第八回




 日暮れ近くの時間、達郎は近所の銭湯へとやってきた。

 江戸時代中期の時点で銭湯の数は六百余軒。そこら中に銭湯があるような印象であり、誰もがそれを利用している。江戸では一般家庭に風呂場を設けること自体が禁止なので、当然と言えば当然だが。

 料金は一〇文程度と、非常に安い。さらには定額利用プランもあって、肉体労働者はそれを使って日に五回も六回も利用したという。もちろんそれは極端な例だが、もう一方の極端な例としては曲亭馬琴が挙げられる。達郎は何かの本で「馬琴が一年ぶりに銭湯に行った」という記述を読んでびっくりした覚えがある。また、ある人が馬琴の日記で銭湯に行った回数を数えたところ八ヶ月で二〇回しかなかったという。両極端はさておき、普通の江戸っ子がどのくらいの頻度で銭湯に通っているのか? 達郎が自分の周囲で確認した限りでは毎日か一日置き、二日置きくらいが普通なようだが、母数が少なすぎるためあまり参考にはならない。ただやはり「江戸っ子は最低一日二回は銭湯に行く」というのは極端な例を一般化したに過ぎないようだった。達郎自身は毎日入りに行っているが、その理由は後述する。

 脱衣所で着物を脱ぎ、流し場で身体を洗う。石鹸はなく、米ぬかを詰めた袋がその代わりだ。一通り身体を洗ってから湯船へと行く。浴槽の熱が逃げないように洗い場と湯船は仕切られていて、その入口は高さが九〇センチメートルほどしかなく、身を屈めて入らなければならない。

 ――ところで、江戸という町は水資源が決して潤沢ではない。理由は簡単、供給に対して人口が多すぎるからだ。幕府は何本もの水道を通して何とか対応しているがこれらは有料である。ただ水道料金を負担しているのは地主だけであり、長屋の庶民にとってそれは家賃に含まれているものだ。

 ともかく、水は無限でも無料でもない。そんな中で、大量の水を使う銭湯という場所がこの問題にどのように対処しているのか?


「うぐ……」


 鼻をつまんで閉口する達郎。湯船の湯は、異臭を漂わせている――その答えは、、である。一体何日替えておらず、何人の男がここに浸かったのだろうか。湯は泥やら垢やら、その他おぞましいものを溶解し、魔女の釜のような有様となっている。灯りがろくになくて湯面の様子がほとんど判らないのは、あるいは幸いかもしれなかった――精神的に。

 覚悟を決めた達郎が湯船に入り、一気に肩まで浸かった。


「あついあついあついあつい」


 お湯が熱い。ともかく熱い。温度計がないから正確には判らないが、体感的にはどう考えても摂氏四五度を超え、あるいは五〇度近くあるかもれしない。江戸っ子は熱い湯が好き……と言うよりは熱い湯に入れないのを恥と感じているそうで、好みや苦痛を脇に置いておいて、我慢してこの釜茹でみたいなお湯に浸かっているらしかった。

 一分少々で我慢できず、茹蛸みたいになって湯船から飛び出す。きれいなお湯で身体を流して、手拭で水を拭い、着物を着て入浴終了だ。着替えは用意しておらず、着てきた着物をそのまま着る――ふんどしも含めて。

 この時代、衣服の洗濯の頻度は非常に低く、下着すらも何日もそのまま使い続けている。達郎がふんどしを交換するのは三日に一回だ。それでも清潔を維持しようとするなら服ではなく身体を洗った方が手っ取り早いのである。

 江戸という町の清潔さ、日本人のきれい好きについては、幕末に日本を訪れた西洋人が多数の報告を残している。この時代の江戸は、そして日本人は、同時代の世界中のどこよりも清潔だったかもしれない。だがそれは「二一世紀の日本人でも快適に過ごせる」ことを保証しはしないのである。

 もっとも、二一世紀の日本人の潔癖症は同時代の他国人から見ても病的なレベルだ。こんなものをいつまでも抱えていても百害あって一利なしなので、二一世紀の感覚は全て捨ててこの時代にともかく慣れる。そうしなければ一日だって生活できないし、人間とはどんなことにも慣れる生き物だ。そして達郎の順応性は本人が思うよりもずっと高かった。

 達郎はのんびりした足取りで帰り道を歩いていく。身体はほかほかと暖かく、冬の寒空が心地よい。


「これでコーヒー牛乳の一つもあれば最高なんだけど」


 益体もない独り言を口にしたそのとき、半鐘の音が鳴り響いて誰もが足を止めた。だがそれもわずかの間だけだ。


「また火事か」


「いやねぇ、最近多くて」


 彼等は再び歩き出し、達郎もまた家路を急いだ。火事を知らせる半鐘は鳴らし方によって緊急度も伝えている。間隔を置いたその鳴らし方は、火事が遠方であることを示していた。

 火事と喧嘩は江戸の華、という言葉が二一世紀にも残るくらいに、江戸という町は火事が頻発した都市である。二六七年の間に、大火と呼ばれる火事だけで四九件。大火でない火事も合わせると一七九八件になるという。記録に残らないような小火まで数えれば、おそらくほとんど毎日どこかで火事が発生していたと言われている。

 火事が生活の一部と言うべきその江戸っ子が「最近火事が多い」と言うくらいに火事が増えている。その理由は、吉原風邪だ。部屋を暖かくし、やかんをかけて空気が乾かないようにする。塩と砂糖を入れた白湯を飲む――達郎が伝えた吉原風邪の対処法はマスクと同じように江戸中に広まっている。火を使う機会が例年より増え、そこに風邪で意識を失ったとか死んだとかでの失火も重なり、ただでさえ多い火事がさらに増えているのだ。当然死傷者もその分増えており、彼等もまた吉原風邪の犠牲者と言ってよかった――達郎の犠牲者とも。

 山青堂に戻った達郎は早々に就寝。半鐘の音に起こされたのはその夜の未明である。


「火事か……?」


 しばらくはぼけっとしていたが、間隔の短い鳴らし方だと気が付いた。これだと火事はかなり近い。飛び起きた達郎が表通りに出ると、お内を始めとする他の面々はとっくにそこに集まっていた。それに隣近所の長屋からも人が出てきている。火事は、山青堂から見て西の方だった。西側の屋根の向こうが赤くなって火の手が上がっているのがここからでも判る。


「これは……大火になるんじゃ?」


「もしかしたら……」


 そんなことを言っている間にも火の勢いは強まるばかりだ。木材の焼ける臭いが鼻を突き、灰が達郎達の頭の上にも降ってきた。ほんの数区画を挟んでその向こうが紅蓮の業火に焼かれていて、それは恐ろしいほどの勢いで広がっている。


「まずい、火が届く!」


「早く逃げないと!」


 長屋の住人は大慌てで避難を始めた。とは言っても彼等に大した財産はなく、布団や夜着が一番高価なのでそれを抱えて逃げるくらいである。が、零細でも表店の山青堂はそうもいかなかった。


「お内ちゃん早く逃げないと」


「ねえさんは先に逃げてください」


 当然躊躇う左近だが、


「俺が一緒に残って逃げますから」


 達郎がそう言って促したこともあり、彼女は右京を抱いて避難した。鉄吉・銀吉・金吉の三人もまたそれに続く。その場に残ったのはお内と達郎だけだ。


「何をしているんですか、兄さんも早く逃げないと」


「妹さんが逃げるならな。何をぐずぐずしてるんだよ」


 珍しく口調の崩れる達郎だがお内はそれについて何も言わず、真っ直ぐに西を見つめている。西は夕陽のように赤くなり、屋根の向こうに炎自体も垣間見えていた。


「逃げてどうなるんですか、うちは本屋ですよ? 火が点けば全て灰です」


 通常の表店なら商品や財産は土蔵に納めて火事から守るところだが、山青堂には土蔵がない。土蔵の建設には何十両も必要であり、零細書肆には簡単に用意できる額ではなかったのだ。つい後回しにしているうちに二〇年が経ち、今日という日を迎えてしまったのである。


「本が燃えてもまた集めればいい、板木が焼けてもまた作り直せばいい」


「お金があればそうしてもいいでしょうね」


 それだけの資金が今の山青堂にあるだろうか? 細かい帳簿まで見ているわけではないが、余裕の全くない自転車操業なのは達郎の立場でも理解できることだった。

 火事で焼かれれば再建は至難であり、山青堂は書肆としては終わりだ。それは嫌と言うほどよく判るが、「だから逃げない」というのは論外だった。達郎はいざとなればお内を担いででも一緒に逃げるつもりでいる。問題はどのタイミングで逃げるかだ。火事はまだ何区画か向こう側、ここで何とか消し止められれば……


「大丈夫、山青堂が火事で焼けたなんて話は」


 全く意味のないことを言おうとしたことに気付いて達郎が舌打ちする。山青堂がこの時期に火事で焼け出された、という話は資料に残っていない。だがそもそも吉原風邪の大流行もそれに伴う火災の頻発も、本来の歴史にはなかったことなのだ。バタフライエフェクトはとっくの昔に始まっていて、この先本来の歴史にはなかった何が起こっても不思議はないのである。

 そうこうしているうちに火事は一区画向こうまで接近していた。目の前と言ってもいい。半鐘の音は狂ったように鳴り続けている。そろそろ限界か、と判断した達郎がお内の手を握る。お内もまたそれを握り返すが、その足は釘で止められたようにびくともしなかった。

 もう引きずってでも逃げる、と達郎が決意したそのとき、


「来た……来ましたよ! 兄さん!」


 何が、と目を向けるとそこにいるのは火消し装束に身を包んだ何十人もの男。それが山青堂を目指すように四方から集まってくる。江戸の消防隊、町火消の男達だ。

 彼等のうち何人かがはしごを使って山青堂の屋根へと登り、そして纏を高々と掲げた。纏の形は田の字三方。凹んだ三角柱の形をしており、その三面に漢字の「田」を記したものだ。それは一番組のよ組の纏である。纏持ちがそれを天高く掲げ、振り続ける。その横で腕を組んで仁王立ちとなっているのはよ組の組頭だ。

 掲げられた纏を目印に町火消の男達はそれぞれ行動する。通りを挟んだ山青堂の向かいの民家によってたかり、大槌で戸を破って柱を壊し、刺又で柱を押し倒し、鳶口で屋根を引き倒す。その民家はあっという間に破壊されてしまい、がれきの山となった。

 エンジン付きのポンプも化学消火剤もないこの時代で彼等がどのような消火活動を行うか? その答えが今達郎の目の前で展開されている、「破壊消防」だ。民家を破壊して燃えにくくして、それ以上の延焼を防ぐのだ。その最終防衛ラインの目印となっているのが纏なのである。纏持ちのいる場所に延焼すれば逃げ場がなく、非常に危険な役目だがその分町火消の花形と言える存在だ。

 纏持ちは纏を振り続けて仲間を鼓舞した。それに励まされているのは町火消だけではない。達郎とお内もまたその姿をこぼれんばかりに開いた目で見つめている。

 町火消は通りの西側の民家を次々と破壊していく。そのがれきにも一部延焼するが火の勢いは明らかに弱かった。通りを挟んで東側には届かない。それでも火の粉が飛んでくるが、達郎とお内が桶に汲んだ水で消せる範囲だ。達郎が水を汲んでお内がそれを撒く。二人はそれを延々と続けた。

 何時間も水を汲み、桶を運び、達郎の手足は棒のようで足元はもうふらふらだ。それでも井戸で水を汲んで表にまで運んできて、


「もう大丈夫そうですよ、兄さん」


「え?」


 疲労のあまり思考を停止して身体だけ動かしていた達郎だが、お内の声に意識が戻ってきた。顔を上げると、通りの向こうが概ね鎮火している。まだ一部で火がくすぶっているが可燃物がなくなればすぐにそれも消えるだろう。


「この鳴らし方は……」


 いつの間にか半鐘の鳴らし方も変わっていた。専門用語で「火事がしめった」、鎮火したことを示す半鐘の音だ。それを理解した途端、この一晩の疲労が全身に一気にのしかかってきた。達郎はその場に座り込む。


「わたしがここにいます。しばらく店の中で休んでください」


 お内の言葉に甘え、達郎は店の中に入って畳の上で横になった。眠気はすぐに襲ってきて一瞬で意識が途切れ、すぐに目が覚めたと思ったらもう夜が明けていた。二時間くらいは眠ったようだが疲れや眠気が取れた感じは全然せず、まるで時間を飛ばされたかのようだ。


「いや、俺が言うと洒落にならないんだけどな、それ」


 余人には全く理解不能なことを言いつつ、達郎は起き上がった。表に出ると、そこには左近や右京、金吉ら三人も戻ってきている。欠けた者はおらず、怪我人もいない様子だった。


「ああ、よかった。みんな無事だったか」


「ええ、裏太郎さんも。それに店も無事で本当によかったです」


 涙を流さんばかりの左近の笑顔に、達郎もまた笑みを返した。

 何歩か進んで焼け跡の前までやってくる。そこでは、何人かの町火消ががれきに腰かけ、休息をとっているところだった。半纏は焦げ、あちこちに火傷や怪我を負いながらも彼等は笑っている。


「――」


 達郎はその場に立ち続け、彼等の姿を見つめ続けた。


「兄さん、何をしているんですか? やることは山ほどあるんですよ」


 被災者の救援、炊き出し、がれきの撤去。江戸の町は持ちつ持たれつの助け合いで成り立っている。大きな災害時ならなおさらであり、被災を免れた山青堂は率先して動く義務があった。

 だが、それでも達郎はその場に立ち続け、彼等を見つめ続けていた。まるでその姿を目に、心に焼き付けるかのように――。






参考文献

麻生磯次「滝沢馬琴(人物叢書)」吉川弘文館

永井義男「本当はブラックな江戸時代」辰巳出版

柊・オ・コジョ「文化の逆転―幕末・明治期の西洋人が見た日本(入浴文化篇)」同人誌(Kindle版)

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