三 奉天の出会い

 奉天ほうてんに着いた。 ここから安東あんとう吉林きつりん北京ペキンへ鉄道が分岐するので、列車がいくつも止まっていて、満州人の赤帽たちが忙しそうに荷物を運んでいる。よく見ると、二本線路をはさんだ側に、パシナに牽かれる「はと」が止まっていた。駅前には、馬車や自動車が行ったり来たりしている。ここで、兵隊さんたちがどやどやと乗ってきた。奉天は平地にあるだけに地形も平らな大都市で、ただ北陵ほくりょうの松林が小高く見えるだけである。雲が切れて、日光がさしてきた。雲はしきりに流れて、早春そうしゅんの畑を、野を、その影が這っていく。「あじあ」は、雲のかげを追い越したり追い越されたりして、満州の大平野をまっしぐらに突進する。四平しへいに着いた。ここからチチハルへ路線が分かれる。冬になると、この大きな停車場に、大豆の入った麻袋の山が積まれるそうだ。ぼくはマルタと、とりとめもない話をしていた。話した内容は、家族のことだったり、行き先のことだったりした。

 やがて、一人の兵隊さんがぼくに、

「君はなんという名前だい?」

 といった。ぼくは、

「木下マナブといいます」

 といった。兵隊さんは、

「俺は野村キロウっていうんだ。ちょっと雑談にまぜてもらってもいいかい?」

 といった。マルタは黙ってうなずいた。僕は言った。

「いいですよ」

 それを聞いた兵隊さんは、

「あそこの丘を知つているかい?あれは公主嶺こうしゅりょうといってね。昔、ロシアのコサック兵は、あそこで訓練していたんだ。それはそれは勇壮な眺めだったそうだよ。それから三十年も経って、今は農業試験場の羊や牛が、かけっこをしている。のどかな風景に変わっていくといい、平和な世界に。そう思わないかい?」

 と、元気よく話しながら、浅く日にやけた顔で笑った。ぼくは、

「そうだ兵隊さん、」

 と話しかけた。兵隊さんは、

「キロウさんと言っていいんだぜ」

 といった。僕は、

「キロウさん、この列車に乗るのは何回目ですか?僕は初めてなんですけど」

 とたずねた。キロウさんは、

「俺も初めてだよ。休みがもらえたんで、乗りたいと思ってた「あじあ」の切符を買ったのさ」

 と言ってから、

「君は、いい目をしている」

 と、半ば独り言のように言った。



 むこうの農家に、満州国の国旗がひらめいている。そばで、満州の人たちが、耕作の手を休めて、こちらを眺めている。

「汽車の影が長くなったね。日暮れが近いのかな」

 と、マルタが言う。汽車の影だけではない。電柱の影も木の影も、ずっと伸びた。兵隊さんたちが、

「おお、君は?」

 と聞く。マルタが、

「私はマルタといいます。よくもじって木材だとか言う人がいるけど、それすっごく嫌なんで、やめてくださいね」

 といった。

「そんなこと俺たちが言うわけないだろ。ところでマルタちゃん、どこで降りるんだい?」

「新京です」

 兵隊さんたちは、

「俺たちも同じだよ。俺たちの部隊の隊長がいるんでな。休みは今日で終わりなんだ。明日から俺たちはまた激務に戻るのさ」

 といって笑ったが、その笑いは妙に悲しげだった。そして、ついに新京が見えてきた。

 「あじあ」は、一気に満州国の首都、新京へせまって行く。遠く国務院や、関東軍司令部の建物が夕日にはえ、新しい住宅が鮮やかに見える。兵隊さんたちは新京で下車した。ぼくがおじぎをすると、みんな元気よく挙手の礼を返してくれた。マルタも、おかあさんと一緒に降りて行った。急に車内が寂しくなる。

「さようなら」「さようなら」

 マルタは、とびあがりながら手を振った。ぼくは、扉の外まで出て、姿が見えなくなるまで見送った。僕が席に戻ったとたんに、客車の扉が閉まった。「あじあ」はすべるように動き出した。

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