第七回




 「占部達郎」という本当の名を捨てて「山崎屋平八」という名を継ぎ、山青堂の店主となった達郎だが、その生活に大きな変化があったわけではない。


「ん……朝か」


 達郎の朝は物置の戸を叩く音から始まる。手代のどちらかがそうやって起こしてくれるのだ。目が覚めた途端に寒さが身体に染み込んできた。この時代の掛布団は非常に高価なため一般にはほとんど使われておらず、庶民が使用していたのは「夜着」と呼ばれる、綿入りのどてらだ。達郎が使っているのもそれだが、二一世紀の寝具と比較すると防寒面では大きく見劣りする。このため達郎はある限りの服を重ね着していた。

 特に愛用しているのは股引、職人の作業着としてよく知られたズボン状の衣服だ。その上から着流しを着て、寒ければ羽織も着る。髪は、結ぶ位置が高くなっただけで元の時代と変わってない。この時代ではそうするのが当然な、月代(さかやき)を剃ることだけは断固として拒否した。それくらいなら坊主頭にする方がはるかにマシである。


「お医者さんや儒者先生もこうしていますし」


 という左近の擁護もあり、お内の黙認を何とか勝ち取っている。月代を剃らない髪型を儒者髷、あるいは総髪と呼び、その名の通り儒学者の他、医者や剣客などに好まれるという。

 物置を出た達郎は井戸端で顔を洗い、その後軽く運動をする。


「ちゃーんちゃらららちゃーんちゃらららちゃらららららちゃんちゃちゃちゃーん」


 口ずさむのはアカペラのラジオ体操第一、それに合わせて身体を動かしていく。そこに左近が現れて挨拶を交わした。


「おはようございます」


「おはようございます。おはよう、右京」


 左近が娘の右京に対して呼びかけをする。達郎がふと横を見ると、右京が見様見真似でラジオ体操をしているところだった。左近がその微笑ましい姿に満面の笑みな一方、右京は「何か気に食わないことでもあるのか」と訊きたくなるような仏頂面だ。結局右京はその仏頂面のままラジオ体操第一をやりきり、何故か偉そうに胸を張る。達郎はちょっと困った顔をした。

 右京は数え年で五歳、満年齢なら四歳の女の子だ。顔立ちは左近に似ていて整っており、非常に可愛らしい。が、達郎はこの子が笑ったところを見たことがない。それどころかその声すらも一度も聞いていなかった。別に知能や発育に問題があるわけではない。


「声を出すのが嫌いみたいなんです」


 とは左近の解説である。

 その後は朝食で、その後は水汲み。さらにその後は後架の掃除だ。達郎は文句ひとつ言わずに黙々と掃除をする。

 そしてそれが終わると、実はもうやることがなかった。以前なら店中を順番に掃除するところだがお内からは「やらなくていい、と言うよりはやらないでください」とお達しが出ている。


「兄さんは仮でも形だけでもうちの店主なんですから掃除ばかりしていては下に示しがつかないでしょう」


 お内はそう言うが、水汲み・後架掃除という一番きつくて汚い労働は達郎の担当のままだ。達郎に身の程をわきまえさせるためと思われ、彼も調子に乗らないよう自分を戒めた。なお、達郎の代わりに店の掃除や家事全般を担うのは最近雇われた下女だ。達郎が山青堂に転がり込む直前に下女が辞めており、ようやくその代わりを雇ったのである(これまでは達郎がその代わりをしていたので必要性が低かった、という見方もできる)。


「それなら俺は何をすれば?」


「本屋の商売をするのに字が読めなくては話になりません」


 ということで、日中の大半はひらがな・カタカナのお勉強である。書庫から本を持ち出し、左近の部屋にお邪魔し、内職をする左近の向かいで本を読む。

 お内の内職は写本、この時代の言い方をするなら「書き本」の作成だ。本を一冊丸々手で書き写してそれを売るのである。二一世紀の人間にはちょっと考えられないが、この時代の人間はそのくらいの労は厭わないのだった。

 二一世紀において「本」とは商業出版された書籍のことであり、装丁がどれだけ立派でも内容がどれだけ高度でも同人誌が「真っ当な本」扱いされるかはかなり微妙である。ましてや、たとえ内容に全く不足がなかろうと「誰かが手で書き写して作った本」は決して「本」として扱われはしないだろう。が、本の歴史においては長い間「本」とはそういうもの、つまり「手で書き写す」ものだった。印刷された商業出版物という形態は最近出現したものでしかなく、この時代では書き本もまた真っ当な本として商業的に流通しているのである。

 また、印刷された本には幕府の検閲が入るが書き本にはそれがない。それもまた書き本が大きな存在感を示す理由の一つだった。

 左近が踊るように筆を滑らせてきれいな字を書いていくその向かいで、眼鏡をかけた達郎が眉を寄せて唸っていたが、


「すみません、これ何て読むんですか?」


 ついにはギブアップして左近に助けを求める。左近はこともなげに、


「それは『せ』ですね」


「『せ』? 『を』じゃなくて?」


 左近は「似ていますね」ところころ笑うが、達郎は机に突っ伏してしまった。


「判るかこんなの……!」


 達郎は記憶力には自信があり、一度教えてもらったことはまず忘れない。何百にもなる変体仮名も順調に頭に叩き込んでいる。が、活字ならともかくそれを草書で、崩れた字体で書かれると途端に読めなくなるのだ。レベルアップは順調でも最終面クリアはまだまだ先の話だった。


「国立大学の日本文学研究者の中でも、江戸時代の庶民と同レベルで和本が読める人間は一割に満たない、って話だしなー」


 とある大学教授が何かにそう書いていたのを読んだ記憶がある。二流私大の文学部に何となく入っただけの達郎が悪戦苦闘するのも当然のことだった。

 そして字は読めるだけでなく書ける必要もある。


「いーろーはーにー」


 達郎は筆を使って変体仮名を書く練習をする。筆は巻筆という、細い字を書くのに適した筆。硬い感触は鉛筆やボールペンに近くて書きやすい。練習に使うのは反故紙であり、元々は書き損じの不要な紙を意味するが、達郎が使っているのは最初から練習用に作られた黒い頑丈な紙だ。それに墨ではなく水を使って文字を書くのである。

 いや、実際のところ変体仮名を使う必要はないのだ。普通のひらがな、カタカナ、それに二一三六文字の常用漢字。それだけの文字を他者が読めるように書けるのなら、普通に生活する分には何一つ不自由することはない。そして達郎はそれができる――が、達郎は「普通に生活する」だけでは満足しなかった。

 いつの間にか、変体仮名ではなく違うものをいていた達郎が失敗に舌打ちする。雑巾で反故紙の水を拭って「よし」と再挑戦しようとし――横から延ばされた手が雑巾を持っていく。見ると、達郎の横で右京が雑巾で反故紙を拭い、巻き筆を手に気合を入れているところだった。さらにはそんな達郎と右京を、左近が眺めている。


「……えっと、何か」


「いえ、何でも」


 どこか居心地の悪い気分の達郎に対して左近はなんかもう、ものすごいにこにこ顔だ。


「懐いていますね、右京」


 右京の仏頂面には何一つ変わりなく、「懐いているのかこれが」と達郎は不思議に思う。が、最近ふと気が付くと右京が隣にいたり足の間に座っていたりしていることが多く、それだけ見れば「懐かれている」としか言いようがなかった。


「右京はあの人には懐きませんでしたから……」


 左近が何かの折に漏らした言葉を思い出す。右京はかなり不思議な、おかしな子供であり、さらにそれに懐かれないとなれば、当然表太郎の気持ちも左近達から離れてしまう。右京は夫婦のかすがいとなるよりもくさびとなってしまったようだった。

 達郎が水筆で絵を描いている横で右京もまた水筆をぐりぐりと動かいて何かを描いている。どうやらただ落書きをして遊んでいるだけの様子だが、客観的には達郎のしていることもそれと大差ないものと思われた。


「そろそろちゃんとした紙で練習したいところだけど……」


 という達郎の呟きに「どうぞ」と即座に紙を差し出す左近。しばしの逡巡の上で、


「お気持ちだけはありがたく」


 とそれを固辞。左近はちょっと残念そうだった。


「ねえさんにあまり甘えないようにしてください」


 ちょっと思いついたことがあり席を外した達郎を捕まえ、お内が厳重注意する。


「いや、俺から何が欲しいって言ったことはないんですけど」


「でも、巻筆も反故紙も全部ねえさんに用意してもらったんでしょう? その眼鏡も」


 達郎はそれに頷くしかない。重度の近視で本を読むのに難儀していたのを左近が見かねて買ってあげると言ってくれ、その言葉に甘えたのだ。この時代眼鏡は非常に高価であり、曲亭馬琴は日記にその値段を一両一分と記している。


「まったくあの人は……」


 とお内は頭痛のする額を指で押さえた。


「あの人は放っておくと際限なく男を甘やかすんです。前の兄さんだって、ねえさんがあそこまで甘やかさなければあんなことには」


 そこまで言ってお内が急に口をつぐんだが、それでも言いたいことは十二分に伝わっている。左近は男に尽くすのが好きな、二一世紀流に言えば「ダメンズウォーカー」または「ダメンズメーカー」なのだろう。表太郎がボンクラとなったのも左近に甘やかされたことが理由の一つ――少なくともボンクラぶりに拍車をかけたのは間違いなかった。

 そして、赤ん坊並みに生活無能力者の達郎は左近にとっては垂涎もの……なのかもしれなかった。


「ともかく、ねえさんの方にはわたしから言いますけど兄さんの方も」


「自制します」


 背筋を伸ばしてそう返答する達郎にお内は満足げに頷いた。

 その後、達郎が部屋の一つに立ち寄ってその中をのぞくと、手代の二人が仕事をしているところだった。刷り上がった大量の紙の束を見て印刷ミスがないか確認している様子である。この時代の書肆は本の企画・出版・販売・買取・古本の販売まで全てやるが、印刷・製本等の実作業は各々の職人への委託だった。しばらくぼーっと彼等の仕事ぶりを眺めていた達郎だが、手代の二人からすれば鬱陶しかったようである。


「何か御用で? 裏太郎の旦那」


 「裏太郎」は現在の達郎の通称だ。「浦島太郎」に、また「表太郎」にも因んだ呼び名である。


「いや、何も」


 達郎はそれ以上彼等の邪魔をしないように退出した。なお、手代の二人の名前は鉄吉・銀吉と言う。大柄で横にも太い鉄吉は三〇の手前、普通の体格の銀吉は達郎と同年代だ。

 達郎がホームレス同然で店に転がり込んできた経緯は彼等もよく知っており、その達郎が突然店主となった事実について、果たして彼等はどう感じているのだろうか? 懸念を抱いた達郎は前にその点をお内に確認したことがある。


「特に不満はないようでしたよ?」


 お内の回答ははごく軽い口調のものだった。


「兄さんはどこかの大店の御曹司じゃないかって思われていますし、それなら店主となるのも不思議はないでしょう」


 以前達郎が出身を問われたときに「生まれは金沢で、最近まで京都にいた」と説明したことがあり、それもまた江戸っ子の彼等の誤解を助長したのかもしれなかった。浮世離れした達郎のバックグラウンドとしては「金沢」も「京都」もこれ以上ない地名だろう。

 達郎がもっと近い立場の人間なら彼等も嫉妬するだろうが、あまり立場が離れていると嫉妬という感情は起きなくなるものだ。鉄吉・銀吉から見て達郎は最初から「全く違う人間」だった。

 その後、達郎は目的の場所、後架へとやってくる。とは言え用を足しに来たわけではない。目当てはそこにあるちり紙――浅草紙だ。左近の部屋に戻った達郎はその浅草紙を使って絵を描く練習を始めた。

 浅草紙は再生紙のトイレットペーパーであり、江戸時代から使われるようになっている。ただそれは都心部だけの話であり、農村で使われるのは古墳時代から変わらない木べらや藁だった。


「……これは、反故紙の方がまだマシだな」


 浅草紙は安い分非常に粗悪な紙なので字や絵を描くのには全く向いていなかった。たびたび筆が引っ掛かり、筆がダメになりそうだ。それでも使い始めた以上は最後まで使わなければならず、達郎はその浅草紙が真っ黒になるまで練習を続けた。


「……さて、ここまで真っ黒にすれば」


「旦那、紙屑買いが来ていますよ」


「ああ、ちょうどよかった」


 江戸はリサイクルが極端に発達した町であり、あらゆるゴミの回収業者が存在し、全てのものが完全に使えなくなるまで再生利用される……とは言ってもゼロ・エミッションを達成しているわけではない。ゴミを使った東京湾の埋立は江戸時代から始まっており、江東区の小名木川より南の土地の大半が江戸時代の埋立地である。つまりはそれだけ大量のゴミが日々発生しているのだ。

 紙屑買いはたった今達郎が作り出したゴミも含め、山青堂の紙屑をまとめて回収していく。さらには後架の使用後の浅草紙までも持って帰っていった。


「……あんなもの、どうするんだろう」


 去っていく紙屑買いを、達郎は鼻をつまんで見送る。使用後の浅草紙は便壺に捨てずに別の駕籠に捨てており、彼等はそれを全て回収していったのだ。肥料にするなら便壺に捨てればいいようなものだが……


「知らないんですか? 使


 ……その後、達郎が浅草紙を使って絵の練習をすることは二度となかったと言う。






参考文献

北嶋廣敏「知識ゼロからの大江戸入門」幻冬舎

中野三敏「和本のすすめ――江戸を読み解くために」岩波新書

永井義男「江戸の糞尿学」作品社

永井義男「不便ですてきな江戸の町~時空を超えて江戸暮らし」柏書房

山本明「古文書を読む!よくわかる『くずし字』見分け方のポイント新版」メイツユニバーサルコンテンツ(Kindle版)

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