第15イヴェ スコッチ、うちゅうのを語る —スギヤマの豪運

 淡路島から四国に架けられている大橋を渡り終えて、四国に入った〈ブラック・ランティス号〉が、徳島から香川に向かって、西の横移動をしている際に、話題は、この夏のツアーの合間の、八月末に催される〈ナツアニ・メロメロライヴ〉、通称〈夏兄(ナツアニ)〉へと移ったのだった。

 

 〈夏兄〉とは、二〇〇五年から毎年夏に催されているアニメ・ミュージックのフェスティバルである。

 二〇〇五年から二〇〇七年までの最初の三回は、七月に都内の会場にて、一日のみの開催であった。

 そして、二〇〇八年から二〇一二年の五回は、八月末の土日に、〈ウルトラさいたまアリーナ〉、通称〈USA〉にて、二日に渡って開催された。

 その後、二〇一三年から二〇十九年までの八回は、開催日が一日増えて、金土日の三日開催となった。

 すなわち、ライヴの総数は、三回、十回、二十一回の、計三十四回ということになる。


「ヨッポーはん、〈夏兄〉って言えば、やはり、スギヤマはんのことを話さんわけにはいきまへんわ」

「どおゆうことですか?」

「なんと、スギヤマはんはな……」

 

 うちゅうのスギヤマは、その〈夏兄〉に、二〇〇五年の第一回から、前回二〇十九年の第十五回目まで、なんと、毎年参加しているのだそうだ。

 さらに、である。

 スギヤマは、十五年連続で〈夏兄〉に参加しているだけではなく、十五年に渡って行われてきた計三十四回のライヴの全てに、一つも欠かすことなく参加している、いわゆる〈夏兄〉の皆勤者であるらしい。


 〈夏兄〉に関して言うと、例えば、この十年は毎年のように参加しているとか、この五年は、十五回、全てのライヴに参加している、というだけでも、かなり熱心な〈強い〉〈夏兄〉のファンとみなされることだろう。

 しかしながら、十五年・三十四回連続で〈夏兄〉参加のスギヤマの強さは、他の強い〈夏兄〉ヲタクと比べても圧倒的なまでに段違いであり、こう言ってよければ、真の全通者なのだ。

 スギヤマが〈真・全通者〉であるという事実を知ると、イヴェンターのほとんど全てが、「まじですかっ!」と驚愕の表情を浮かべるらしい。〈夏兄〉の全てのライヴに欠かさず行っているという事は、〈お強い〉アニソン・イヴェンターにとってさえも、極めてレアな、一目置かれるに足る実績なのである。


 このことを指摘されると、常にスギヤマはこう応えるらしい。

「夏兄〈全通〉って、探せば、きっと他にもおるって」

 しかし、スコッチは、自分の周りのヲタクに尋ねてみても、スギヤマ以外に〈兄夏〉を皆勤しているような者は他に見付けることができない。

 仮に、どこかに〈夏兄〉の〈真・全通者〉がスギヤマ以外に存在しており、たとえスギヤマが唯一者ではなかったとしても、だからといって、それで、〈真・全通者・スギヤマ〉のキャリアが陰るわけではない。たとえ何人いようとも、〈夏兄・真・全通者〉は、アニソン・イヴェンター界隈では、もはや、スペース・クラスのレジェンド以外の何者でもないからだ。

 それゆえに、〈うちゅうのスギヤマ〉を〈ミスター・夏兄さまー〉と呼ぶ者さえいるそうだ。


 このように、二〇〇五年の第一回からスギヤマが、真の全通をし続けてきた〈ナツアニ・メロメロライブ〉は、二〇二〇年に発生した感染症のパンデミックのせいで、〈延期〉の憂き目に合ってしまった。

 

 〈夏兄〉のチケットの抽選は、その開催年の春以降に数回に渡って行われる。

 その最速抽選は、前年度の〈夏兄〉の模様を収録した円盤(ブルーレイやDVDのこと)の発売時で、円盤に封入されているシリアルナンバーを利用して、その最速抽選に応募する。

 二〇二〇年の夏に開催予定であった〈夏兄〉も、その例に漏れるものではなかった。


 再確認になるが、二〇二〇年の第十六回目の〈夏兄〉は、世界規模の感染症のパンデミックの影響もあって、開催の前の月に、二〇二〇年の開催は〈延期〉とされた。

 ここで肝要なのは、あくまでも〈中止〉ではなく〈延期〉という点である。

 そのため、二〇二〇年の開催が延期された際には、そのチケットの保有者に対しては、払い戻し対応も為された。だが、延期された〈夏兄〉の翌年の開催を信じて、チケットを保持し続けておくこともまた可能であった。


 当然――

 〈夏兄〉の真の全通継続中のスギヤマは、チケットの払い戻しをするなんて発想は、一ミリグラムも持ち合わせてはいなかった。


 そして、二〇二一年の春——

 延期されていた〈夏兄〉の開催を、チケット保有者たちに確信させるかのように、参加アーティストのラインナップの〈発表会〉が催され、あとは、八月の〈夏兄〉の開催を待つだけとなった。

 なったはずであった。


 〈夏兄〉の開催まで、あと一ヶ月あまりとなった、七月の中旬のことである。

 突然、〈夏兄〉の運営から、八月末の〈夏兄〉は予定通り開催はするものの、チケットに関しては、全員に払い戻しをさせた上で、第十六回目のチケット保有者限定で〈再抽選〉を行う、との告知がなされたのだ。


 イヴェント開催のための収容率・収容人数に関しては、キャパシティーの五十パーセントか、五千人という基準が、政府当局から提示されていた。

 二〇二〇年にイヴェントの開催基準が最初に公表された時には、この基準は、感染の状況に応じて徐々に緩和してゆく、という話だったのだが、結局、状況は改善の兆しをみせぬまま、〈五十パーセント・五千人〉の人数制限は、二〇二一年の七月においてなお継続中だったのである。


 おそらく、払い戻しをせずに、〈夏兄〉のチケットを保持したままだったイヴェンターの数が五千人以上だったのであろう。つまり、政府の基準を守るためには、もはや、全員にいったん払い戻しをさせ、しかる後に、再抽選をする以外に方法がなかったのかもしれない。

 実は、払い戻しをさせた上での再抽選というのは、他のライヴやコンサートの幾つかにおいて、既になされていた手段ではあった。

 あったのだが……。


「まあ、わかるけど、でも、ないわあああぁぁぁ〜〜~、ありえんわあああぁぁぁ〜〜~」

 とある東京の〈現場〉で会った時、〈うちゅうのスギヤマ〉が、こう呟いていたのだそうだ。

 さすがの〈ミスター・夏兄さまー〉も、今回の〈夏兄〉への参加に関しては、一抹の不安を抱いていたようであった。


 偶然、近くにいて、スギヤマの独話を耳にしてしまったスコッチはこう思った。

「運営よ。たとえ、平等ではないにしても、せめて、〈真・全通者〉のスギヤマはんには、三日ともチケットを用意してくれなはれ。それが、〈公平〉というものでっしゃろ」


 そして――

 八月上旬、エールさんのツアー開催の一週間ほど前のことなのだが、再抽選された〈夏兄〉のチケットの当落日がやってきた。

 その日は、とあるライヴが東京で開催されていたのだが、何人ものイヴェンターがライヴの終了後、スギヤマに恐る恐る尋ねてきたという。

「スギヤマさん、〈夏兄〉、どうでした?」

 その度に、スギヤマが口角を上げながら、さも当然の如く、喜びを表わすでもなく、淡々とこう応えている様子を、一緒にいたスコッチが肉眼で視認している。


「三日とも、当然、当選したで」

「「「「「「「「「「「「つ、つっ、つうえええぇぇぇ~~~」」」」」」」」」」」」


 そして、スギヤマにチケットの当落を尋ねたヲタクたちは、改めて思い出すことになった。

 〈うちゅうのスギヤマ〉が〈抽選あたりスギヤマ〉とも呼ばれている豪運の持ち主であったことを。

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