのだった。


 このだたっぴろい〈USA〉で、スタンドを二百レヴェルまでしか使わないと、まるで観客が入っていないかのようなスカスカな感じになるな、と。


 スタンドを二百レヴェルまでしか使わない、という状況は、人がいる二階部分と、誰もいない三階部分以上との対照ゆえに、思っていたよりも遥かに寂しい印象が強かったのである。


 自分の座席に戻ってくると、スギヤマは言った。

「まあ、しゃあないわな、さみし、思っても状況が変わるわけやないし、折角の〈え〜〉ブッロックや、全力で楽しむだけやな」

「お帰りなさい、スギヤマはん、で、今のって、もしかして、『え〜』と〈A〉を掛けはったんですか?」

 この日のスギヤマの連番者である〈スコッチ〉が、すかさず、スギヤマにツッコミを入れてきた。

「そやけど、それが何か?」

「いや、これが、うちゅうレヴェルのギャグかと思って……」

「うっさい、うっさい、うっさいわ」


 そう、スコッチに返しながらも、スギヤマは空になっている座席に何やら積み重ね始めていた。

「スギヤマはん、いったい何をしてはるんですか?」

「フェスを楽しむ準備や」

 スギヤマは、色とりどりのTシャツを椅子の上に重ねていたのである。

 それは、白、黒、赤、青、緑、黄、紫といった七枚のライヴTシャツであった。

「もしかして、演者ごとに着替えはるんですか?」

「その通りや。今回の〈夏兄〉のテーマにも合っとるやろ」

 

 〈夏兄〉には毎回テーマが設けられており、〈門〉という年もあれば、〈物語〉という回もあった。それが今回は〈色〉なのである。


「でも、スギヤマはん、〈夏兄〉って〈タイテ〉がないから、出演順って分かりませんよね?」

 〈夏兄〉では、シークレット・ゲストを除いて、出演者こそ分かってはいるものの、出演順は観客に知らされてはいないのだ。

「そこは、出てきた瞬間にチェンジするんや。自分、ライヴTは、演者ごとに色で把握しとるしな」

「っ!!!」

 スコッチは絶句した。

「……。さすが、〈うちゅうのスギヤマ〉はんですね」

「スコさん、よしてぇぇぇ〜〜〜、照れるわぁぁぁ〜〜〜」

 そう言って、スギヤマは頭を掻きながら、まず一枚目として、デフォルトである、今年の〈夏兄〉の公式シャツを身に纏ったのであった。


 そして、今年の初日、つまり、二年ぶりの〈夏兄〉が開幕した。


 〈夏兄〉では、演者がパフォーマンスを終えると、ステージ両脇の大型スクリーンに、次の出演者の名が映し出される。

 スギヤマは、その瞬間に、まさしく〈蒸着〉レヴェルで、椅子の上に重ねられ、色分けされた演者のライヴTの束から適切な色を引っこ抜くや、ものの数秒で、演者が一曲目を歌い出すまでにチェンジし終えるのだ。


(まるで、〈夏兄・七変化〉やな)

 スギヤマのライヴTチェンジの様子を横目で見やりながら、〈スコッチ〉はそう思ったのだった。


 そのスギヤマの〈七変化〉なのだが、ライヴTを準備していた演者が連続して出てきた場合には、正確に言うと、〈着替え〉ることができない。

 着替えには、脱ぐと着るという二つの行程が必要なのだが、演者の歌い出しまでにライヴTを着終えているためには、少しでも時間を削る必要がある。

 結果、脱ぐことを諦めたスギヤマは、ライヴTを〈着替え〉るのではなく、〈重ね着〉する方法を選んでいた。


 やがて——

 〈夏兄〉初日の全演者のパフォーマンスが終わり、ステージは、初日のフィナーレを迎えていた。

 今回の〈夏兄〉のエンディングでは、出演者全員によって、〈色〉を題材としたテーマ曲が歌唱されることになっているのだが、初日のトリの歌唱が終わってから、スコッチが、椅子の上にふと目をやると、開演前に置かれていたはずの色とりどりのTシャツは、もはやそこには一枚もなく、その全てはスギヤマの身体の上にあった。


 そのスギヤマは、というと、全身汗だくになっており、額からは玉のような汗が零れ落ち続けていた。

「スギヤマはん、汗、めっちゃすごいですよ。そんなに厚着してはるから」

「いやあああぁぁぁ~~~、盛り上がったわ。やっぱ〈夏兄〉は、さいっこおおおぉぉぉ〜やね。大満足やわ」

「〈夏兄〉全通者のスギヤマはんの目から見て、二年ぶりの〈夏兄〉はどうやったんですか?」

「全通ゆうても、自分、毎回、初めての気持ちでライヴに臨んでいるんやで。常に〈初心〉やっ!」

「ふぅ、名言いただきました。それ、〈夏兄〉全通者ゆえの重みがありますね。まったく、スギヤマはんは、いったい〈何様〉なんですかっ!?」


 スギヤマは、数拍置いてからこう応えたのだった。

「俺を誰だと思ってやがる。おまえ『何様?』だと。ワイこそが〈夏兄さまー〉やっ!」

 そう言って、うちゅうのスギヤマこと、〈ミスター・夏兄さまー〉は口角を上げ、ニヤッと笑ったのであった。

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