鏡の水、雨の中


 僕の家は幽霊を養っている。


 美しい着物を着せ、甘い菓子を与え、暮らし向き全般の面倒をみている。足もあるし、透けてもいないし、見かけは生きた人間ではある。いつからそうなのかは家の誰も知らない。戦中は彼女を連れて国中を逃げ回ったという話を死んだ祖父から聞いたことがある。壮年の伯父が生まれる前から今の家に暮らしている。

 真っ黒な髪を長く伸ばした、色の白いきれいな女の子だ。

 華奢な手を伸ばして盆の上の菓子をつまむ。赤紫色の金平糖だ。葡萄酒で香りがつけてあるらしい。菓子屋が最近売り出したもので、すぐに売り切れてしまうのをどうにか手に入れた。

「おいしいね。ありがとう、ユキちゃん。手に入りにくいのでしょう?」

「少し並びましたけど、近くですから」

 人気店の新作だけあって、早朝からたっぷり二時間ほど寒い店の前に並ばされたが、彼女の喜ぶ顔が見られるなら苦労というほどのことでもない。ほかに柚子と生姜と珈琲の味がありましたよと教えると、柚子のがほしいなあと鈴を振るような声で言う。まつげが長くて、目が大きくて、輪郭を形づくる一つひとつがきれいだ。足が棒になるほど並ばされたとしてもきっとまた手に入れてきてやろうと決める。

「今日はなにして遊びましょうか」

 暇をもてあます彼女の遊び相手が僕の仕事だ。右手にかるた、左手におはじきを構えて笑いかけてみせる。座敷で行う古い遊びが好みで、相手をしていればいつまでも機嫌よくしている。機嫌よくしている雛子はかわいい。真っ直ぐに梳かした黒髪が、声をあげて笑うたびきらきら光る。

「あのね、ユキちゃん、きょうはもうすぐお客さまがあるの」

「――お客さま?」

「ええ、そう。すぐに用事は終わるから、そうしたら一緒に遊びましょう」

 そんな話は初耳だ。慌てて「それはすみません、お暇します」と申し出たが、客が帰るまで待ってほしいと言う。

「雛子はユキちゃんとビー玉がしたいの。用事はすぐに終わるから。一緒に隣で待っていて」

 できれば伯父に判断を仰ぎたいところだが、あいにく泊りがけの用事で三日先まで戻らない。雛子が望むなら従うべきだろう。


 この子のもとを訪れる客とは、一体全体なんだろう。

 人間なのか、そうでないのか、そんなところからしてわからない。


「ほんとに、お邪魔じゃありませんか」

 念を押すとにっこり笑うので、まあいいかという気になった。鬼が出ようが蛇が出ようが、雛子の傍で大人しくしていれば滅多なことはないだろう。よしんばどうにかなったとしても、まあ、そのときはそのときだ。ユキちゃんもどうぞと勧められるまま、酒の匂いがする金平糖をかじった。

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