第18話 走馬灯

 薄暗く、静まり返る病室。


日が暮れた窓のカーテンには街並みのネオンが写し出され、無色のカーテンを色鮮やかに魅せつける。


部屋の中央よりもやや窓際に寄せられた白いベッドには、様々なチューブが腕に繋がれた千日の体が丁寧に寝かしつけられていた。


頭部には包帯が巻かれ、酸素マスクが取りつけられた蒼白の顔面。


その酸素マスクには昏睡する千日の息がフー・フー・とリズムよく掛かり、透明の素地を白く曇らせる。


安静に眠る母の傍らに、寄り添うようにもたれかかってスースーと寝息を立てる娘。


母の容体に安心しきってその場に眠り落ちてしまったのが取って見えるほどに、無理な前屈の姿勢で眠りについている。


 きっと起きたら、体のあちこちが痛くなるんだろうなー。


傍らで、娘の頭を静かに撫でている一念もそうは思ってはいるが、ぐっすりと幸せそうに眠る娘の寝顔に、いま起こすのも忍びないと、今はそのままにしている。


あと、どれくらい二人の寝顔を眺めていられるのか・・・。


迫るリミットに怯えながらも、一念は二人の寝顔をその瞼に焼き付けようと、交互に、時には二人同時にその寝顔を眺め入っている。


一念が入ってきてから、どれくらい経ったころだろうか。


病室の扉がスーッと音もなく開き、念徳爺さんが顔を覗かせた。


静かに目を遣る一念。


いよいよ旅立ちの時が訪れたかと、痛む心を抑え、撫でる手を止め観念して静かに立ち上がる。


一念のその動きに、皺だらけのその手をそっとかざし、優しさが滲み出る笑顔で静かに制止するおじいちゃん。


おじいちゃんは、そっと静かに中に入り、寝息を立てる千日と日和を気遣うように音を立てず、丸椅子に腰をおろした。


その様子を見て、再びゆっくりと腰を下ろす一念。


一度は観念した気持ちを抱えつつも、ホッと胸を撫でおろす。


囁くように小声で「煙草は吸えましたか?」

と、おじいちゃんに訊ねる一念。


おじいちゃんは怪訝な顔で、「んー・・・なぁ、って、なんだ?」と、一念に訊ねた。


そこで初めて、おじいちゃんがこの世に健在していたころはまだ、コンビニなんてものはなかったんだと気付く一念。


スーパーマーケットと言ってあげればよかったと、一念は念徳爺さんに申し訳なく思う。


 しかしこの人は、ドラマやバラエティーはよく観るが、世間の移り変わりや常識といった世情には、全くの無関心なんだな。と、改めて念徳爺さんの嗜好を理解する一念。


それに、よくよく考えてみれば、二人とももう既にこの世の者たちには見えない存在なのだから、ということは、あの場でおじいちゃんが煙草を吸おうが、酒を飲もうがお咎めはなかった。


一念はそこにも気が付いたが、そこは敢えて告げるのはやめておこうと心に仕舞う。


「もう、思いは告げられたのかぃ?」


千日と日和を気遣ってか、珍しく控えめな声量で話す念徳爺さん。


一念は黙って瞳を閉じ、静かに首を横に振る。


「思いと言っても、聞こえないでしょうし・・・。」


その言葉に、「そうか・・・そうだったな・・。」と、おじいちゃんは小声で返した。


静かに笑って、頷く一念。


おじいちゃんもまた微笑み、孫嫁とひ孫を交互に眺め入っている。


「お前さんたちの、なれそめは何だ?」


いつまでも、思いを口にしない一念に、おじいちゃんが唐突に口を開く。


「なんですか?急に。」


恥ずかしそうに、おじいちゃんに目を遣る一念。


その笑顔から、悪い気はしていなさそうと、おじいちゃんは話しを続ける。


「いいだろよ。減るもんじゃあるまいし。話せよ。聞いてやる。」


それでも照れくさそうに首と手を横に振り、なかなか話し出さない一念。


おじいちゃんは、なぜ話させたいかと真意を告げた。


「これからお前さんはさ、七日ごとに七回のお裁きを受けるわけだ。そのお裁きでは、思い出したくもない記憶を突き付けられることもあるんだよ。よく、死ぬ間際に、走馬灯のように記憶が駆け巡るというじゃろ。あれはわしが思うにな、七回に亘って嫌な思い出を見せつけられる前の、粋な計らいだと、わしは思うとるんだ。」


おじいちゃんが言うには、その走馬灯のように記憶が駆け巡る現象には個人差があり、劇場で映画のように客観的に拝める者もいれば、今回の一念のように実体験的に現実世界でリアルに味わえる者もいるという。


一念の大きな勘違いがあったにせよ、死の間際の計らいを一念にちゃんと味合わせてやれなかった念徳爺さん的には、それがとても心残りだと言う。


「だからよ、もし嫌でなければ、わしにお前の楽しい思い出を話してはもらえんかの?」


その言葉に、一念は躊躇しながらも記憶を思い起こし、静かに話を始めた。


「妻と初めて会ったのは、大学四年の頃でした・・・。僕はあの頃、学食のタンメンにハマってましてね、よくあそこでタンメンを注文していたんです。あの時も、タンメンでした。僕がそのタンメンを食べていた時、妻は友達と三人で僕の居るテーブルにやってきたんです・・・。」


一念は、遥か遠くの若かりし二人を見詰めた。


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