第16話 念徳爺さん

 力なく、音も立てずに診察室の扉がスゥーッと開く。


中からは、出遅れた一念が姿を表す。


顔面蒼白の項垂れた一念。

静かに立ち止まり、無表情のままロビーを行き交う人々に目を遣る。


ふと、日和とおばさん、二人の姿が見当たらないことに気付く一念。

しかし探し回る気力もなく、側にある長椅子にぐったりと腰を落とし、再び頭を垂れてしまう。


すると、「お!いたいた。」と、聞きなれた嗄れ声が、肩を落とした一念の傍に近寄ってきた。


ゆっくりと顔を上げ、ぼんやりと力の抜けた眼差しで老紳士を見つめる一念。

その瞳からは、老紳士からでも哀しみが取って見えた。


どうやら一念も、真実を悟ったんだなと気付く老紳士。

黙って腰を下ろし、静かに寄り添う。


「僕はもう・・・この世には存在していないそうです。」

「そうか・・・。」


驚くでもない老紳士。

肩を落としたままの一念を横目で窺う。


「誰かにそう言われたんか?」


すると一念、どことなく空を見詰め、淋しそうに紳士に伝える。


「いえ、言われたというか、お医者さんと日和の会話から、何となく気付いてしまいました。」


その一念の様子から、いたたまれない気持ちで心がいっぱいになる老紳士。


「そうだったのか・・・そんな時に一人にしてしまい、すまなかったな。」と、後悔をする。


いいえ・・・。と、首を静かに横に振る一念。

悔やむ紳士を気遣い、「大丈夫ですよ。」と、声をかけた。


「大丈夫ですよ。ショックは受けてますが、立ち直れないほどではありません。それに、薄々は感づいていましたから・・・。」


そう言って、作り笑顔で一念は紳士に微笑んだ。


一念は更に「あなたは最初から、この現実を知っていたんですね・・・。」と、老紳士に問いかけた。


「うん?・・・まあ・・な。」


バツ悪そうに、答える老紳士。

一念はその応えに、フッと淋しく笑った。


最初から知っているも何も、紳士は一念が絶命したから迎えに来たのだ。

それは、初対面の時に伝えたはず。


しかし老紳士は、今はそれは言うまいと黙ったままでいた。


「なら、最初に言ってくれればよかったのに・・・。」


老紳士の思う気持ちも知らずに口走る一念。


すると、「お前はそれで、納得できたかい?」と、紳士は静かに一念に切り返した。


 できるはずがない。


今でさえ躊躇しているのだから、あの時にそんなこと言われていたら、自分はパニックを通り越して、どうなっていたか想像するのも恐ろしい。


それを言われ、一念は初めて老紳士の真の優しさに気が付いた。


これまで、何度も現実を伝える機会はあっただろう。


それでも、ギリギリまで伝えようとしなかったのは、きっと自分のそんな気持ちを汲み取っての老紳士の親心からだったのであろう。


そのことに気が付くと、一念は静かに顔を上げ、どこまでも自分とそっくりなその顔を眺め入り、老紳士のその気持ちを深く噛みしめた。


「ありがとう。」


そっと呟く一念。


「最期を迎えに来てくれたのが、あなたみたいな温かい人で良かった。」


そう付け加えると、今度は作り笑顔ではない、正真正銘、心からの満面の笑みを紳士に贈った。


 もうこれ以上、この人に甘えるわけにはいかないな。


そう、思い始める一念。


蹲った背中を、思い切り伸ばすように背伸びして、自分なりに気持ちを整理し、現実を受け止めることに決めた。


「さ!そろそろいきますか!」


すくっと長椅子からその腰を上げ、悔いのない表情を紳士に示す一念。


すると老紳士、明らかにやせ我慢をしている一念に、

「いくってお前、どこにいくつもりだ?」と、問いただす。


「あの世でしょ?」


一念は立ち上がり、天を指差し紳士に笑顔で答える。


「いいのかい?お前、それで。」


その問いに、一念はさらっと、「もう、時すでに遅しでしょ?」と、未だ笑顔で返す。


「本当にあなたで良かった。最期を迎えに来てくれたのが・・・念徳おじいちゃん、あなたで僕は、本当に良かったと思っています。」


そう言って、深々と頭を下げる一念。


「なんだよ。もう分かってたのかよ・・・。」と、老紳士は自分の正体がすでにバレていることに残念そうな顔をして、そっぽを向いた。


念徳爺さん的には、案外的ポジションが結構気に入っていたのだろうか?


「いつの時代もよ、孫は可愛いってもんだょ・・・。」


そう言って、未だそっぽを向いたままのおじいちゃん。


「お前もあとで、わかると思うぞ。」と振り向き、ニヤリと笑って一念を一瞥した。


その言葉の意味を、しばらく考え込む一念。


その意味に気付くと、表情には格別の明るさが舞い降りた。


「え?そうなんですか!」


「おうよ。あっち行ったら見てみりゃいい。あっちにはよ、時間っつーもんがねーもんだからよ。ま、しばらくは飽きねーぞ。」


なんだか逝くのがワクワクしてきた一念。


おじいちゃんはそんな一念に、「ま、すべてはお裁きが済んでからなんだけどな。」と、ボソッと不吉なことを付け加える。


「・・・・・・・・。」


そのセリフに、一瞬だけ表情を暗くする一念。


さっきまでもの凄く感謝していたのに、この人のこういうとこが未だついていけないなーと思う一念だった。


「さ!おふざけもこの辺にして、そろそろ行かないといけませんよね。」


さっきまでの楽し気な表情とは一転して、淋しさを漂わせた一念がおじいちゃんにそう言い渡す。


すると念徳爺さん、「お前、本当にそれでいいのかぃ?」と、再度一念に問う。


「いいのか?って言われても・・ねえ。もう死んでしまっているのだし・・・。」


やはり、未だ自分の最期に一念は抵抗があるようだ。


しかし、そこはもうどうしようもないことと一度は心に決めたこと。


それに、タイムリミットのことだってある。


自分がこれ以上わがままを言えば、おじいちゃんにも迷惑が及ぶことだと一念は思っている。


「タイムリミットのことだったら、まだもうちょっと余裕あるぞ。」


 え⁈


まるで、自分の心を見透かされたようなおじいちゃんのセリフに驚く一念。


「余裕って、どういうことですか⁈」と、一念は目を丸くして聞き返す。


「ちょこーっとだけよ、待っててくれるよう話付けて来たんだよ。」


 話付けたって、誰に⁈


「へへっ・・・。」


そう言って、誇らしげに笑顔をこぼす念徳爺さん。


 この人は、ほんとに僕のおじいさんなのか?


再び目の前の念徳爺さん(旧老紳士)に疑念が湧く一念。


すると、その表情をすぐさま読み取るおじいちゃん。


「この人、本当に俺の爺さんか?って、思っているだろう。」


図星。


顔にそう書いてあるぞとおじいちゃんに言われ、即座に窓ガラスを覗き込み、一念は自分の顔を確認する。


しかしロビーのはめ殺しのガラス窓には、日も沈んで暗くなった外の景色を背景に、ロビーを行き交う患者さんや看護師さんたちの姿以外、なにも写し出していなかった。


改めて、自分がこの世に存在していないことを再確認してしまう一念。


ガックリと肩を落とし、おじいちゃんに向き直る。


調子に乗って、再び孫を落ち込ませてしまった念徳爺さん。


「おおぅ、すまんかった!すまんかった!」と、詫びを入れても、これもまた時すでに遅し!


「そんなつもりじゃあなかったんだがの」と、おじいちゃんは孫を抱き寄せ、そっと宥める。


「わしの生前の悪友がな、三途の川の船頭のバイトしとるんだわ。」


落ち込む孫を、何か別の話で気を紛らわせようと、突然突拍子もないこと口走るおじいちゃん。


その言葉に、一念は再び驚き顔を上げた。


 バ、バイト⁈


抱きしめたその腕を振りほどき、興味津々でおじいちゃんのその話に一念は食いつく。


その表情からは、今さっきまで落ち込んでいたことなど微塵も感じさせなかった。


「あの世にバイトなんてシステムあるんですか⁈」

「あ、あぁ、あるさ。」


突然の孫の復活に、戸惑いながらもなんだかよかったと、ホッとするおじいちゃん。


またも調子に乗って、余計なことまで孫に吹き込む。


「船頭のバイトだけじゃないぞ。賽の河原で積んである石蹴とばすバイトとか、あと、向こう岸で、来た人の服脱がせたり、脱がせた服乾かしたりってバイトもあるらしいぞ。」


なんだ?それは。向こうにもクリーニング屋さん的なのがあるのか?と、一念は思う。


絶命して落ち込んでいたことなどすっかり忘れ、もはや心はあの世のことでいっぱい。

不謹慎ではあるが、一念は早く逝きたいと、またもやワクワクし始めた。


「その前に!やらなきゃいけないことあるんじゃないのか?」


おじいちゃんのその言葉に、一念はまたかと、拗ねた目で念徳爺さんを一瞥する。


「わかってます!お裁きでしょ!そんな何回も言わなくてもわかってますって。」


まるで、夏休みの宿題が終わっていない子と親の会話。


一念は頭の後ろで腕を組み「あ~あ、やんなっちゃうなぁ。」と、その子供のように空を向いて不貞腐れ始める。


そんな一念を見て「違うわ!」と、突然一括する念徳爺さん。


一念は反射的に直立不動になり、目を丸くしておじいちゃんの言葉に耳を傾ける。


「最期なんだぞ。これが本当の、最後なんだぞ!」


その言葉に、思い出される千日と日和。二人の笑顔。


一度は決めた一念の覚悟が、再びぶれ始める。


「拝んで来い。最期にこの世で、一番大好きな人の笑顔、拝んで来い!」


そう言うと、老紳士は一念の手を力強く引き、千日の眠る病室へと導いていった。


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