第22話 すべて―②

 知らなかった・・・。


いったいいつまでメモを取り続けているつもりか。


一念は千日の渾身の告白に、長い間俯いたまま赤く染まったその顔を未だに上げないでいる。


きっと、どんな顔をしたらいいか分からないんだと思う。


シャイなおじさんだ。


そんなシャイなおじさんを、次はどんな反応を見せるかと、ジッと眺め入る千日。


その顔からは、さっきからずっと笑顔がこぼれている。


「いっくん?・・・・。」


千日のその問いかけに、ピクリと体を反応させた一念。


 なぜ昔の呼び名で?・・・。


と、上目遣いで千日を見上げる。


「いっくんは、いつまでそうしているつもり?」


そう言って、俯いたままの一念の顔を、千日は脇から覗き込んだ。


すると、一念の頬にキラリと光るものに気付く千日。


千日は慌てて「え⁈なんで?どうして泣いているの⁈」と、一念の肩を押し上げて、素手で一念の涙を拭う。


「違うんだゆきちゃん。これは違うの。」


慌ててその涙を理由なく否定する一念。


気付けば一念もまた、千日につられて昔の呼び名で妻を呼んでいた。


「これはさ・・・あれなんだよ・・・。」


なんなんだよ。


一念は、その涙の理由を千日に伝えるのを躊躇していた。


そんな一念を黙って見詰める千日。


その顔からは、どことなく哀しみが取って見えた。


そんな表情を目にして、一念は「だから、違うんだよゆきちゃん。」と、理由なく弁解をするが、千日はそれでは納得しておらず、未だその表情には哀しみが居座っている。


諦めて、この涙の意味を打ち明ける一念。



一念は、千日が正直、自分をそれほどまでに想ってくれているとは思っていなかったと、千日に最初に伝えた。


それから、千日があの時、どんな気持ちでテーブルをずらしたのだろうか。


どんな想いでソースのたっぷりかかったトマトを自分に差し出したのだろうかと、考えていたら自然と涙が溢れてきたのだと、一念は続けて千日に伝えた。


「フフフッ・・・。でしょ?」


「え?・・・・。」


そう言う千日に振り向くと、その表情からはすでに哀しみが失せ、喜びが取って代わって鎮座しているのを一念は感じ取った。


「どれだけ好きか?・・・それを相手に悟らせないのも、女のテクだよ。」


そう言って、一念に得意げに笑顔を振りまく千日。


「女はいつでも女優なのよ・・・。」と付け加え、一念から笑いを取った。


「そっか・・・。僕はゆきちゃんにずっと、騙されていたってこと・・・かな?」


そう言って、笑顔を千日に渡す一念。


二人の空間に、再び笑顔が舞い戻る。




「ゆきちゃん・・・ごめんね。」


今度は一念が、唐突に千日に謝る。


「?・・・なにが?・・・。」


せっかく笑顔を取り戻した一念のその表情に、再び絶望が忍び寄ってくるのを千日は感じる。


「ゆきちゃんがこんなに想ってくれているのに・・・僕・・死んじゃって・・・・。」


「・・・・・・・・・・・。」


千日は笑顔のまま、何も言えなかった。


「絶対一人にしないって、約束したのにね・・・・ごめんね。」


千日は、先の自分の感情が一念を傷付けていたことに気付き、今になって後悔をした。


千日の顔からも、再び消え去りそうになる笑顔。


 しかしこれではダメ!このままを哀しい顔のままにさせて、あの世に送るわけにはいかない!


そう気づいた千日は、これまでともに連れ添ってきた妻のプライドから、一念の顔に再び笑顔を取り戻そうと奮闘を試みる。


「でもそこはさ、違うかな?パパ。」


再び呼び名を、現在の呼び名に改めた千日。


そこに千日のプライドが取って窺える。


千日のその言葉に、「え?」と、眉を上げる一念。


「パパ、約束は破ってないよ。」


 ?・・・。


その言葉から、忍び寄る絶望は一念の表情からはすでに撃退されつつあった。


絶望と、取って代わって一念の顔を埋め尽くすハテナのマーク。


あともう一息!と、千日は言葉を続けて放つ。


「だって私、一人じゃないよ!」


黙ってその言葉の意味に、思考を巡らす一念。


ふと浮かんだ、娘・日和の笑顔に、一念は あ!っと気付き、眠る娘に視線を移した。


千日はそれを見て「でしょ?」と満足げに、一念に再確認をした。


「うん!」


大きく、そして力強く頷く一念。


その顔には、千日の思惑通りの満面の笑みが再び舞い戻っていた。


二人は笑顔で、未だ寝息を立てる娘を見詰めた。


「パパのおかげだよ・・・。」


熟睡している娘を見詰める一念に、千日は語り掛ける。


「パパが私を選んでくれたから、この子は今ここに居るの。」


そう言って、一念に振り向く千日。


「これまでの私も、そしてこれからの私も、私はずっと、パパに元気を貰って生きていけるんだよ。」


千日はそう言って、一念に最後に満面の笑みを贈った。


「これからも、僕はママと、の笑顔を、ずっと見てていいかな?」


そう言って、一念もまた顔を上げ、最後になる満面の笑みを千日に贈った。


静かに「うん。」と頷く千日。


そして二人はこれまでの家族のキセキを思い返し、そしてこれからの家族の幸福みらいを思い描いて、心の底から満ち足りた笑顔で最期までの時を、見つめ合って過ごしていった。








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