第18イヴェ うちゅうの曰く、今年の〈くすのき〉も寂しぃわ:〈夏兄〉DAY2

 赤羽で〈宇都宮線〉に乗り込んだスギヤマは、十五分ほどの乗車時間の後で、〈さいたま新都心〉駅で下車したのだった。

 時刻は、〈まだ〉午前八時ということもあってか、下車した者の中に、〈ナツアニ・メロメロライヴ〉、通称〈夏兄〉の参加者らしき者は全くいなかった。

 これが、二年前までならば、自分の〈推し〉関連のグッズ購入目的のヲタクが、早い場合は始発に乗って、〈ウルトラさいたまアリーナ〉、通称〈USA〉に乗り込んできていたものだった。

 〈もう〉八時だというのに、ヲタクがほとんどいない、という点にも、今回の〈夏兄〉がいつもと違うことを痛感せずにはいられないスギヤマであった。


 そして、例年とはどんな風に違っているのか気になって、朝早くに、この〈さいたま新都心〉にまで来てしまったスギヤマは、一つしかない改札を出ると、左折して〈USA〉の方に向かったのだった。


「やっぱ、今年の〈くすのき〉も、なんか寂しぃわ」


 〈USA〉に隣接した〈楠(くすのき)広場〉のがらんとした様子を見詰めながら、スギヤマはそう独り呟いてしまったのだった。


 これが、例年通りの〈夏兄〉ならば、この〈楠広場〉では、〈夏兄〉の開催に先立って、若手アニソンシンガーや、アニソン寄りのアイドルのステージが催され、この広場の中央部では、ステージ上で歌い踊っているアイドルに合わせて、わちゃわちゃと踊り狂って暴れまくる、そんないイキの良い〈ピンチケ〉や、その広場の様子を面白そうに遠巻きに眺めやるイヴェンターたちで、〈くすのき〉は溢れんばかりになっているのだ。

 ちなみに、〈ピンチケ〉とは、簡単に言ってしまうと、若くて暴れまくる、そんなけわしいイヴェンターのことである。

 とまれかくまれ、今年、令和三年に関しては、〈くすのき〉でのステージの全ては、いわゆる、感染症対策として、〈密〉を避けるために取り止めとなっていたのだった。 


 スギヤマは、〈夏兄〉の本編のみならず、いわば、外伝的な、この楠広場でのステージもまた、晩夏の風物詩として楽しんできた。そのため、いつもとは異なる広場の様子に、〈夏兄〉参加十五回を誇るスギヤマは、もの寂しさを覚えて仕方なかったのである。


 まだ参加者がほとんど訪れていない午前中の楠広場の縁で、しばらく佇んでいたスギヤマは、やがて、自分が立っていたのとは反対側の縁に、人影が一つあるのに気が付いた。

 その人物は、人っ子独りいない、今年の〈くすのき〉においてなお、否、むしろ人気が無いからこそなのか、音楽にノって、ヘッドバンキングをしながら、ジャンプを繰り返していたのだった。

 傍目から見たら、〈けわしいピンチケ〉そのものだ。

 だがしかし、〈ピンチケ〉と呼ぶには、少し、否、かなり歳がいっているように思えるのだが……。

「でも、あれって、もしかして……?」

 スギヤマが広場を横断して近付いてみると、その踊り狂っていた人物は、やはり、彼の顔見知りだったのだ。


 少し疲れたのであろうか、今度は、座ったままヘドバンをしまくっている、その人物の前にスギヤマが立つと、そのスギヤマの影が視界に入ったのであろう、その人物は顔を上げたのだった。


「なんや、誰やと思ったら、スギヤマちゃんかっ!」

「グッさんこそ、朝っぱらから、こんな所で独りで何してるんですか?」

「いっやあああぁぁぁ〜、そこのホテルに泊まっとるんで、朝の散歩で〈くすのき〉まで来て、ほんまは、今日の〈夏兄〉二日目の予習しよかって、思っとったんやけど、結局、いつも通りにエールちゃんを聴いとるわ。まあ、ここは、ライヴ会場の係員もいないし、ジャンプもヘドバンも、やりたい放題や」

「でも、グッさん、それ、いつもと同じやないですかっ!」

「それなっ!」


 令和三年の夏、グッさんの〈最おし〉である翼葵こと〈エール〉さんは、目下、全国ツアーの真っ最中であった。ただ、感染症下という状況もあって、今回のツアーでは、ジャンプやヘドバンといった激しい動きに制限がかかっていたのだ。だがしかし、ここ〈くすのき〉では、そんな制約などありはしない。それゆえに、解放されたグっさんは、やりたいようにノリまくっていたのであろう。

 ちなみに、そのエールさんは、〈夏兄〉の最終日に出演することになっている。


「それにしても、スギヤマちゃんは、これまでの〈夏兄〉全通しとるんやろ。ほんま、半端ないわな。ところで、昨日の二年ぶりの〈夏兄〉、どうやった?」


 前回、第十五回目の〈夏兄〉の開催は令和元年で、そして昨年は感染症の影響で開催されず、一年の延期の末にようやくこの夏の開催にまで漕ぎ着けたのだ。しかし、令和三年に関しても、何の障壁もなかったわけではなく、チケットの再抽選や観客人数の制限など、そういった幾つもの問題を乗り越えた上で、なんとか第十六回の開催を迎えたのだった。


「ほんま言うと、直前でいろいろごたついたし、始まる前はどんな風に変わるか、不安もあったんやけど、初心に返って、初日は全力で楽しみまくりましたわ」

「おっ、さすが、全通者、〈ミスター夏兄〉様の発言やな」


 それから、スギヤマは、一定の距離を開けて、グッさんの隣に座ると、しばらくの間、二人は、今年の〈夏兄〉の、二日目のトリは誰か、三日目のトリ、すなわち〈オオトリ〉は誰になるかなどなど、お互いの予測を語り合っていたのだが、その最中に、アラームが鳴って、グッさんは腕時計で時刻を確認した。

「自分は、物販があるので、そろそろ行くわ」

 フェスの物販と言えば、目当ての演者の〈夏兄〉限定グッズを手に入れんとするヲタクが、早朝から長蛇の列を為す、というのが恒例なのだが、今年の〈夏兄〉は、これまた、いわゆる〈密〉を避けるために、事前にネットで〈物販整理券〉なるものを入手しておいて、その指定時間帯に、物販ブースに赴くという方式が採られていたのである。


「ほな、スギヤマちゃん、またな」

「それじゃ、グッさん、明日はよろしくです」

 三日目・最終日は、スギヤマは、グッさんと連番を組むことになっていたのだ。

「こちらこそ、〈夏兄〉様、よろしゅう頼んますわ。明日は、噂の〈Tシャツの早着替え〉をすぐ傍で見られるん?」

「もう、ほんま、よしてくださいよっ、照れますわ」


「ちょっと身体ほぐしとこかな」

 グッさんと別れたスギヤマは、独り残った楠広場で、屈伸運動をしたり、アキレス腱を伸ばしたりするのであった。

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