第13話 プライド

 蘇った記憶とは、あまりにもかけ離れた現実。


そしてその現実が老紳士の知る事実とも違っていることは、紳士の顔色を見れば一目瞭然だった。


あまりにも予想だにしなかったことで、紳士にも理解し難い現状。


紳士は首を大きく横に振り、「違う・・・これはわしの知るところではない。」と

一念にうわ言のように呟いた。


「どうしてだ?この血は、僕の血じゃないのか?ここで頭打ったのは、僕じゃなくてママなのか?」


記憶と異なる現実に混乱する一念。


すると、突如としてある発想が一念の頭に浮かんだ。


「未来が・・・変わった・・・未来が変わってしまったんだ!そういう事でしょ⁈」

「そんなわけなかろう!」


目を剥いて、即座に異を唱える老紳士。


「未来がそう容易く変わってなるものか!」

と、隠しきれない動揺から一念に否定を押し付ける。


「じゃあこれは⁈どう説明しますか!」


負けじと声を荒げて訴える一念。


その一念に、紳士も同じく声を荒げて抵抗をする。


「わからんて!だが、お前さんも目にしとるだろ⁈未来のカミさんを!」


たしかに、一念の見てきた未来では、少なくとも日和が大学を卒業するその日までは、千日は元気に過ごしていた。


「じゃあ、どうして?・・・。」


一念は頭を抱えてその場に項垂れてしまった。


大声で感情を吐き出し、だいぶ冷静さを取り戻せたせいか、老紳士はそんな一念に千日の傍に行ってやれと勧めた。


「そんなことより、お前さんもカミさんの傍に行ってやったほうがいいんじゃないのか?」


老紳士のその言葉に、はッ!として顔を上げる一念。


慌てて往来に飛び出し、走り去った娘を目で追う。


しかし、時すでに遅し。


娘の姿はどこにも見当たらず、一念は十字路まで駆けていったが、そこまで行っても日和を捉えることは出来なかった。


「どうした?娘を追いかけんのか?」


後からついてきた老紳士が、その場に佇む一念にそう問いかける。


しかし一念は首を横に振り「いえ。僕は僕で、出来ることをやります。」と、紳士の目を見てそう告げた。


 この期に及んで、こやつが他にできることなどあろうか?


紳士は思った。


すると一念、老紳士の脇をするりと抜け、再び我が家の玄関へと戻った。


そして、後を追ってきた老紳士に、血塗られた土間を指差し告げる。


「この現実を変えてやればいい。僕たちがママを、助けに行けばいいんです!」


「おいおいおいおい!・・・・。」


またこいつは、なにを訳の分からないことを・・・と、呆れる老紳士。


すると一念は「聞いてください!」と、呆れ返った老紳士をもう一度説得しようと真摯な目で訴える。


「未来が変わったのなら、また変えればいいんです。元々の世界に戻せばいいんです!」

「お前、わしの話し聞いとらんのか?」


一念の突飛な発言に、呆れ果てる老紳士。


「何度も言うようだがな、未来は変わっとらんのだよ。いいか、冷静になってよく聞け。今この世界は、お前がだけで現存している世界なのだよ。わかるか?」


わかっていない。


と、いうよりも、一念にはもうその意見に耳を傾ける気など、さらさらなかった。


ここが変えられた世界だろうと、現存していた世界だろうと、一念にはもうそんなことは


一念はただ、目の前の不運から妻を救いたい!いまはそれだけだった。


「お願いします!数時間前でいいんです!数時間前の、妻が怪我をする前に連れて行ってください!」


「無理だ!」


すがる一念を一蹴する老紳士。


「よく考えろ!が、お前が怪我した時間の世界ではなく、お前のが怪我した時間の世界なら、わしらはまた違う別の時間に来ていると言うことだ!お前は、お前の怪我した時間に戻って、本当の記憶を取り戻さないといけないんだよ!」


 なに言ってんだよ?このジイさん・・・。本当の記憶って、なんだよ・・・。


「お前も実際目にしてわかっとるだろうが、お前のカミさんはまだ生きる。この怪我で死ぬようなことなど絶対にない!それはわしが保証する。だからもう、いま助けに行くなんて考えるのはやめとけ・・・いいな。わかったな!」


老紳士は、辛い選択を一念に迫った。


そう告げられてもまだ、一念は千日を助けに行きたい。


不満を顔に出し、血塗られた土間を一念はジッと見詰める。


その様子を見て、老紳士は更に厳しい口調で一念に現実を突きつけた。


「お前さんがどんだけカミさんを救いに行きたいか。その気持ちは手に取るようによくわかる。しかしな、何度も言うようだが、わしらにはもう時間がないんだよ!規則を破ったら、それこそお前さん二度と・・・・。」


紳士はその先のセリフを躊躇ためらった。


一念も、その先のセリフを聞き返そうとしたが、やはり同じく躊躇う。


それは、その先の現実が一念にとって不吉なことであることを予感していたからかもしれない。


たしかに、紳士の言う通りだ。


常識的に考えれば、今は千日を助けに行くよりも、自分のことをまず優先させるべきだ。


それは一念もわかってる。


分かっているが、いま行かないときっと後悔する。


一念はそうも感じ取っている。


これまで自分を元の世界に戻そうと懸命に導いてくれた紳士には申し訳ないが、一念はたとえ自分がどんな仕打ちに遭おうとも、千日が痛い思いをしなくて済むのならそれはそれで構わない。


それが夫婦となった、家族の本能なのではないだろうか?


それがきっと、夫となった自身のプライドなのではないだろうか?


結果がどうあれ、一時の感情に惑わされていると言われようとも、後悔だけはしたくない。


違うだろうか?


一念は、自分自身に言い訳をしていた。


「お願いします。妻を助けに行かせてください。」


ゆっくりと後退って、一念は地面に頭を擦りつけた。


その姿を、ジッと見据える老紳士。


黙ったままに、伏せた一念を見詰め続ける老紳士もまた、己のジレンマと戦っている。


静かに歩み寄り「立て。」と、一念の胸倉をつかみ上げる老紳士。


その紳士の目を見詰め、一念は怖気づくことなくゆっくりと立ち上がった。


「一度だけ・・・・それでいいか。」


押し殺したような嗄れ声で、老紳士はそう呟いた。


その言葉に、大きく頷く一念。


一念は「覚悟を決めます!」と、胸倉掴む老紳士の手を、強く握り返した。

その力強さが、己の意思の強さを示すかのように。


そうと決まれば一秒でも早いに越したことはない。


早速ゲートを呼出す紳士。


“一度だけ” その言葉を強く胸に刻み、一念はゲートを潜る。


妻・千日を目指して。

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