二 僕の話

そこで三人は、客車一両半ぶんあるいて、食堂車へはいった。食堂車は、レストランのように豪華なつくりをしていて、優雅な感じだ。ロシア人のお姉さんが、給仕をして働いていた。ぼくは、そのロシア人の給仕さんに、

「スープとハムエッグス、トーストバター付きをお願いします」

 と笑顔で言った。お昼どきを過ぎた食堂車の車内は、がらんとしている。マルタとそのお母さんは二人ともビーフステーキ野菜添えとご飯を頼んだのが意外だった。給仕さんが料理を運んできたので、ぼくは話しはじめた。給仕さんも聞きに来た。

「昔、母と子と二人暮しの家がありました。息子は、勉強のため山東へ渡って行きました。十数年の月日が経ち、もう帰って来るころになったので、年取った母は、毎日毎日望小山へのぼって港を見て、待ち続けました。息子は、一生懸命に苦学したかいがあって、りっぱな身分の人になっていました。そして、いよいよ故郷へ帰る日が来ました。ところが、途中海が荒れてしまい、息子は船とともに海に沈んでしまいました。 母は、そんなこととはつゆ知らず、風の日も雪の日も待っていましたが、とうとう山の上で亡くなったということです」

「救いのないお話だね」

 と、マルタが言った。ぼくは、

「そうだね。二人とも死んじゃってるもんね……じゃあこんな話はどうだろう」

 といって、浦島太郎の話をかいつまんで話した。マルタは、

「これのどこに救いがあるのよ」

 といったが、ぼくは、

「このお話では、まだ主人公は死んでないよね。あと、年をとったけどまだ元気だよ。だから、まだ幸せな余生を暮らすぐらいの救いはあると思うなあ」

 といった。マルタのお母さんは、

「なるほど。君はどんな境遇にあっても、生きている限り明るいことが待っていると思うのね。さすが。大きくなったら、さぞ偉い人になっているでしょう」

 と言った。給仕さんも笑顔でうなずいた。マルタが、

「マナブ君は、大連の学校に通ってるんだよね。学校には、友達いるの?」

 と聞いてきた。僕は、

「いるよ」

 と答えた。マルタは、

「名前、教えて」

 と言ってくる。本当はいないので、僕は、

「……」

 黙ってしまった。

「いないの……どうして?」

 マルタが聞いてくる。僕は、

「どうしてって、みんな僕と一緒にいたくないって言うからだよ」

 と言った。

「なんで?」

「僕は、みんなといてもうまくいかないんだ。話しかけてもらえないし、それに大連に越してきたのは最近だし…」

「なんで大連に越してきたの?」

「いじめられたから」

「どうして?」

「それは……」

 そこでマルタのお母さんが一言言った。

「マルタ」

 マルタは聞いてくるのをやめて、黙った。僕も黙った。

 列車は、大石橋(だいせきばし)で初めて停車した。十数分停車するらしいので、ホームへ出ると、風が冷たい。車掌さんが、ボーイに、

「もう少し、車内の温度をあげてくれたまえ」

 と言いつけていた。マルタも降りてきて、ぼくにこういった。

「マナブ君、寒いね」

 ぼくは、こう返した。

「そうだね。客車の中とは大違いだよ」

「見て。北の方では雪が降ったのね」

「二三日前に雪が降ったらしいね。遠くの山の上の方が白くなってる」

「日本語で、雪化粧って言うんでしょ。山が化粧をするってあたりが、かわいくて好き」

「そうなんだ」

「北といえば、私のふるさとのロシアがあるわ。今は名前が変わってソビエト社会主義共和国連邦って言うらしいけど」

「ロシアといえば、日本ではステッセル将軍が有名だね」

「ロシアは、冬はとても寒いけど、いいところよ。私のふるさとは、ミンスクってとこなの」

「どれぐらい寒いの?」

「もうものすごく。吹雪のときは、外には出られないらしいわ」

「へー。食事はどうするの?」

「食品は蓄えてあるのよ」

「なるほど」

「そうそう、私ね、マナブ君のしてくれた話を聞いて、いいな、って思ったんだ。どんなときでも明るい未来を信じていられるんだから、たぶんマナブ君はどうなっても諦めないわね。なにがあっても」

「どういう意味?」

「なにが起きても、さっきの話を忘れないでよってこと。私も忘れないから」

「うん」

「いじめに負けたりするんじゃないぞ!」

 マルタが言った。

 そのとき、車掌さんが、

「まもなく出発します」

 といったので、ぼくたちは客車に乗り込んだ。「あじあ」は大石橋の町並みを抜けて、山道に入った。そのうち、なんだか空が曇ってきた。鞍山(あんざん)の製鋼所から茶色の煙が立ちのぼり、炎が勇ましく見える。まもなく、遼陽(りょうよう)の白塔が眺められた。落ち着いた、美しい形である。優雅で気品があり、まるで貴婦人のようなたたずまいだ。ぼくの頭の中の回路は、貴婦人といえばマルタのお母さんが出てくるように変わった。

 太子河たいしこうを渡る。「あじあ」は防音装置が施してあるので、鉄橋を渡る響きが車内にやかましく聞こえたりすることはない。

「スタンプを押しませんか」

 ボーイがそう言って来たので、ぼくは、手帳に「あじあ」のスタンプを二つ押してもらった。「あじあ」を牽くパシナの勇姿があしらわれている。

「あー、パシナがよかったなあ」

 僕は、そう独り言を言った。

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