落ちこぼれと呼ばれて-2

 竜秋は三日ほど学校を休んだ。


 いつも顔を合わせれば口喧嘩になる母親も、ウザいほど絡んでくる父も、取っ組み合いになる妹も、竜秋に対して異常なほど優しかった。


 そんな家族に、熾人に対してほど苛つかない自分に、竜秋は苛立った。自分を嫌いになったのなんて生まれて初めてで、その気持ち悪さは想像を絶していた。


 熾人は毎日、朝と夕方に家を訪ねてきた。「絶対に入れるな」という竜秋のかつてない剣幕を汲み取り、母はそのつど熾人を門前払いした。ただし竜秋が断固嫌がるのを突っぱねて、向こうの親には電話をして、なにやら謝ったりフォローしたりしていた。


 立ち直ったわけではなかった。数日ぶりに登校する気になったのは、逃げている自分のダサさに耐えられなくなっただけだ。


 たった数日で、学校の空気が、竜秋の知るそれとは微妙に変わっていた。教室に入るなり、友人Aが竜秋に声をかけてきた。


「あっ、おはよたつみくん! 三日も休むなんて珍しいね、体調崩してたの?」


「いや……なんかダルくてな。サボりだよ」


 体調を崩すことすら竜秋にとっては不名誉なこと。とっさにサボりと嘘をついた。


「なんだ、そうかぁ。……ところでさ。――異能バベル、どんなのだった?」


 ぴしり、と体が固まった。その瞬間、クラス中の喧騒が凪いで、全生徒の意識がこちらに向くのが分かった。


「あ、あれーめっちゃ静かになるじゃん。でもほら、みんな気になってるんだよ、やっぱり。この間誕生日だったでしょ? さんざん焦らされてるしさ、巽くんが授かるような異能バベルってどんなんだろって、俺ここ数日眠れなかったくらい!」


 悪意は感じなかった。適当に誤魔化しておけば、彼もすんなり引き下がったに違いない。


異能バベルは……ねぇよ」


 空気が、凍った。


 嘘をつけなかった。他の誰よりも、竜秋自身が、強烈に確信していたからだ。自分が授かる異能バベルは最強の能力に違いないと。だから適当に取り繕った嘘の異能バベルを名乗るのに激しい抵抗があったし、強い異能バベルをでっち上げるほどに、虚しくなると思った。


 実は、一つだけ頭をぎったのだ。自分の異能バベルかたるに相応しい力――灼熱の炎を纏い、黄金色の炎がかたどった片翼に身を包んで立つ自分の姿が。


 よりにもよって熾人の異能バベルを騙るぐらいなら、「俺は無能です」と白状するほうが、まだプライドが看過した。


「あ、そ、そー……なんだ。あるよね、そういうことも」


「ねぇよ。俺が人類で初めてだ。なんか、文句あるか」


「な、ないないないっ!」


「じゃあどけよ」


 急いで道を譲った友人Aを素通りして、竜秋は自分の机にどっかり座った。クラスの連中が竜秋に集める視線も、なにか言いたげな目配せも、ひそめた話し声も、すべて無視した。


 竜秋は既に心に決めていた。どんな生き地獄だろうと、この場所から逃げることだけはすまいと。




 だから、竜秋は毎日学校に行った。噂話の声量がどんどんはばからなくなっても、話しかけてきたりこびを売ってくる人間が日に日に減っていっても、竜秋が教室に入るだけで水を打ったように静まり返られても、教科書類が少しずつなくなっても、上履きがなくなっても。


 素知らぬ顔で朝から終礼まで席についた。どれほど自尊心がズタズタになろうと、屈服だけはあり得なかった。


 ある日、巽は人づてに校舎裏に呼び出された。以前熾人に絡んでいた水野という少年の一派である。のこのこと校舎裏にやってきた竜秋を、十人以上もの少年が取り囲んだ。


「やぁやぁ、無能の巽くんじゃないですか」


 デカい図体でふんぞり返り、リーダー格らしき水野が粘着質に笑う。


「今まで散々チョーシ乗ってたよねぇ? オレらさぁ、ずーーーーーーっと鬱憤うっぷん溜まってたんだよ!」


「知るか。文句あんならタイマンで来いよ」


 竜秋自身、これまで不必要に敵を作ってきた自覚はあった。もともと他人を思いやるような人間ではない。おまけに自分以外の人間はすべて凡庸な脇役モブと侮っていたし、それを態度に出さないよう気をつけた記憶もない。


 大して関わったこともないやつを含め、竜秋を取り囲んでいる人間は皆、その目に一様に敵意を漲らせていた。――知らなかった。俺ってこんなに嫌われてたのか。


「タイマンー? バーカ、なに対等だと思ってんだよ無能野郎。これから始まるのは一方的なリンチだ。いつかお前がヤベー異能バベル授かったときのこと考えて踏みとどまってたけどよぉ……無能確定したならやっちゃっていいよねぇ!!?」


 水野の長広舌が終わるのを待たず、背後から金属バットを振りかぶった少年が飛びかかってきた。


「死ねたつみィ!!」


 鼻を鳴らして竜秋は身を翻した。最小限の動きでバットを回避し、手首を掴んで捻る。竜秋の腕を支点としてぐるりと円転した少年の体が、背からアスファルトに叩きつけられる。


「が……ッ!?」


 その腹を踏みつけて金属バットを奪うと、波状的に飛びかかってきた少年二人を一瞬のうちに叩きのめす。背後に迫った三人目を後ろ回し蹴りで吹き飛ばし、間合いの遠い四人目の頭には金属バットを投擲、ゴチン、と鈍い音を上げて卒倒させる。


「雑魚どもが」


 そう息を吐いた、一瞬の隙。――いきなり、耳に、鼻に、目に、大量の水が流れ込んできた。


「……ッ!?」


 ガボッ、と口から泡が飛び出す。――なんだ、これ、水……!?


「ヒハハハハハハッ! しゃああっ、捕まえたぜ!!」


 背後から、水野の快哉が低く鈍く聞こえる。竜秋は今、顔全体をヘルメット大の水塊すいかいに包まれていた。竜秋の背を取り、後頭部めがけて手を伸ばした格好の水野の異能バベルによって。


 息が、できない。慌てて顔にまとわりつく水を引き剥がそうと試みるが、実体のない水は掴めず、指が水に沈むだけ。


 ならばと背後の水野を蹴り飛ばそうとして――両腕、両足を既に、複数人がかりでしがみつくように押さえつけられていることに気づく。


「お前ら、もっと押さえろ! 第二世代五人分の馬鹿力だ!」


「ガボ……ッ、ゴボ……ッ!!」


 クソが、雑魚どもが群れやがって!


 苦しい、息ができない、動けない。俺はこんなやつらにも負けるのか?


「イヒヒ、苦しいか? 武術大会何連覇か知らねえけど、しょせん異能バベルなしルールのおままごとだろ。本当の戦闘ってのはさぁ、異能バベルのランクがモノを言うんだぜぇ、お坊ちゃん?」


「――ッ!!!」


 殺す、殺す、殺す! 異能バベルなんかなくたって、お前一人殺すくらい俺にはワケねぇんだ!


 ジタバタともがく竜秋の怪力に、「マジかよ」と冷や汗をかきながら少年たちが更に拘束に力を込める。いよいよ息が続かない。酸素が足りない。頭の芯がぼやける。意識が、遠ざかる――



「――【ほのお】」



 雪崩のような爆炎が駆け抜けた。


 水野も、竜秋を押さえつけていた少年たちも、悲鳴もそこそこに炎熱に吹き飛ばされた。顔を包み込んでいた水塊がシャボン玉のように弾けて、久方ぶりの酸素に竜秋は喘いだ。


 かなり加減したらしい炎にもかかわらず、水野たちは衣服や皮膚を焦がして声もなくうずくまっている。爆炎の残滓ざんしくすぶる校舎裏にただ一人、竜秋だけが無傷で膝をついていた。


「おい……なにやってんだ、お前ら」


 激情に震えた、低い声。よく知る声でありながら、それは竜秋の知る彼のものとはかけ離れていた。


「そんなに殺されたいなら、そう言えよ。すぐにそうしてやるからさ。お前らみたいなゴミが……汚え手で、誰に触ってんだ、あ?」


 ズンズン歩み寄り、這いつくばる水野の髪を鷲掴みにして引き上げると、熾人は光のない深淵の瞳で、怯えた水野の顔を覗き込む。


「い……乾ぃ……? なんでお前が、そんな、力……」


「これで許すと思うなよ。今からその不細工な顔がただれるまで燃やしてやる。それが嫌なら、二度とタッちゃんに近づくな」


 鷲掴まれた髪の毛にボワッと火花が弾けると、水野の顔が悲壮なほど醜く歪んだ。


「ひぃっ、ひぃぃぃぃっ、わ、わわわ分かりました、絶対近づきません、二度とこんなことしませんっ!!」


「じゃあ、さっさと消えろよ」


「はい!!!」


 水野は他の連中を叩き起こして韋駄天の如く去っていった。熾人は人が変わったように、心配顔で足早に竜秋の元へ戻った。


 顔中びしょ濡れで座り込む竜秋。いつも気高くそそり立っている銀髪も、水に濡れては揃って下を向いている。降りた前髪に隠れて、うつむく彼の表情が読み取れない。


「大丈夫、タッちゃん……?」


「……んだよ」


「え?」


「――なに……助けられてんだよ、俺はァ……ッ!!」


 悲痛な叫びに、熾人の息は詰まった。アスファルトに叩きつけた竜秋の拳に、血が滲む。


 かつて、彼がこれほどの屈辱を味わったことがあるだろうか。竜秋が水野たちに襲われているのを見たとき、一瞬、熾人は助けに入るのを躊躇した。それが竜秋の自尊心を、決定的に傷つけることになると知っていたから。


「……じゃあ、僕、行くね」


 もう、何も声をかけてはならない。近くにいることさえ叶わない。熾人の存在そのものが、竜秋を傷つけてしまうから。


 それでも――遠くからでも、ずっと見ている。いつでも気にかけている。必要ならば、君がどんなに嫌がったって、助けに走る。


 今でもタッちゃんは、僕の憧れの人なんだから。

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