第九回




 文政五年の一月が過ぎ、その次の閏一月も終わり、文政五年二月一日。西暦なら一八二二年三月下旬となり、季節は春である。


「ああ……暖かい」


 柔らかな春の日差しを全身に浴び、達郎は大きく息を吐く。それは「長い冬がようやく終わった」という安堵のため息だった。冬という季節は嫌いではなかったのだが、この時代に来てから嫌いになった――いや、恐れるようになったと言った方がいい。衣服は薄っぺらで頼りなく、建物は隙間だらけ。暖房器具は火事の危険と隣り合わせで燃料代も安くはない。冷え込みが厳しい夜は本気で凍死を心配する。町中の、庶民としてはそれなりの達郎ですらそうなのだから、貧しい農村の冬の厳しさは一体どれだけになることか――そして、春を迎える喜びも。


「どうしたんですか? 裏太郎さん」


 と店から左近が出てきて達郎の横に並んだ。さらに右京が左近の反対側に立ち、達郎の着物にすがる。達郎も全く意識することなく右京の頭の上に手を置いた。


「いや、特に何も。ただ、春だなーと」


 と達郎は両手を大きく広げて伸びをして、全身に日差しを受ける。右京がその横で全く同じポーズを取り、


「ええ、春ですね」


 と左近がにこにこと笑った。そして遠い目をして、独り言のように、


「今年の冬は厳しかったですからね」


 ええ、と達郎が心から同意した。その冬が特別寒冷な気候だったわけではない。過酷だったのは、吉原風邪の大流行と火事の頻発だ。今、達郎達の目の前には草っ原が広がっている。その空き地は東西に数区画分の幅があり、南北の長さはそれ以上だった。一月下旬に焼け野原となったその場所は民家が再建されず、空き地のまま今に至っている。

 いや、長屋は再建されようとしたのだ。だがその途中で、先行して再建された長屋で失火が発生して再び焼け野原になってしまい、その後はそのまま放置されていた。


「ここはこのまま火除地にする話が進んでいるらしいです」


「その方がいいですね」


 住人だけでなく地主もまた吉原風邪により大勢亡くなっていることも、その話が推進される要因の一つと思われた。大火に見舞われた外神田に火除地(火事の延焼を防ぐための空き地)が設定されたのは、本来の歴史なら明治二年。歴史が半世紀ほど前倒しとなっている。さらにこの火除地に――


「どうせならここに秋葉権現を勧請したらどうですか?」


 達郎の提案に左近は感心した。秋葉権現は江戸中で広く信仰されている、火防の霊験を有する神である。


「そうですね、秋葉様がいてくださればみんな安心すると思います」


 雑談はそこで切り上げ、達郎達は店の中へと戻る。その彼等を出迎えたのはお内のしかめ面だった。


「随分と暢気な顔ですね。そんなに春が好きなんですか?」


「ええ、愛していると言ってもいいですね」


 その嫌味を軽口で迎撃する達郎。お内は面白くなさそうにそっぽを向いた。


「何かあったの? お内ちゃん」


「いえ、別に何も。ただ大工の源さんとやり合っただけです」


 ああ、と左近は苦笑と困った顔の中間の表情をした。


「どんなに勉強しても九八両二分、それ以上は絶対に下げられないと」


 前にも述べたように山青堂には土蔵がなく、火事に遭った場合再建はまず不可能だ。このため土蔵の建築を真剣に考えているのだが、ネックになるのはその費用だった。


「最初から土蔵のある物件を手に入れればよかったんじゃ?」


「もしそうしようとしたなら、父は未だに貸本屋のままだったかもしれませんね」


 当時の山崎屋平八の資金力ではこの表店を借りることすら大博打だったのだ。それでも板元となり、八犬伝という大当たりを得て、多少なりとも余裕を持てるようになっている。


「百両足らずを惜しんで店を焼くより、ここはお金を惜しまずにしっかりした土蔵を建ててもらうべきなんじゃ?」


 ちなみに、曲亭馬琴の息子の滝沢宗伯が山青堂のごく近所に家を構えているが、その入手費用が二〇両以上。建築が途中で中断した物件で、それをまともな家に修繕するのにかかった費用も含めれば五〇両近くになったという。さらにちなみに本来の歴史において建て増ししたその家に馬琴自身が住むようになるのは文政七年、この時点から二年後のことである。


「下手に値切って火事で焼け落ちるような土蔵を建てる方がよっぽど馬鹿みたいだし、丸損でしょう」


「それはそうですけどねぇ」


 その程度の理屈はお内にだってよく判っているが、だからと言って九八両という額は気軽にぽんと出せるようなものではないのだ。だがそれでも「丸損」という達郎の言葉に促されたのか、お内も決断したようだった。


「……土蔵はそれでいいとしても、問題は元手なんですよね」


 さらに頭を悩ませるお内。そこにやってきたのは山崎屋平八(先代)だ。


「お内、もう行くよ」


 入口から顔を覗かせた先代が声をかけ、お内が「判りました」と返答し立ち上がる。


「お出かけですか」


「はい、ちょっと資金繰りに」


 お内がそう言い残して店を出、達郎達はその背中を見送った。彼女が店に戻ってきたのは昼過ぎ、三時間ほど経ってからである。


「ああ、お帰りなさい。首尾はどうでした?」


 その出迎えにお内は何も言わず、顔を俯かせたままだった。その肩が小さく震えていることに気付いた達郎が何か声をかけようとする。が、その前に、


「あああ!! あの因業じじいときたら!!」


 お内が店を揺るがす咆哮を轟かせ、達郎と左近は顔を見合わせた。達郎が視線で合図して左近がお茶を入れる。お茶を飲んでお内が多少なりとも気を鎮めるのを待ち、確認した。


「えっと、誰と会ってきたんですか?」


「馬琴翁の家に、次の刊行の打ち合わせに」


 え、本当に、と驚く達郎。八犬伝はこの時点で第四輯までが刊行されており、第五輯は文政六年(一八二三年)、来年刊行のはずである。曲亭馬琴の本物に自分も会ってみたかった、連れていってもらえばよかったか、と思う達郎だが、


「そこで色々と話がこじれて、八犬伝はもう山青堂では刊行しない、他の本屋で出すと言われてしまって……二度と顔を見せるな、とも」


 お内は歯を軋ませ、再び絶叫した。


「わたしはただ、今年中に第五輯を出せ、潤筆料は半額にするって言っただけなのに!!」


「怒るに決まってるだろそんなの」


 呆れ果てた達郎の突っ込みもお内は耳に入らないようで、地団駄を踏み続けている。その彼女を左近が「まあまあ」となだめるが、彼女が落ち着くにはそれなりの時間が必要だった。

 一通り怒りを発散させたお内は自分の失敗に落ち込み、顔を伏せて深々とため息をついた。


「はあ……こんなことなら草稿(原稿)をもらってから潤筆料を半分だけ渡せば」


「余計ダメだって」


 なお、馬琴の潤筆料は相場よりもかなり高く、一冊四両。八犬伝の第五輯は五冊組なので二〇両となる。


「つまりは四お内か」


「はい?」


 謎の通貨単位にお内が怪訝な顔をし、達郎は「何でもないです」とごまかした。


「ともかく……わたしが口を挟めば余計に話がこじれるだけだから父に日参してもらって、何とかあの因業じじいをだまくらかして」


「真っ当な商売をしようよ」


 見かけ上は落ち着いて見えるが、その心はまだ平静とは言えないようである――普段からこんなもののような気もするが。


「逆に考えよう、妹さん」


 そう言って達郎は指を突き付け、


「別に縁を切られてもいいんだと。八犬伝を刊行できなくてもいいんだと」


「それでうちはどうするんですか?」


 とお内が首を傾げる。


「馬琴翁に別の板元を紹介して、ついでにその本屋に八犬伝の板木を売ってしまえばいい。それで土蔵は建てられるだろう?」


 ――この時代に近代的な意味での著作権は存在しないが、それに近いものはある。それが「板株」だ。まず物理的に板木(版板)を所有する者が出版権を所有する。作者は原稿料を受け取ってしまえばそれ以降は何の権利も持たない(もちろん実際に本が出るまでは色々と口出しはするが)。

 権利意識の発達していない江戸時代なら海賊版は刊行し放題、というイメージがあるかもしれないが、決してそんなことはない。無断で同じ内容の本を刊行する海賊版はこの時代の言い方なら「重板」となりややこしいが、それは普通に犯罪行為として取り締まりの対象となった。またそれだけでなく、内容が似ていたり一部を抜き書きした本も「類板」と呼ばれ、厳しくとがめられたのだ。そしてこれらの重板や類板を規制し、板元の権利を守るための集まりが「本屋仲間」、本屋の同業者組合である。

 話を戻すと、本の出版権はまず物理的な板木とその所有者に帰属し、これを有する者を「板元」と言う。が、板木の作成には大変な労力と資金が必要であり、一軒の本屋だけでは担えない場合が多い。そのときは複数の本屋が必要資金を分担するが、出版権はその供出額に応じて分割されることとなる。それが「板株」であり、この時点から出版権は「板木」という物理的存在から「板株」という抽象的存在に移ることになる。

 板株は本屋仲間によって管理され、火事で物理的な板木が焼けても再度それを作成する権利は残ったままである。また、板木及び板株は売買の対象だ。この時代、本一冊の刊行部数は非常に少なく、その本を売るだけでは出版費用をなかなか回収できなかった。その場合はその板木をある程度のところで売却し、それで費用を回収するのである。

 お内の頭の中で算盤を弾く音がする。人気の高い八犬伝の板木はきっと高く売れ、土蔵を建てる資金はそれで手に入るだろう。だが、


「この先うちは何を売って儲ければ?」


「俺が読本を書きます」


 と胸を張る達郎にお内は白けたような目を向けた。両者が無言のまましばしの時間が流れ、


「……いや、まあ、たとえば柳亭種彦に書いてもらうとか」


 気まずそうな達郎の提案にお内が「それもいいですね」と頷く。


「それに、馬琴翁の仕事って山青堂にとっても無茶苦茶負担だったんでしょう? 校正……じゃなくて校合とか」


「そうなんですよ! 本当にもう!」


 お内は心底から大変そうな声を出し、達郎は深く深く同情した。


「一冊本を出すのに一体何回校合することか! それも校合のたびに違う場所を『ここが間違っている』って言ってきて! 最初から、一回で言えばいいでしょうが!」


 怒涛の勢いで憤懣を溢れさせるお内に対し、達郎が相槌を打つ。その愚痴は延々と続き、「うんうん」と頷き続ける達郎は自分が平和鳥の置物にでもなったような気がした。

 なお、曲亭馬琴もこの校合作業については鈴木牧之への書簡の中で長々と愚痴を述べている。森山武の「雪国を江戸で読む~近世出版文化と『北越雪譜』」から現代語訳を引用すると、


「板元は利益のためにのみ本を出すのですから、校合作業などには頓着せず、板木の彫刻が終わったら早く売り出して利益を得ようと考えるだけです」


「また、校合後の板木の直しは、板木師にとっては無賃の仕事なので、あれこれと言い訳をして、一向にらちが明かぬのです」


「板木師との根比べ疲れ果てるのと、また自作は読み過ぎで誤字脱字に気がつかない」


 さらには、


「自作を毎日二度三度と読み返すので、果ては飽き飽きし、その本が本屋に積まれた頃には、振り返って見るのも嫌になります」


 もしお内がこの愚痴を耳にしたなら、


「だったら適当なところで切り上げればいいでしょうが!!」


 と吠えるのは必定だった。


「……確かに、八犬伝を手放すのも悪くないかもしれません」


 愚痴を吐き出すだけ吐き出してすっきりしたのか、お内はそれを選択肢の一つとして考えられるようになった。曲亭馬琴と言えばこの時代としても身分意識が非常に強く、骨の髄まで封建的な人間だ。さらには筋の通らない話は全く受け付けない、極めて意固地な人間でもある。その彼が、「町人の」「女の」「まだ子供みたいな年齢の」お内から、いきなり「潤筆料を半額にする」という全く筋の通らない、どんな温厚な人間でも間違いなく怒る話をされたのだ。虎の尾の上でタップダンスをするようなものであり、絶縁されたのも当然だった。先代の山崎屋平八にしても馬琴が気を許しているわけではなく、むしろ軽侮の対象であり、どれだけ日参したところでその怒りを解ける見込みは限りなく低い――とお内にも判っている。この先は馬琴や八犬伝を抜きにして店を回していかなければならないことも。

 ただ、八犬伝の板木は山青堂にとっては最大の財産だ。そう簡単に決断できることではなかった。


「父とも相談します。それに、高屋様にもまたうちで書いてもらえるかどうか話をしてみて」


「それがいいですね」


 ああ、とあることを思い出した達郎が付け加える。


「板木を売る先は涌泉堂じゃなくて文渓堂にしましょう。文渓堂にするべきです」


 その強い主張に対してお内は「考えておきます」とだけ言って言質を与えなかった。そもそも板木を売ることも決定事項ではないのだから。

 ……が、その後の展開は概ね達郎の提案のままとなった。


「八犬伝の第五輯はうちと文溪堂で半株となりそうです」


「そうですか、それはよかった」


 一軒の本屋で板株の全てを所有する場合これを丸株と呼ぶ。半株は二軒の本屋で板株を折半するやり方だ。元々、山青堂の規模で八犬伝の板木全てを作成するのは負担が重かったのだ。文溪堂と出版費用を折半し、さらには馬琴とのやり取りを始めとする全ての実作業は文溪堂に押し付け、山青堂は売上を分けてもらうだけ。


「初めからこうしていればよかったです」


 とお内もすっきりした顔である。馬琴は山青堂と表向きは縁切りでき、文溪堂は馬琴を手に入れ、誰も損をしない取引だ。


「まあ、文溪堂はこれから大変な思いをするだろうけど」


 本来の歴史において山青堂が刊行したのは八犬伝の第五輯まで。第六輯・第七輯は涌泉堂が刊行している。が、涌泉堂もまた零細書肆であり、破産した山青堂から板木を手に入れるのに借金をして首が回らなくなり、結局それを手放すこととなる。最終的にそれら全てを買い戻し、さらには第八輯から最後までを刊行したのが文溪堂丁子屋平兵衛なのである。

 丁子屋平兵衛はよほど上手く馬琴を操縦したのか、あるいは人間が出来ていたのか、あの馬琴と大きな衝突を起こすこともなく最後まで付き合っている。涌泉堂も、八犬伝と関わらなければ潰れることはなかったかもしれず、これまた誰も損をすることのない話だった。


「高屋様も、うちで本を出すのを乗り気な様子です」


「へえ、それもまたいい話ですけど」


 ただ、柳亭種彦は体力的な問題であまり多作ができなかったはずなのだが……


「これまで付き合ってきた板元の店主が吉原風邪で亡くなってしまい、代替わりしたその若旦那があまりいい人間ではなかったのでちょっと離れたい、と言ってました」


 そんなことが、と驚く達郎。一つ一つは些細なことだが、バタフライエフェクトにより歴史が少しずつずれていく。


「でもこれで八犬伝の板木を売ってしまっても大丈夫ですね」


「丁子屋さんからは『今のうちでは厳しい』と言われています」


「はい?」


 思いがけない展開に達郎は目を丸くする。詳しい話をお内から聞いて納得した。丁子屋平兵衛もまた貸本屋から身を立てた書肆だが板元として本を出したのは今年になってからの、出来立てほやほやのド新興書肆だったのだ。


「あー……そうだったかも」


 言われてみれば以前読んだ本にそんな記述があったような気もする。本来の歴史で文溪堂が八犬伝の板元となり、売り飛ばされたその板木を買い集めるのは一〇年も先のことだ。現時点の文溪堂にそこまでの資金力を求めるべくもないのである。


「でも、借金してでも文溪堂うちが買うから他所に売らないようと」


借金それだけは止めるよう言ってください」


 もしその借金が原因で文溪堂が傾いたなら涌泉堂と文溪堂の順番が入れ替わっただけで意味がなくなってしまう。


「じゃあ八犬伝は手元に置いておいて、他に売れる板木は」


「大して値の付くものは……」


 と難しい顔のお内はそれ以上何も言わなかったが、どうやらめぼしい板木を全部売ってしまうつもりのようだった。片っ端から本を増刷しようと、その手配に手代が走り回っているのが何よりの証拠である。達郎もまた、大したことはできないが雑用を手伝った。

 また、それと同時に、


「済みません、紙を分けてもらっていいですか?」


「はい、どうぞ」


 達郎の頼みに打てば響くように応える左近。経緯はともかくようやく手にしたまともな紙に、達郎は気合を入れて筆を手に取る。


「……とは言ってもいきなり長編の読本なんか書けないし。まずは草双紙からかな」


 冬の間に練習を続け、墨と筆でも前と同じように絵を描けるようにはなった。あとはこの時代でも受け入れられる絵を、物語を描き出すだけだ。

 こっそり描いてびっくりさせてやろう、という姑息な考えから達郎は製作途中のそれを誰にも見せなかった。達郎がこそこそと何かを描いていることは左近もお内も把握していたが、左近はそれを覗き見するような無作法な人間ではなかったし、お内は(それが商売につながるとは思えず)関心を持たなかった。

 そうして二月を過ごして一月近くが経ち、文政五年二月末。

 ――後から考えてみれば、タイムスリップしてからそこまではジェットコースターで言えば頂点に昇るまでの期間だったのだろう。そこを転換点として、達郎と山青堂は疾風怒濤となって文政という時代を駆け抜けることになる。






参考文献

森山武「雪国を江戸で読む~近世出版文化と『北越雪譜』」東京堂出版

橋口侯之介「続和本入門―江戸の本屋と本づくり」平凡社

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