第17話 覚悟

 日もとっぷりと暮れて、静まり返る病棟。


面会時間もとっくに過ぎて人も疎らな廊下には、ナースコールに振り回される看護師さんが忙しそうに行き交うのみ。


そんな中、一念と念徳爺さんは千日の眠る病室の前で、ただ立ち尽くしていた。


「どうした?中に入らんのか?」


ここにきて、未だ躊躇する一念に念徳爺さんが訊ねた。


すると一念は、どんな顔をして妻に会えば良いかわからないと、怖気づいていることをおじいちゃんに打ち明ける。


「そんなもん!」と、一念の懸念を笑い飛ばすおじいちゃん。


しかし一念には、自分ので二人に淋しい思いをさせてしまうという負い目もあり、なかなか一歩を踏み出せないでいる。


そんな悩める一念に、向き直るおじいちゃん。


おじいちゃんは、思い悩む孫の顔に両手を添えて、無理くり真後ろのナースセンターに向けて、その首をひねった。


「いててっ!」


その瞬間、ボキボキボキッ!と一念の首が良い音を響かせた。


「な!なんなんですか⁈急に!」


咄嗟におじいちゃんのその手を振りほどく一念。


そんな一念に、おじいちゃんは言う。


「見てみ。」


「え?・・・。」


そう言われ、おじいちゃんの視線を目で追う一念。


その先には、黙々と業務をこなす看護師さんの姿があった。


「皆、懸命に働いておるな。」


「はい。」


「美しい光景だよ。」


「・・・そうですね。」


「きっと、自分にとっての誰かのため。自分にとっての何かのために働いておるんだと、わしは思うんだ。」


「そうでしょうね・・・きっと。」


「美しい。一生懸命なにかに専念しているというのは、本当に美しいし、尊いことだとわしは思う。」


「・・・・・・・・・。」


一念は、黙々と働いている看護師さんに見入っていた。


「それでもな、死は突然、なんの前触れもなくやってくるんだ。」


「え?・・・。」


一念は、その話の展開も唐突だなと思った。


「たとえその時が美しい瞬間だろうと、たとえ志半こころざしなかばのその時だろうと、死は突然、なんの前触れもなく訪れる。この世界の皆に平等にだ。」


だが、その展開の唐突さもなんだなと、一念はなんとなく理解できた気がした。


「きっと、あそこにいる嬢ちゃんらも、ああしてる時は自分の死なんぞ意識しておらんと、わしは思うぞ・・・。皆、そういうもんじゃないのかの?」


そして、念徳爺さんが何を伝えたいのか、一念にはそこもなんとなく理解ができた。


「わしの言いたいこと、何となくわかってくれたかの?」


そう言って振り向くおじいちゃんの笑顔は、この上なく優しい笑顔をしていた。


その笑顔に一念も、笑顔で「うん!」と大きく頷く。


「そうか。」


おじいちゃんは満足気にそう言うと「さ、わかったら行って来い。」と、一念の背中を軽く押した。


それでもまだ、躊躇う一念。


これが最期と言われたのだから、無理もないのだが・・・。


そんな一念を、今度は言葉で後押しするおじいちゃん。


「それにな、どんな顔をして会えば良いかと言うがの、お前さんの顔色、カミさんに見えるかどうか疑問だぞ。もしかしたら、お前さんが傍にいることすら、カミさん分からんかもしれんしな。」


そう言われれば、そうだった。


つい先ほども診察室で、娘の日和にも気付いてもらえていなかったのだった。


だから一念は、自分はもうこの世の者ではないと悟ったのだった。


それを言われ、淋しさを思い出した一念。


 ここにいる人たちはもう誰も、自分には気付いてくれない・・・・。


「・・・・・あれ?。」


しかしここでふと、一念の脳裏に一つの疑問が浮かび上がった。


それは、一念がこの世界に飛ばされてきた、一番最初に起きたことだった。


一念はあの時、自分が生まれた年に飛ばされていた。


何故、自分の生まれた年だとわかるかというと、それは母親のおなかが大きかったからだ。


あの時、父親も母親も、自分の存在には確かに気付いていなかった。


あの時は二人とも切羽詰まっていたからそのことを不思議には思わなかった。


むしろ自分に気付かずに行ってくれたおかげで、あの時の一念はホッとしていた。


しかし問題はその後だ。


一念はあの時、名前こそ違うがある人物に呼び止められたのだった。


その人物とは、一念が思うに、おそらく一念が生まれてすぐに他界した、祖母のツキだったのではないだろうか。


一念はそのことを、念徳爺さんに訊ねてみた。


「ほー・・・。お前さん、ツキに会うとるのか。」


懐かしさに、目を細めて宙を見つめるおじいちゃん。


元気そうだったか?と、一念に訊ねるが、その時の一念はそれどころではなかったため、「いや・・それはちょっと・・・。」と、一念は申し訳なさそうに首を傾げる。


「ま、そん時のツキは、死期も近かった頃だろう。あまり顔色も良くなかったと思うぞ・・・。」


そのことを聞いて、「そうだったんですか?・・・。」と、悔やむ気持ちを面に表す一念。


あの時、顔もまともに合わさずにダッシュで逃げるなんて、そんなことしなければよかったと、少し後悔をした。


「ん?・・・どうした?」


その様子を見て、不思議に思ったおじいちゃん。


一念は「あ・・・いや・・・。」と、不自然に視線をそらした。


「ま、あれだ。そん時ツキがお前さんに声かけられたのは、さっきも言ったが、ツキに死期が近づいとったからだと、わしは思うぞ。現にツキは、お前さんが生まれてすぐに旅立ってるんだろ?そん時はもしかしたら、あの世に片足突っ込んでいたんかもしれんなぁ・・・。」


 そうだったのか。


たしかにおばあちゃんは、自分が生まれてすぐに他界したと、母から聞いている一念。

おじいちゃんの説明で、湧いた疑問も腑に落ちた。


「ま、そうゆうこったからよ、早よ行って、顔拝んで来い。今ならまだ、娘も一緒にると思うぞ。」


そう言って、一念の正面を扉に向け、背中にポン!と、力強く気合を入れるおじいちゃん。


 そういえば、もう一人知らないおばさんが一緒だったな・・・。


と、ふと思い出したがそれは敢えて言わず、「わしはここで一本つけとるから。」と、側にあった丸椅子にストンと腰を下ろし、おもむろに懐からキセルを取り出した。


その光景を見て、慌てておじいちゃんの手を止める一念。


「いや!ダメです、ダメです、ダメですって!」


と、院内は疎か、敷地内も禁煙であることをおじいちゃんに知らさせる。


「そうなの⁈」と、驚き、不便な世の中になったなと嘆くおじいちゃん。


一念に、近くのコンビニなら喫煙所がありますよと教えられ、渋々と席を立って、「って、なんだ?」と首を傾げ、エレベーターホールへとその姿を消した。


そんなおじいちゃんの背中を見送り、一人取り残された一念。


千日の眠る病室に向き直り、暴れる心臓を抑え込み、意を決してゆっくりと扉を開いた。








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