第23話  初夏の木漏れ日



 流れる川と、流れ行き交う人々と。女の子の孫に人気のキャラクターでは無くて昔から有る様な古典的なアニメキャラクターのお面を買ってあげるお爺ちゃん。キラキラと光る棒を振り回す男の子を諌めるお婆ちゃん。肩車をされる弟にワタアメを食べながら歩くお姉ちゃん。各々が自分達の幸せを満たしながら流れていく。


(美空の幸せって何だろう?)


僕はそんな事を考えながら歩いていると。自然と美空へと気を使う言葉が溢れる。


「何か欲しい物ない?」「何か見たい物ない?」「何処か行きたい所は在る?」


(会いたい人は居る?)


最後の言葉だけは僕は口に出せずにいた。今更あの美空へ酷い仕打ちをした『杉井淳平』になんて会わなくて良いだろう。美空は今だって幸せそうなのに。しかし、このまま記憶が消えて行ったら。美空は永遠に消滅してしまうかもしれない。それならばやはり、例え嫌な記憶だったとしても取り戻して存在している方が良いのではないだろうか?そんな事を考えれば考える程、言葉は出てこなくなっていた。



 後、どれくらい美空は存在していられるのだろうか。


 美空はそんな僕の気持ちとは関係無く、光るヘッドバンドを見たり。子供が伸ばして遊ぶ螺旋に巻いた紙を面白がったりと。僕の手を引っ張って回った。




 昼に雨を降らせた雲は嘘のように消え去り、意味もなく青い空は僕達の上で白々しく期待を見せた。何れは消えていく美空の上で。




「美しい空で美空。」




僕が何となくそう呟く。美空の耳には入って居ない様で何事も無く美空は僕を引っ張る。水色の浴衣をひらひらとさせながら。そんな風にはしゃいでいるかと思えば美空は急に立ち止まり、動かなくなり僕の腕にしがみついて。


「マサトさんごめんなさい。ちょっと何処かに座りませんか?」


「ああ、疲れたんだね。いいよその先に神社が在るから、そこのベンチで休むか。まだ花火も始まって無いのにはしゃぎ過ぎなんだよ。」


そう僕が言うと美空は力無く笑い返した。そんな表情の陰りに心配しながら、僕は美空おんぶして歩いた。美空は周りから見えないし重さも無いので、特にいつもと変わらない感覚で近くの神社まで歩いた。神社は少し屋台通りからは外れており人の通りも然程無く。僕と美空の二人きりだった。


 神社は大正時代に建てられた物らしく、寄付金を納められた年号と納めた人の名前と金額を書いた石塔が並んでいた。その横に神社を紹介する看板が建てられていたが、今は読まなかった。鳥居を抜けて土間の敷石踏みながら歩き、ベンチへと着いた。ベンチの周りには三本の桜が植えられていて、木漏れ日射す中で僕と美空はベンチに座った。


 社は何度か改築された様で使用された木材は個所個所により色合いの劣化が違っていてちぐはぐな感じを漂わせていた。そんな所を見ている僕の横で美空はどうやら脚をさすっていた。僕はそれを見て『蚊にでも刺されたのか?』と思ったがそれは馬鹿な話で幽霊が蚊に刺される訳もなく。日頃歩かないのに、歩いたので幽霊と言えど何らかの疲労が蓄積したのだろうと思った。


 美空は少し疲れた様に手を握ったまま、僕の肩へと寄りかかった。僕はチラッと美空の方を見たが他人の疲れている姿をまじまじと見るのも如何なものかと、目を逸らして神社の中を眺めていた。すると美空は


「あたし、はしゃぎ過ぎたみたいでごめんなさい。」


そう謝るので、僕は


「そりゃお祭りだから仕方ないよ。テンション上がっちゃうよな。」


そう言って僕の左側に座る美空の手を右手に持ち換えて左手で美空の頭を撫でた。街はお祭りで賑わっている筈なのに、僕と美空の周りは静かに音も無くただこの世界に取り残された二人ぼっちの空間だった。たまに聴こえる桜の葉の擦れる音や、上手く鳴けない鴬の鳴き声や。僕の足を動かした土の擦れる音や、そんな音でさえ大音量に聴こえる程の。


「マサトさん。」


「何だよ。」


「あたし、幽霊になって色んな事を忘れているの。」


僕はその美空の言葉に返す言葉が見付からなかった。そんな僕を置いて行く様に美空は話し続けた。


「最初はあたし、幽霊なった時に忘れたと思っていたんです。だけど、本当は少しずつ忘れていって。もう残った記憶があんまり無いんです。マサトさんと話していて、あたしその事に気付いたんです。」


「どうしたんだよ。急に。」


「あたし、記憶だけじゃなくて身体も少しずつ消えていってるんです。小さい粒になって身体から離れていって。」


僕は部屋に落ちていた小さい砂粒の事を思い出して固まった。僕は益々何と言っていいのか判らなくなり。美空の手を強く握り


「心配するなよ。こうやってちゃんと居るじゃないか。」


それは僕の精一杯強がった言葉だった。しかし、美空は力無く微笑み


「良いんですよ。あたし自分の事だから判るんです。あまり体に力が入らなくなってきて居ますし、何だかほとんど思い出せる事が無くなって居ますし。」


「いや、何か思い出せる事何か有るだろ!ほら!あの美空が最後に見た男の人の記憶とかさ!」


僕は自分の不安を誤魔化す為に力強く言葉を出した。しかし、その事を一番理解できる自分自身が一番自分を惨めに責めた。それから僕は蚊の鳴くような小さい声で



「嫌だよ...」



そう言うと、美空は僕に微笑みながら


「良いんです...。良いんですよ。あたし、マサトさんと会って幸せなんです。凄く...幸せなんです。一緒にお散歩に出掛けたり。お酒も飲んだり。星空を見たり。そして今日はこれから花火を観られるし。あんまり幸せだったから、あたし生きている時も。きっとこんなに幸せな事は無かったんだろうな。って納得しちゃいました。」


僕は美空のその言葉に、過去に美空が男に騙され幸せな事もなく自分で死を選んだ事を知っていた事と。美空が消えてしまう事を覚悟している事の寂しさに涙が溢れ頬を濡らした。


 初夏の木漏れ日は、赤みを帯びて。寂しく静かなこの空間を無理から優しく包み込んだ。もう他にしてあげられる事が無いかの様に僕達に優しく。ただ優しく。仄かな暖かみを、こんな僕達に差し出すように与えてくれた。


「そんな、マサトさんが泣かないでください。マサトさんはあたしが消えても。エリさんの事を考えてあげてください。あたしもきっと消える時には全てを忘れて、寂しさ何かも忘れているでしょうから。」



そう言って微笑む美空見ると余計に悲しくて僕は涙を流した。






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