第8話 旅立ち

 「しかしまたタイムスリップとは、これまた非現実的な発想だな。」


威勢のいい嗄れた声で、老紳士は一念にそう言い放つ。


差し伸べられたその手を掴み、横たわった体を起こす一念。


見た目にそぐわぬ紳士の力強さに引き上げられ、一念はそのまま流れるように難なく立ち上がった。


「え?・・・それって、どーゆーことですか?・・・。」


若き日の父を思わせるその元気な声で言い渡されたセリフに、一念は疑問を投げかける。


「それって、いまこの現状に起きてることが、タイムスリップじゃないって事ですか?」


てっきりそうだと思い込ませていただけに、次のセリフに期待が膨らみ気持ちが焦る一念。


「じゃあ、どーゆーことなんですか?これってどーゆーことになってるんですか?」


矢継ぎ早に一念は紳士をまくし立てた。


老紳士、そんな一念に困った様子で頭を掻いて言葉を濁す。


「んー・・・まあ、あれだよ・・・。」


「あれって、なんですか?」


「あれだよ・・・あれ・・・・・。」


老紳士、“あれ”とか“それ”とかがやたらと多い。


そう言いながらも眉間に皺を寄せる、事あり顔の老紳士。


その顔に、突如としてピコン!と、閃きマークが現れた。


「お!あれだ。お前さん、こっちに来た時に、“これは夢だ!悪夢だ!”とは思わんかったのかい?」


「え?・・・・。」


 思った!


一念は確かにそうも考えた。


しかし、後頭部に走る痛みと、鼻先を掠める蚊取り線香のリアルな匂い。


そして、幼き頃の思い出の中の父を彷彿とさせる、目の前に現れた若き日の父の気迫。

それに加え、父に抱きかかえられた、これまた若き日の母の切羽詰まった息遣い。


更には、その二人が去った後の背後から「念徳さん・・・。」と、声をかけて来たご婦人の、か細くもリアルな声の響きに、一念のその発想はすぐに打ち消されていた。


「え?思いましたけど・・・でも・・・・。」


出かかった次の言葉を飲み込む一念。


目の前にチラついた光明を、その言葉で逃したくはなかった。


 夢ならば目覚めればいい、目覚めればそれで終わる。


目覚めれば、馴染みあるいつもの日常に、千日と日和が笑うあの風景に戻れる!


一念の表情に光が差す。


しかしそれを無情にも、すぐさま老紳士が拭い去った。


「違うけどな・・・。」

「は⁈・・・。」


「ちがう、ちがう。夢じゃない・・・マジ。」


「・・・・・・・。」

絶句する一念。


紳士の方から希望を持たせておきながら、「ちがう、ちがう。マジ。」って、いくら何でもその仕打ちは酷すぎないか?と、紳士を恨めしく見詰める一念。


一念はさらに、ちッ!と小さく舌打ちを送った。


「え?なに⁈いまの!。いまのなに⁈ねえ!」


その舌打ちを、老紳士は聞き逃さない。


地獄耳。


やさぐれる一念。


一念は何食わぬ顔で「え?なにがです?・・・なんかありましたかね?」と、ふざけた紳士に負けじとを切った。


そんな一念に老紳士は、この先の旅路がどれほど愉快な旅になることかと予感をし、

フフッと一念に含み笑いを返す。


「さて!そんじゃまぁ、そろそろ行くとするかい?・・・なあ!」


気を取り直し、立ち上がった一念の肩をポン!と、たたく老紳士。


「さ!では、教えてもらおうか?」と、言葉を付け加え、有りつき顔で一念に視線を送った。


「・・・・・・はい?」


「いや、はい?って、お前・・・。」


一念には、その質問の意図が伝わっていない。


拍子抜けな老紳士。


「お前、いくらわしがお前さんを迎えに来たと言っても、お前さんの帰りたいとこまでは、わしは把握しておらんぞ!」


その言葉で、一念はようやく質問の意図がつかめた。


「あ!はい、はい、はい!そうですよね。すみません、すみません・・・・・。」


ようやく理解した一念。


一念は、自分でも呆れるほどのポンコツさ加減に照れ笑い、元いた世界の年数を思い返した。


「えっと・・・・・あれ?」


「ん?・・・。」


「あ、いや・・・・・・。」


「ん?・・・どうした?」


「あ、いや・・・ちょっと待ってください・・・えっと・・・。」


「・・・・・・・・・・・。」


「・・・あれェ?・・・。」


焦る一念。


「・・・・・・・・・・・・・。」


どうやら一念は、自分の元いた世界が何年だったかを憶えていないようだ。


「あ、いや・・・あれ?・・・。」


「・・・・・・・・・・・。」


ここで初めて気付く記憶の欠損。


 いったいいつから?・・・・。


記憶の限り思い起こす一念。


 !あの時か⁈


思い当たるのは、この昭和の時代にタイムスリップしたあの時。


超常現象に、知らず知らずのうちに巻き込まれていたと思われたあの時だ。


思い出される、左手に残ったあのベトっとしたグロい感触。


よくよく考えたら、あれだけの傷を後頭部に負わせた衝撃だ、無理もない。


あれだけ強く帰りたいと願っていたのに、あの時妻と娘に強く、パパは必ず帰るからねと誓ったのに、いざとなったらこの始末。


自分の不甲斐なさに一念は項垂れた。


「ん。わかった、わかった。まあ、そんなに落ち込むな・・・な!」と、項垂れた一念の肩を どんまい!と叩いて元気づける老紳士。


次なる打開策、いまの年齢を一念に問う。


「えっと・・・・あれェ?・・・これもかァ?・・・。」


どうやらそこも、一念は記憶を失くしているようだ。


かなりの落ち込みを見せる一念に事情を察し、老紳士は次なる策を講じる。


「すみません・・・・・・。」


ぼそりと呟き、さきの勢いまでが失せた一念。


そんな一念に老紳士は、何も言わずにそっと頷く。


自分を見詰める紳士の瞳が、一念には「だいじょうぶ!案ずるな。」と、言っているように一念は思えた。


正面に立ち、と一念を眺め出す老紳士。


その眼差しは、まるで一念を値踏みしているようにも見える。


唐突な紳士のその視線に一念は、訝しげな眼差しを隠せないままその身を委ね

かしこまった。


「よし!大体お前の歳はわかった!」

「え?・・・。」


そう言って、かしこまった一念の体を二回ほどパン!パン!と叩き、老紳士はズバリ言う。


「お前さんの年齢は、ズバリ!五十五・六!・・七?・・・そんくらいだ!」


ズバリ!と口に出して言ったわりには、五・・六・・七・・と、ブレまくりな老紳士。


しかもハズレ!


一念のどこを見てそう踏んだのか?


しかし、記憶を失っっている一念には、そこは「はい」としか答えようがなかった。


「いいか、よく聞け。」


今までにない真剣な面持ちで、老紳士は唐突に語り始める。


「いまからわしは、お前さんを未来へと導く。

そこがもし、見覚えのあるお前の世界ならば、きっとお前さんの記憶も戻ることであろう。

戻った記憶の中には、受け入れ難い記憶もあると思う。それを篤と心得よ。」


さらっとなんだか怖いことを言う老紳士。


いつになく真剣なその面持ちに、聞き入る一念もまた、「はい」と応えるその表情が硬い。


「では!ゆくぞ!」


その一言で、更に緊張が走る一念。


紳士の掲げた左手を合図に、二人の目前に突如として黄金色の扉が姿を現した。


神秘的な輝きを放つ扉に目を眩ます一念。


一念はあまりのその眩しさに、思わず手をかざし光を遮った。


日も暮れて、静まり返る隣近所にはばかることなく、老紳士はスぅーっ!と深く息を吸い込み、一気に吐き出すようにして、ゲートの鍵を思い切り大声で叫んだ!


「オープン!ザ!セサミ!」


 え⁈なにそれ!。


一瞬、その古臭い、昭和チックな掛け声で、一念の緊張の糸がほどけた。


グググググゥーっと、重い扉がゆっくりと開く。


と、同時に中からは、輝き放つ扉よりも更に眩く、神々しい光が溢れ出し、瞬く間に二人を包み込み、時の彼方へと飲み込んでいった。


一念は、光に包まれながら思った。


 あの掛け声をかけないと、これからもこの扉は開いてはくれないのだろうか?・・・。と。





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