落ちこぼれと呼ばれて-1

 失意と絶望に溺れながら、ふと考えたのは熾人のこと。


『タッちゃんならできるよ!』『タッちゃんなら大丈夫!』『タッちゃんならなれるよ、最強の塔伐者に!』――タッちゃんなら、タッちゃんなら、タッちゃんなら……何百何千と聞いた幼馴染の声が、暗闇の自室に反響して、増幅する。


 ――駄目だ。会えない。熾人にだけは、もう会えない。


 あんなに無根拠に自分を信じて、憧れてくれていた人間に、どんな顔をして会えばいいか分からない。


 竜秋は反射的に、自室の窓から外を見やった。お互いの部屋の窓からよく見える位置に、二人の部屋はある。小さい頃は、夜まで二人で顔を出して、大きな声で会話して怒られたものだった。


 こじんまりした一軒家の、二階。一日中電気の消えていた熾人の部屋で――突如、紅蓮の炎が咲いた。


「はっ!?」


 目を疑うとはこのことだ。熾人の部屋から、火の手が上がっている。まさか、火事――次の瞬間には、体がバネ仕掛けのように跳ねていた。


 自室の窓を開け放って飛び降り、夜風を切って、二階から外の道路へ着地。裸足のまま月夜を駆け出し、熾人の家の雨樋あまどいに飛びつくや、忍者のような身軽さで登っていく。


「熾人!」


 反動をつけて熾人の部屋の窓に張り付き、叫ぶ。中は既に大火に包まれ、窓を隔てたこちらにまで凄まじい熱気が届いている。――熾人はその部屋の中央で、うずくまっていた。


「何やってんだ、お前!」


 常軌を逸してどんくさい熾人のことだ、部屋でなにをやらかしていても今さら驚かないが。肘で窓ガラスを破り、部屋に転がり込んだ竜秋は、低い姿勢で熾人に近づきかけて――こちらに気づいた熾人の目に、思わず動きを止めた。


 絶望した目をしていた。まるで殺人を見られたみたいに、その目を焦燥と恐怖に揺らし、罪人めいた顔で立っている。


「ごめん……ごめん、タッちゃん、僕……」


 滂沱の涙が、炎熱によって霧と化す。


 丸まった熾人の背中から、ぶわり、と黄金の炎が花開いた。


「な……っ!?」


 爆熱に吹き飛ばされ、竜秋の体は壁に叩きつけられる。朦朧とする視界の中で――竜秋は見た。


 黄金の火炎がかたどる巨大な片翼に半身を包んで悲しげに立つ――灼熱の化身となったような、幼馴染の姿を。


「まだ上手くコントロール、できないんだ……突然溢れ出す……危ないから、逃げて……!」


 《鳳凰ホウオウ》――のちに人類史上最強クラスと評される異能バベルが、竜秋の前で唸りを上げる。


 見ろ、これが異能バベルだと言わんばかりに。


 竜秋の網膜に、脳に、腹の奥底に、その光景は呪いのように焼きついた。


「に……逃げて、だと……ォ? 誰に……誰に言ってんだ……あぁ? ――熾人ォッ!!!」


 激情に任せて、竜秋は吼えた。泣きながら、気がつけば熾人を組み伏せていた。


「ごめん……タッちゃん……」


 熾人の異能バベルが、水をかけたように消える。無抵抗の熾人を竜秋は両手で押さえつけ、馬乗りになると、上から怒鳴り散らした。


「なに……謝ってんだァお前ッ!? なにか悪ぃことしたのかよ!? 言ってみろ、お前が何をしたってんだ! それとも俺を憐れんでんのか、アァッ!?」


 滲んだ涙を、部屋のあちこちで燻ぶる残り火が照らす。


「なぁ…………知ってんだろ、俺の誕生日……今日だよ、熾人。俺、十四歳になったんだぜ。おめでとうくらい、言ってくれよ、熾人……」


 狂気的に開いた竜秋の瞳孔を、涙を流して、熾人は見上げる。どれほど言葉を探しても、かける言葉が見つからないという顔で。


「ふざけんなよ……お前、その力、俺に隠すつもりだっただろ……学校まで休みやがって……俺に、いらねぇ気遣ってんじゃねえぞ!!」


 あぁ、俺はなにをやっている。熾人を責めてなんになる。コイツはただ、異能バベルを授かっただけ。普通のことだ。異能バベルなんて、みんな授かるんだから。


 あぁ、どうして熾人にだけ、俺はこんなに腹が立つのだろう。




 熾人は、じっと無言で泣きながら、自分を組み伏せる少年にかける言葉を探していた。


 今日が竜秋の誕生日だと、当然覚えていた。つまり昨日が、竜秋の十三歳最後の日であるということも。


 昨日、夜明けとともに【鳳凰】を授かったとき、その力の凄まじさに、熾人はうっすら恐怖した。直感した。これは、異常な力だ。自分なんかが授かっていい力じゃない。英雄の力。主人公の力。たとえば――竜秋が、授かるべき力。


 そんな不相応な力を急に手に入れて、熾人はいったい、自分がどんな異能バベルを授かるか気が気でない今の竜秋に、どんな顔をして会えばいいのか、分からなくなってしまった。


 だから熾人は、この日が終わるまでの間だけ、竜秋に会わないことを決めた。十三歳最後の日。この日の間に、竜秋は必ず異能バベルを授かる。だから学校を休んで、部屋に籠もって、竜秋が無事に異能バベルを手に入れるまでをやり過ごして。


 そうして、竜秋が異能バベルを授かりさえすれば、一番に会いに行って、この力を打ち明けよう。


 だって竜秋の異能バベルは、この力さえ軽く凌ぐ、とびきりすごい能力に決まっているから。


 夜になって、部屋に籠もりながらも、熾人の意識はずっと向かいの家にあった。


 いつも、室内で花火でもやってるのかと思うくらい賑やかな竜秋の家は、通夜のように静まり返っていて。いつまで経っても、それが歓喜に湧く気配がない。


 日付が変わった。壁と道路を挟んでいても、そのときの竜秋の絶望が、熾人の肌に、まるで自分のことのように伝わった。竜秋と共に、あのとき熾人も泣いていた。


 ぐちゃぐちゃになった感情がこぼれて、溢れて、炎となって暴走した。その炎が、竜秋を呼び寄せてしまった――




「ごめん……君に、力を隠すような真似をして。今日が終わったら、ちゃんと見せる、つもりだった……」


 絞り出した熾人の言葉に、こめかみに焼けるような熱が走る。


「そりゃぁ……随分チョーシに乗ったなぁ……俺がお前ごときの力、羨ましがるとでも思ったのかよ……!」


 やめろ。どんなに理性で押さえつけようとしても、口が、心が止まらない。間欠泉のように溢れる感情を止めようがない。


「タッちゃん……異能バベルのことは、その……本当に残念だけど」


「おい、それ以上、喋んな。今はなに言われても腹が立つ、黙ってろ……!」


 それが竜秋にできる、最大限柔らかい忠告だった。ところが熾人が、このときばかりは譲らなかった。何一つ疑わない目で、あまりに真っ直ぐ竜秋を射抜いて。



「それでも、タッちゃんなら、なれるよ。最高の塔伐者に」



 プツン、と切れる音がした。


 無我夢中で振り上げた拳を、振り降ろす気にさえならなかった。絶望が教えてくれたのだ。もう二度と、熾人の少し前を歩いて笑う日常は訪れないと。


 最も欲しかったはずの言葉さえ、剥き出しの神経を逆撫でする以上の効果を持たなかったのだから。


 自分がどんな顔をしているのか、竜秋には分からなかった。ただ、眼前の熾人は、竜秋の表情を見るなり、みるみる激しい後悔の色をその顔に浮かべた。まるで竜秋を殺してしまったような、あるいは、竜秋に殺されたような。虚ろな目を揺らして、何かを取り戻そうとする。取り返しようのない何かを。


「……帰るわ」


「ま、待って、タッちゃん! 今のは……」


 熾人を解放し、割れた窓枠に足をかけた竜秋の背に、決死の声が投げかけられる。構わず竜秋は、二階からその身を踊らせた。炎に焼かれた肌に、夜風は刺さるように冷たかった。

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