第14話 千日へ

 時を超え、まず一念の目に飛び込んだのは、コニファー越しに見える、すでに脚立に跨った千日の姿。

一念はギョッ!として思わず千日を呼び止めてしまう。


「ママ!ストップ!」

「え⁈」


予想外のその声に驚き、バランスを崩した千日。

頭から真っ逆さまに、落ちていく。


 間に合うか!


腕を大きく広げ、落ちゆく妻を受け止めようと咄嗟にその身を投げだす一念。

目の前のコニファーを巻き込んで、ともに転倒する。


メキッ!ガシャガシャン!


大きな衝撃音と共に、固いコンクリートへと叩きつけられた千日と一念。


「あいたたたた・・・。」


強打した腰を押さえ、体をゆっくりと返し、立ち上がろうとする一念。

左腕が辛うじて千日の体の下に潜り込んでいることに気付き、なんとか間に合っていたことに、ホッと胸を撫でおろす。


ふと、仰向けに横たわった自分の足元に目を遣る一念。


見ると、自分たちの下敷きになったコニファーの樹が、根元からボッキリとへし折れながらも、身を挺して二人を庇ってくれていたことに気付く。


「こういうことだったのか・・・。」


自らの命と引き換えに、妻と自分を護ってくれたコニファーの樹。


一念は「ありがとう。」と、そっと手を添えて感謝の念を樹に送った。


「う~ん・・・。」


やがて意識を取り戻し始める千日。

一念は体制を立て直し、朦朧とする千日をゆっくりと抱え直した。


「ママ。わかる?僕だよ。」


ぼんやりと開いた瞳で見つめる千日。

朧げに映る一念の顔にニコリと微笑み、

「おかえり。」

と、一言だけ囁いた。


ずっと待ち焦がれていた妻の“おかえり”という言葉。

その言葉に、一念の目頭は途端に熱くなり、気が付くと大粒の涙がポロポロと溢れ出していた。


「ただいま・・・。」


そっと応える一念。

溢れる涙に視界をながらも、その腕に眠る妻をジッと見詰め、正真正銘、自分はやっと帰って来れたんだと心から思った。


やがて、抱きかかえた妻から力が抜け行くのを感じ取る一念。


一念は慌てて「ママ!ママ!」と渾身の声で何度も叫ぶが、千日は一念の意に反し、再び瞳を閉じて身動き一つしなくなった。


その様子に一念は、誰か助けを呼ぼうと辺りを見回す。


しかし、周囲には人は疎か、今までずっと傍に付いていてくれた老紳士すら見当たらなかった。


「どこ行っちゃったんだよ、こんな時に!・・・・。」


誰となく、助けを求める一念。

声の限り、叫び続ける。


「誰か!救急車!救急車呼んでください!お願いします!」


すると、その声からか、はたまた先の、大きな衝撃音からか、向かいの五十嵐さんのおばさんがひょっこりと顔を出し、惨状を目にした。


「あらやだ‼ちょっと!奥さん!あら!あら!」


慌てふためく五十嵐さんのおばさん。


倒れている千日に駆け寄ろうとしたが、何を思い立ったか体を反転させ、そのまま「お父ちゃん!お父ちゃん!」と叫びながら、再び向かいの自宅に戻っていった。


「え⁈あ、ちょっと!五十嵐さん!救急車!救急車呼んでください!お願いします!救急車!」


ぐったりとして生気のない千日を抱え、叫ぶ一念の声が聴き届けられたのか、ほどなくして遠くから、救急車のサイレンがけたたましく鳴り響いてきた。


 よかった…助かる。これで助かる。


腕の中で深く眠る千日を見詰め、一念はホッと安堵の表情を浮かべ、千日を抱えたままその場にへたり込んでしまった。




 このご時世もあってか、何軒かの受け入れ拒否に遭い、それでも粘り強く受け入れ先をあたり続けてくれた救命救急士さんのおかげで、救急車は受け入れ先の病院を目指しサイレンを鳴らし続ける。


目の前では、未だ意識の戻らない千日が流血する後頭部を応急処置されている。


血の気が引いて冷たくなった手を握り、心配そうに千日を見つめる夫・一念。


その隣では、五十嵐さんのおばさんが「ダメよ奥さん!はるちゃん一人残してくなんて!あたし絶対許さないよ!がんばって!がんばってちょうだいよ!」と、涙ながらに千日にエールを送り続ける。


 なぜあんたがここに!


救急車を呼んでくれたことには感謝しているが、ここまで付いてきてほしいなんて一言も頼んでいない。

と、複雑な趣きの一念。


やがて救急車は病院に到着。


待ち構えていた病院スタッフに手際よく搬送される千日は、そのままストレッチャーごと処置室へと姿を消した。


心配そうに妻を見送る一念。

ふと、五十嵐さんのおばさんの姿がないことに気付き、辺りを見回す。


なにやら病院の玄関先で、電話をかけている五十嵐さんのおばさん。


恐らく旦那さんのほうに、搬送先を知らせてくれているのだろう。


 さっきは邪険にして悪かったな。あとで御礼しとこう・・・。


一念はそう、五十嵐さんのおばさんに感謝しながら、再び千日の消えていった処置室へと向き直り、ロビーへと一足先に足を踏み入れたのだった。


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