第10話 セフレ(4)手伝い

「資料作るの付き合いますよ。報告資料の残りは俺が作ります。書きたいことのメモだけ下さい。文言もんごんは適当に考えます。先輩はそのミスってたっていう結果のチェックをして下さい」

「いいの? たぶん帰れないよ」

「同じプロジェクトのメンバーですからね。助け合わないと」


 桜木が早苗の右隣の奥田の席に座った。机の上のノートパソコンを開ける。


 この会社では個人のパソコンの中身がサーバ上にあるシンクライアント方式なので、誰の端末からでも自分のパソコンにアクセスできるのだ。


「ありがとうぅぅ。今度何かおごるぅぅぅ」


 早苗には桜木が神様に見えた。


 それでも期限に間に合わないだろうが、打ち合わせまでには作れるかもしれない。


 それに、朝になれば他のメンバーも出社してくる。彼らとも分担すればなんとかなりそうだ。


 ああ、でも、試験結果が悪かったらどうしよう。この時期から最初から試験し直しなんて絶対無理だよ……。

 

「とりあえず、お客様に状況説明のメールしちゃうね」

「先に影響範囲見た方がいいと思います。軽く横並びチェックして」

「そうか。そうだね」


 パニックになっていた早苗は、桜木の冷静な声を聞いて落ち着いてきた。


「そのミスってた表、俺にも見せてくれますか」


 桜木が椅子いすを近づけてきて、早苗の画面をのぞき込む。


「この式が間違ってるの。コピーしてるから、この行全滅。で、それを使ってるこっちの行も間違ってる」

「ここはどうです?」


 別の行を指さしながら、ぐっと桜木が顔を近づけてきた。


 え、ちょっと、近くない?


 顔が触れそうな距離だった。


 ディスプレイにはのぞき見防止のフィルムが貼ってあるから、横からだと画面が見づらいのはわかる。わかるが、それにしても近すぎやしないだろうか。


 ふわりといい匂いがただよってくる。シャンプーの香りだろうか。


 そういえば桜木の部屋もこんな匂いがしていた。


 いやいや、今そんなこと考えてる場合じゃない。


「えっとね……あー……こっちもだ」


 意識するのも変なので、早苗は平静を装って答えた。


「ちょっといいですか」


 桜木がマウスを握る早苗の手に自分の手を重ねる。


 ひぇ。


 大きな手から男性らしさを感じてしまい、早苗はまた動揺してしまった。


 自然な動作になるように気をつけながら手を引き抜いて、マウスを桜木に譲る。


 バレていませんように……。


 カチカチとマウスの音が鳴る。


 まだ画面が見えないのか、それとも集中してなのか、桜木が左手を早苗の椅子の背にかけて、さらに体を寄せてきた。左手がわずかに早苗の肩に触れる。


 早苗は桜木の操るカーソルの動きに集中しようとしたが、上手くいかなかった。


 ううう……。


 これ意識しないとか無理だよ。


 一晩限りとはいえ、一度肌を重ねた相手だ。


 心臓がドキドキとうるさい。桜木に聞こえていないかと心配になった。


 女たらしの計算なのか。それとも天然なのか。


 どちらにしてもたちが悪い。


「他のファイル見ますね」


 ようやく桜木が自分の画面に戻っていった。


 早苗は気づかれないようにほっと息をついて、自分の作業に戻った。


 桜木に作ってもらうページの草案を、ノートに走り書きしていく。


「なんか変だなこれ。数値変えてもグラフが変わらない……」


 横で桜木がぶつぶつとつぶやき始める。


「先輩、ちょっと見てもらえますか」

「うん」


 桜木が画面の前から少しだけ椅子をずらした。


 早苗は近づきすぎないように気をつけて、画面をのぞき込む。


「ここなんですけど、参照してる場所が違うみたいで、こっちのシートのデータを使ってて。で、こっちの式が……」


 説明しながら、カタカタとキーボード叩き、数式を打ち込んでいく。


「桜木くん、そんな関数も使えるんだ?」

「俺を何だと思ってるんですか?」

「いや、営業さんは技術に弱いってイメージが」

「俺は元は開発畑ですよ? ていうか先輩の下にいたとき、こんなんよくやってたじゃないですか」


 それもそうだ。


「それに営業がこの程度もできないっていうのは偏見です。普通データまとめくらいできますよ」

「ごめん」

「まあ、いいですけど。できない人もいますからね。……ほら、これ見て下さい」


 桜木がカーソルで示したのは、計算式を修正して出てきた数値だ。


「このグラフはこっちの値を使ってるんですよ」

「ってことは、この表の数値は間違ってるけど、グラフ上の数はあってるってこと?」

「そうですね。あとバグ率の計算もそっち使ってます。なんで別の場所から持ってきてるかはわかんないですけど」

「表にある件数の数値が間違ってても、バグ率のパーセンテージとそれを示すグラフがあってるなら、試験結果自体は問題ない。表記が間違ってましたっていう報告だけでいい……」


 今度は早苗がぶつぶつと呟き始める。


「他の試験の計算式も、ファイルごとコピーして踏襲とうしゅうしてるだろうから、同じ事になってると思います」

「そっか! 桜木くん、ありがとう!」


 早苗は両手を挙げて喜んだ。


「確認するまでは安心できないですけど。それに、先輩もチェック始めたら気づいたと思いますよ」

「ううん。私パニックになってたから、もっと変なことになってたと思う。で、出社した奥田さんがそれに気づいて、あきれられるまでがセット」

「なんでそこに奥田さんが出てくるんですか」


 桜木がむっとしたように言った。


「奥田さんが見つけたら、先輩は何かおごったりするんですか」

「え、しないけど……」


 奥田はチームメンバーだ。感謝はしまくるだろうが、それはそれ、これはこれである。


「俺には何でもおごってくれるって言いましたよね?」

「うん。資料作るの手伝ってくれるからだったけど、今ので十分助かった。高級中華でも何でも好きな物食べていいよ。あとは私だけで大丈夫。ありがとね」

「資料作りも手伝いますよ」

「いいの?」

「このくらいの修正ならすぐ終わります。さっさと終わらせて帰りましょう。俺はできてるとこの体裁そろえますから、先輩は最後のとこ作っちゃって下さい」

「了解です!」


 早苗は眉の辺りにビシッと手をかざして返事をした。

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