第11話 セフレ(5)お礼

「終わったぁぁぁ!」


 早苗は両手を上げた後、そのまま後ろに倒れて椅子の背もたれにもたれた。


 あのまま一人で迷走していたら絶対に終わらなかった。桜木のお陰だ。


「最終チェックもオッケーです。先方に送っちゃって下さい」


 そうだった。送らないと終わりじゃない。


 早苗は会社のファイル共有システムに報告書を登録し、そのURLリンクを顧客にメールした。


「今度こそ終わったぁぁぁ」

「お疲れ様でした」

「桜木くんもお疲れさま。ほんと助かった。感謝しかない」


 パソコンの電源を落として立ち上がる。桜木も鞄を持って早苗について来た。


「終電までにはまだ時間あるけど、どこか店に行くには遅いよね。明日もあるし、また今度日程調整しよう。明日のお昼でもよければそれでもいいけど、桜木くんは夜ご飯の方がいっぱい食べれていいよね? ――っと、ごめん」


 ロッカーから荷物を取り出して振り返ると、桜木の体がすぐ目の前にあった。胸に顔をぶつけてしまって謝る。


「桜木くん?」


 なぜそんなに近くにいるのだろう。そして、ぶつかったというのに下がってくれない。


「どうしたの?」

「……何でも食べていいんですよね?」

「え、うん」


 何度も言ってるじゃない? と見上げて首をかしげる。値段など気にしなくていい。これはお礼だし、桜木は後輩なのだ。


「じゃあ、俺、先輩がいいです」

「え?」


 何を言われたのかわからず聞き返すと、桜木は早苗の顔の両側に手をつき、顔を近づけてきた。


 目をつぶる間もなく、ちゅっと音を立ててキスをされた。


「何す――んん……っ」


 桜木の胸を押し、何するの、と言おうとしたが、桜木は口が開いた瞬間を見逃さず、舌を差し入れてきた。


「ん……んっ」


 ぞわりと背筋に快感が走る。


「桜木、くんっ……駄目……っ」


 逃げようにも、後ろにはロッカーがあって、それ以上下がれない。


 キスはどんどん深くなっていく。


「先輩……んっ」

「駄目っ……桜木、くん……っ」


 桜木は先日覚えた早苗の弱いところを重点的に責めた。


 気持ちいい……っ。


 こんなキス知らない。


 早苗の手からどさっと鞄が落ちた。


 あの時は突然だったのと酔っていたのもあってよくわかっていなかったが、素面しらふの今はよくわかる。


 早苗がこれまで経験してきたキスとは全然違うものだった。


 頭がふわふわして、力が抜けていく。


 ロッカーに背を預けてずり落ちそうになった早苗を、桜木の腕が支えた。


 なおもキスは続く。


「ん……先輩っ……はぁっ……先輩……っ」


 キスをしながら、伏し目がちになった桜木の瞳は、早苗の目を熱く見つめる。


 桜木の片手が、ジャケットの上から早苗の体をまさぐり始めた。


 やがてジャケットのボタンが外され、ブラウスの上から体を触られる。


「待って、ん……待って桜木くんっ、ここ会社……っ」

「誰も来ませんよ……んっ……もう、みんな帰ってます」

「そういう問題じゃ――」


 制止しようとするが、桜木は止まってくれない。


 その手がブラウスのボタンにかかったとき、早苗はなけなしの力をかき集めて、精一杯抵抗した。


「いやっ!」

「っ!」


 鋭い声に、桜木がびくりと体を震わせて、一歩後ずさった。


 桜木の支えを失った早苗は、ロッカーに体を預けてなんとか立ったままでいる。


「すみま、せん……」


 桜木が顔をこわばらせている。


 早苗は片腕で自分の体を抱きしめ、視線を斜め下に落とした


「俺、そんなつもりじゃ――」

「……じゃ、嫌」

「え?」

職場ここじゃ、嫌」

「それって……」


 こくり、と早苗がうなずく。 

 

「じゃあ、俺んち来て下さい」


 黙ってロッカーからお泊まりセットを取り出す早苗を待って、桜木は早苗をドアの方へとうながした。




 職場のビルから少し歩いたところでタクシーを捕まえ、桜木のマンションへと向かう。


 乗っている間、桜木は何も話かけてこず、早苗も黙っていた。


 何をやっているんだろう、と思った。


 私これから、桜木くんとえっちするんだ……。


 これは酔った勢いなどではない。自分で選択して、自分の意思で、桜木に抱かれようとしている。


 職場の後輩とそんな関係になってもいいのだろうか。


 それでも、やっぱりやめよう、とは思わなかった。


 一度してしまったのだ。一度も二度も変わらない。


 桜木は後腐れのない関係は得意なようだし、お互い大人だ。


 別に流されてもいいじゃないか。


 何より、求められるのが嬉しかった。


 熱のある目で見つめられるのも、あんなに深いキスをするのも、こんなに体が熱くなるのも、久しくなかったことだ。


 早苗はようやく、自分が寂しかったのだと自覚した。




 桜木がマンションの部屋のドアを開けたとき、それまで大人しく後をついて行っていた早苗は、肩にかけた鞄の取っ手を両手でつかみ、部屋に入る直前でぴたりと足を止めた。


 入ったら、もう戻れない。


「あの、先輩、嫌なら――」


 ずっと黙っていた桜木が気遣うように言ったが、言い終わらないうちに早苗は部屋へと足を踏み入れた。


 後ろから桜木が入ってきて、後ろ手にカチャリとドアの鍵を閉める。


 三和土たたきで立ち止まっていた早苗の体に桜木の両腕が回り、後ろから抱きしめられた。


「先輩……いいんですよね……?」


 こくり、と早苗がうなずく。


 すると桜木は早苗を体ごと振り向かせ、キスをした。


「んっ」


 電気もつけていない玄関で、二人は熱い口づけを交わす。


「先輩……っ、先輩っ」

「ん……っ、んんっ」


 再び早苗が体の力を無くしそうになると、桜木は早苗をだっこをするように片腕で抱え上げた。


「きゃっ」


 パンプスをぽいぽいっと脱がせて、そのまま寝室へと飛び込み、ベッドへと寝かせる。


 桜木は乱暴にジャケットを脱ぎ捨てて自分のネクタイを引き抜くと、早苗のブラウスのボタンを素早く外し、ジャケットと一緒にぎ取った。


 ベルトと下もさっと脱がされて、早苗はあっという間に下着姿にされる。


 桜木もワイシャツを脱いで上半身はだかになった。


 カーテンを閉めていない窓から入ってくる街灯の明かりに照らされた桜木の体は、しっかりと筋肉がついていて引き締まっていた。


 なでつけていた髪が一筋ひとすじ乱れていて、色気をかもし出している。


「先輩……」


 早苗を見下ろすその目には、情欲の色が浮かんでいた。

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